ブッダ

脚下照顧|3つの視点でリフレクションから「自分忘れ」

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」常に自分の足元を正し、「正聞薫習(しょうもんくんじゅう)」繰り返し繰り返し、反省、どこに向かっているかを確認するためにも、正しい教えを反復する。もうたっぷり飽きてしまったことを反復する。 <社会人基礎力>も同じです。加速度的に落ちていく日本、飽きていないから加速しています。止めるのは飽きるほど繰り返すことです。
システム思考

社会人基礎力|システム思考で情報をゴエスする

3つの視点が加わった人生100年時代の「社会人基礎力(=3つの能力/12の能力要素)」がなぜ必要なのか。 その最大の課題は、自由で豊かなライフステージを過ごすために、自由で豊かなライフシフトを実践するためです。もし自由で豊かなライフシフトが...
ブッダ

無明からはじまる「十二縁起」こうして人生脚本は描かれる。

仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負のループを継続するといいます。現代的に言い換えれば「ライフスタイル」の是正の必要です。「私はOK,あなたもOK」に整えます。
ブッダ

ブッダのシンプルな5つの教え

三宝院沙門 見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。 こんにちは、いきいきゴエスのNaoman-Minoruです。 エンドレスにワンダフルな暮らし方を実践したブッダ(ゴータマ・シッダールタ)のシンプルな教えに幸せの秘訣を学びま...
マインドフルネス

宇宙の正体を極める慈悲のネットワーク

これが宇宙だ!なんと美しいことか!宇宙の正体を見極めたブッダは慈悲のネットワークの大切さを説きました。慈悲こそは宇宙の扉なのです。では「慈悲とはなんでしょう?」慈悲はリーダーのみならず、すべての人にとって大切であるのはもちろん、楽しく愉快に生きる知恵であり、エンドレスにワンダフルな暮らしに欠かせない宝石です。
マインドフルネス

ブッダに学ぶエンドレスにワンダフルな暮らし方

マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。瞑想とは、なりきるための行為です。禅とは、なりきることです。なりきるための自分の扱い方の心得が、「空」であり「無我」です。なんのためになりきるのか?いま、ここ、この瞬間を、最高に楽しく暮らすためです。大切なのは、ブッダのように自由に楽しく暮らすことです。
マインドフルネス

物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法

「物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法」思う以上に簡単です。食に対する「あり方(価値観)」を変えるだけで何倍も優雅になります。マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。食事という行為そのものがマインドフルネスなのです。後片付けも含めて「食事」です。
ゴエス

わかる!「阿頼耶識縁起」を知って暮らしに役立てる

お釈迦様はことの善悪の判断は、その行動が相手、第三者にどのような影響を及ぼすかで評価するとされました。つまり良識の基準です。良識を無視した自由はないというのが自由の定義です。阿頼耶識には善悪の区別なくあらゆる可能性が潜んでいます。可能性とは「気づき」のことで、気づきを体現することが、太古の昔からいまもあなたの心臓を動かしている「もともとのいのち」の願いです。
マインドフルネス

「もともとのいのち」を「無分別智(むふんべっち)」で守る

毎日押し寄せるマインドトーク(心の雑念)を遮断して、放置すれば雪だるま式に増幅する執着の負のトライアングルを断ち切り、本来の状態に戻すのが清浄な智慧である「無分別智」で焼き尽くすことです。自と他と行為との三つを分別せずに、現にあるもの、たとえば食事の準備、清掃など目の前にある対象になりきる(マインドフルネス)のです。
ゴエス

「阿頼耶識(あらやしき)・末那識(まなしき)」を密教の聖なる呪文で書き換える方法

もともとのいのちは生きることを望んでいます。しかし理想的ないのちになることは稀です。傷つき認知も歪み、屈折することは珍しいことではありません。そのまま放置すれば自我執着心「末那識」に絡め取られます。しかし阿頼耶識の記憶から自分を高める記憶を呼び出し自己マスタリーを高める習慣を実践すれば執着心は弱まり、もともとのいのちを愉しむことができます。