見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。
こんにちは、いきいきゴエスのNaoman-Minoruです。
エンドレスにワンダフルな暮らし方を実践したブッダ(ゴータマ・シッダールタ)のシンプルな教えに「し合わせ」の秘訣を学びます。
- 涅槃とはなにか・・・・いま、ここ、この瞬間に入った状態
- 慈悲とはなにか・・・・精励。いま、ここ、この瞬間に集中した状態。
- 空とはなにか・・全ての人、物、事が、どうにでもなりきれる無限の可能性にある状態。
- 無我とはなにか・・・自分自身が、どうにでもにもなりきれる無限の可能性にある状態。
- なりきるための自分の扱い方の心得が、「空」であり「無我」です。
- 禅とはなにか・・・なりきること
- 瞑想とはなにか・・・なりきるための行為です。
- マインドフルネスとはなにか・・・なりきった状態です。
40億年前、根源的ないのちが誕生したといいます。いのちは、もともとはひとつの種子でした。やがて様々な自然現象の影響を受けて、枝分かれして、いろんな生命体になり、10億年前には、メスだけでした。分裂してコピーを作っていのちを繋いでましたが、それだと遺伝子が変わらないので、いのちの継続が難しいことが解りました。根源的ないのちは生きるためにメスとオスに分れました。
700万年ぐらい前に時間をかけて人類の起源を迎えます。
2500年前、ブッダは『四諦(四聖諦)』と言われている四つの真理(苦諦,集諦(じつたい),滅諦,道諦)、及び十二因縁(縁起の仕組み)を悟ったと言われており、苦を生ずる原因は渇愛に代表される煩悩であると言われています。
仏教はブッダの悟りを学問としてまとめたものです。
では、「四問出遊」からはじまるブッダが修行で体得したブッダのシンプルな教えを学びます。
「四門出遊」と”ブッダのシンプルな5つの教え”
仏教の開祖、ブッダ→釈迦(本名:ゴータマ・シッダールタ)が生きた時代(紀元前5世紀?)のインドは,鉄器の利用により農産物が豊富になり富裕な商工業者が現れ、社会は爛熟し、旧来の聖典であるバラモン教に疑問をもつ自由思想家が多く輩出していました。
ブッダ(釈迦)もその中の一人で、ブッダが出家を志すに至る過程を説明する伝説に、四門出遊の故事があります。
四門出遊
ブッダがまだ29歳の太子(ヴィパッシン王子)の時、ピラヴァストゥ城の東西南北の四つの門から外出したとき、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにして、豊かな暮らし貧しい人生を実感、出家を決意したという伝説
ブッダの教義はシンプルです。複雑に思えるのは入滅後、多くの宗派が登場、肉付けされ言葉が膨大化したことが原因です。
ブッダのシンプルな教義は、中道,四諦(したい),八正道,縁起,無我に集約され、貧しい暮らし豊かな人生が羅針盤になっています。
ブッダのシンプルな5つの教え①中道
中道とは、仏教の実践についての基本的な考えで、対立または矛盾しあう両極端の立場を離れ、両極端のどれにも偏らない中立的な立場を貫くことです。
中道とは、実践する仏教基本的な考えで、対立または矛盾しあう、両極端のどれにも偏らない中立的な立場を貫くことです。
ブッダは、最初、瞑想をやり、次に苦行を行いました。そのどちらからも望むような答えが得られませんでした。この2つは「温和VS厳格」といえる対立的な態度でした。そこで子どもの頃の体験を思い出し菩提樹の下での瞑想をはじめます。
このやり方にはもっとも集中できて効果がありました。「只管打坐(しかんたざ)」です。
菩提樹の下の「只管打坐(しかんたざ)」というやすらぎの道に学びの道を見出しました。
この只管打坐(しかんたざ)の教えをモットーにしたのが道元禅師が開いた曹洞宗です。
この在り方は、別の効果も生み出しました。「暮らしと人生は別次元だ」という概念です。
「貧しい暮らし豊かな人生」と「豊かな暮らし貧しい人生」です。
豊かな暮らしが悪いわけではありません。大切なのは暮らしと人生のどちらに重きを置くかです。
時の人プーチン大統領で考えてみましょう。彼の場合、自身の在り方で、「豊かな暮らし豊かな人生」も可能ですが、執着心に支配され豊かな暮らし貧しい人生を余儀なくされています。彼自身の選択の自業自得です。
仏陀は暮らしも人生も大切するには、中道を突き進むことでバランスが保てる仕組みになっていることに気づきます。
仏陀が悟った苦楽「中道」とは当時の伝統的苦行主義と享楽的自由主義のいずれにも偏らない生き方のことです。「中道」を具体化するために後述する学びのカリキュラム「八正道(はっしょうどう)」を説きました。
ブッダは瞑想と苦行の二本柱で快楽と対峙しましたが、やがては対峙することすら止め、自然体で自分を知る「中道」を見つけたのです。「中道」には右も左もなく自分が在るだけです。自分を観察していま、ここになりきることに専念しました。
それには「無我」の状態に在ればいいことに気づいたのです。
これが現在、言われるところの瞑想の在り方です。
豊かな暮らしが悪いわけではありません。大切なのは暮らしと人生のどちらに重きを置くかです。たとえばプーチン大統領で考えてみましょう。彼の場合、自身の在り方で、豊かな暮らし豊かな人生も可能ですが、執着心に支配され豊かな暮らし貧しい人生を余儀なくされています。彼自身の自業自得による選択です。
スティーブ・ジョブズ氏は、豊かな暮らし豊かな人生を実践した第一人者のひとりです。そのコツは「四諦」の悟り(気づきと実践)だったようです。
菩提樹の下で覚った『四諦(四つの真理)』
ブッダのシンプルな5つの教え②四諦
ブッダは「四諦(四聖諦)」を菩提樹の下で覚ったといわれています。
- 苦諦(くたい) – 迷いのこの世は一切が苦であるという真実
- 集諦(じったい) – 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実
- 滅諦(めったい) – 欲望を脱し無執着になり苦しみが消滅した涅槃の境地こそ理想と説く真理。
- 道諦(どうたい) – 悟りに至るには八正道の実践という真実。
ブッダは「四諦(四聖諦)」という制約を受け入れることで、もっと楽しめる暮らしと人生を学び、体得したのです。
ブッダ式「菩提樹」の下の学び
なぜ、菩提樹なのでしょう。
結論から言えば「逢仏殺仏。(ブッダに会えばブッダを殺せ)」と同じ意味になります。
ブッダが子どもの頃、周囲がうるさいのを嫌って、何気なしに菩提樹の下に逃避。そこで座っていると、落ち着いてきて自然に集中できたといいます。つまり集中することさえ忘れている状態に入ったのです。(=マインドフルネス)
「逢仏殺仏。(ブッダに会えばブッダを殺せ)」も表現さえ違えども同じ意味です。
頑張る、苦行するものは報われる。本当にそうでしょうか?
新型コロナウイルスの蔓延で、リモートワーカーが増えました。リモートワーカーがすんなり受容できる人とそうでない人の違いは、楽しく働くことではないでしょうか。ライフシフトに欠かせないスキルアップには、セブンイレブンよろしく、楽しく働き、楽しく学ぶブッダのスタイルがぴったりです。
覚り(悟り)とは成仏することです。
無量無辺の縁起(因果関係)
ブッダのシンプルな5つの教え③縁起
ブッダの学問のポイントは、物事の生起である「無量無辺の縁起」です。
縁起は因果ともいい、すべてのことには原因があるということで、原因=結果の図式です。
「無量無辺の縁起」とは、コントロール不可能な、はてしない因果なので、ブッダは「四諦」と唱え、滅諦をするには道諦(どうたい)の必要を唱えました。
道諦(どうたい)は、 悟りに至るには八正道の実践のことです。
無我による「八正道」の実践
ブッダのシンプルな5つの教え④八正道
八正道の学びは実践です。実践なくして学びはありません。
学校のような学びではく暮らしと人生で実践する学びです。
「八正道」はブッダの遺言として最後の講義になりました。
つまり受講した者には、いのちの限りに説くブッダの教えを理解するには、ブッダになりきります。
ブッダのシンプルな5つの教え⑤無我
ブッダになりきって学ぶためには、無我になり、ブッダになりきることが大切でした。
蝶になれば蝶の気持ちが解るように、ブッダになりきれば教えが解ります。
「逢仏殺仏。(ブッダに会えばブッダを殺せ)」と言ったのは、唐の時代の中国禅宗五家の一つ臨済宗の開祖、臨済義玄(りんざいぎげん)です。
その意味はブッダを崇拝しすぎたら、自身で教えに束縛されてブッダの教えも役たたなくなるという意味です。ブッダの教えを役立るには、自由に教えを使わなければならない。
それには自分のモノにしていなければならないということです。
自転車を自由に乗るには。自転車乗りを学んだことを忘れていなければ乗りこなせません。それと同じことです。
まとめ
富山湾に生息するホタルイカは産卵のために砂浜に上がってきます。産卵後、元の海に戻るには「月の光」がないと帰れないといいます。明るさではないのですね。月の光と砂浜と海の三つを縁とした「いのちの祭典」に太古からのいのちを愉しみ帰るのでしょう。
宇宙の神秘は、神様が作り出したモノとしか考えようがありません。
「無量無辺の縁起」の宇宙を、私たちは逍遥(しょうよう)しています。
中道,四諦(したい),八正道,縁起,無我、
ブッダのシンプルな5つの教えに学び、私も精励する所存にございます。
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