「もともとのいのち」はどこに潜んでいるのか?

今、ここを生きる マインドフルネス
ミノルさん
ミノルさん

こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表ゲンキポリタンです。

私たちはイベントやお祭りにワクワクします。非日常的な出来事だからです。
反対にルーティンワークに退屈を想像します。でもゲンキポリタンの特別な一日はルーティンワーク、毎日がお祭りです。そんなのお祭りではないと反論されそうですが、決めているのは自分ではないもともとのいのちです。

ゲンキポリタン 10の約束

  1. もともとのいのち
  2. 生き辛さの原因「潜在意識」を認識する
  3. 考えるな、無意識にまかせる
  4. マインドフルネスで整える
  5. 哲学する
  6. 「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
  7. ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
  8. マトリックスから脱出する

「ゲンキポリタン10の約束」から、今回はマインドフルネスと深い関係にあるもともとのいのちについてお話します。

もともとのいのちは自由に生きたがっている

もともとのいのち

もともとのいのちとは、なんでしょう。

たとえば、源流から湧き出した水の一滴。滝を伝って流れ落ちて川の一滴になり、森林の木々を映して美しいエメラルドグリーンになり川を行きます。

やがて青い大空の下に進めばブルーの一滴になり、雨曇の下ではグレーになり、途中誰かに掬われてインクで洗われると紺色になりますが、やがて無色に戻ります。時々の光景で色を変えながら、旅を続けると、やがて海に出ます。

「もともとのいのち」は、一滴の水によく似ています。自分とは言葉の上で存在しているだけで、言葉があるからあるだけです。他者も同じです。人間とは37兆の細胞ネットワークをいくつかの管に包んだ生き物でなにひとつ思い通りにならないといってもいいでしょう。

ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの著書『「今、ここ」を生きる』に次のような記述があります。

感情的な身体

マインドフルネス実践講座

私たちの身体は、感情を生み出すという点では、ほとんどの人が認識しているよりも、大きな役割を果たしています。

その過程は、まず知覚から始まります。感覚器から脳へ情報が伝達されると、脳には対象の概念的な像が作り出されます。私たちは、いったん対象が知覚され、認識されると、感情的な反応が起こり、次にその感情的な反応が身体的な反応を生み出すのだと、私たちは思い込んでいます。

実際は、その逆なのです。

脳の視床が、新皮質など分析にかかわる領野に情報を送ると同時に、小脳扁桃にも「瞥戒信号」を送ります。これは辺縁系にある、胡桃のような形をした神経細胞の塊ですが、この小脳扁桃が、特に恐怖や怒りのような感情的な反応をつかさどっています視床と小脳扁桃は互いに近くにあるので、視床からの警戒信号は、新皮質に伝わるよりも早く小脳扁桃に伝わります。信号を受け取ると、小脳扁桃は、心臓や肺、腕や胸、足などの主要な筋肉、そしてアドレナリンなどのホルモンを活発にする器官に対し身体反応の起動を要請します

したがって、脳の分析をする部門は、身体的な反応が起きた後に、身体的な反応を感情的な反応として解釈するのです何か怖ろしいものを見て恐怖を感じ、それから駆け出すのではありません。

何か怖ろしいものを見ると、アドレナリンが体中に充満して駆け出した後で、そうした身体的な反応が「恐怖」だと解釈するのです。

千分の一秒後に脳の全体が信号に追いついたとき、自分の反応が適切であったかどうかを判断し、その状況にあった行動に自分を綱節しなおすのです。

最近になって、このようなことが科学的な実験で確認されるようになりました。

たとえば恐怖、嫌悪、怒りなどの感情は、右前頭葉のニューロンが活性化する形で現れます。

よろこび、愛、慈悲、自信などの場合は、左前頭葉が活性化するようです

場合によっては、自分の反応を評価するという能力が抑制され、私たちは何も考えずに状況に反応します。このような場合の小脳扁桃の反応は非常に強力なので新皮質など高次の回路をショートさせてしまいます。

このような「緊急対応」メカニズムは生存のため非常に重要です。

しかし、こうした小脳扇桃の神経細胞の型は、非常に簡単に、あまり危険でない場合でも、起動してしまいます。

このような場合、私たちの「今」起きている出来事に対する知覚を歪めてしまうことがあるのです。

「今」ここを生きる

「今、ここ」を生きる

もともとのいのちが潜んでいる場所

もともとのいのちでライププランする

いかがでしょう。以上の文章は「感情」についての記述ですが、『ヒューマニエンス 〜40億年のたくらみ〜』で紹介された「意志」についても同じことが言えます。

千分の一秒後に脳の全体が信号に追いついたとき、自分の反応が適切であったかどうかを判断し、その状況にあった行動に自分を綱節しなおすのです。

この信号こそ主体性のある「もともとのいのち」です。
脳の全体、判断する自分、調節しなおす自分は本来の自分ではありません。

考えない。すでにあなたは知っている

マインドフルネス実践講座

 

人生は選択の連続という言葉があるように、ほとんどの人は自分で選択していると思っています。
選択がうまくいけば、自分の判断が良かったと思い、うまくいかない場合には、自分に批判的になります。

幸せには、一時的な幸せと長期的な幸せがあります。
感情にも、一時的な感情と長期的な状態があります。

「私は選択を間違えたので気分が悪いので今は幸せな気分でない。自分はいつだってこんな調子だから幸せになれない」というように・・・こんな風に考える習慣が身についていたら、俯瞰すれば幸せであっても一生ストレスまみれで、幸せを妨害してしまうでしょう。

このように常に条件付けした認識をする限り、苦しみが継続あるいは次々に生まれて、あるがままに見ることも受け入れることもできなくなってしまいます。

この自分というのは、自分と他者というように他者があるから自分も存在するという自分です。
もし、他者がいなければ自分もいなくなるという言葉の上で存在しているだけの偽物の自分です。

たとえば左右といいますが、左があるから右があるので、左がなければ右もありません。逆も同じです。上下、有無もそうですね。これらに共通しているのは「二分法的思考」です。

白か黒か、全てか無かの「二分法的思考」ではなく、中道、中庸を知ること、白黒だけではなくグレーもあることを知ることは、人生を豊かにすると考えられます。

中道というのは、バランスがよいこと。なにごとについても偏らないこと。と言ってしまえばそれだけですが、因果の真ん中にいることになります。原因はあるけど結果を出さないって難しくないですか?

「二分法的思考」にストップをかけるのが「無分別智」というあり方です。

「無分別智」が「二分法的思考をする癖」から救い出せる

無分別智

私たちは、楽になりたいから結論を急いで分別しようとする傾向があります。
ひとまずカタチだけでも整えると、迷いや苦痛から切り離せると考えるからです。
つまり本心は違うということで、マインドフルネスからは遠のきます。

大事な場面で「自分には早く楽になりたいので、本心を無視して白か黒かを急ぐ癖がある。」と認識できるなら、幸せを妨害するような方法で幸せを望まなくなります。
幸せを望むのにふさわしい真実の態度で行動できるようになります。

まとめ

  • 本心はもともとのいのちが知っている
  • マインドフルネス瞑想は対象になりきるトレーニングがもともとのいのちを引き寄せる
  • 考えないようにするには、行動を優先する
  • 自分で幸せを妨害してしまう癖を取り除くマインドフルネス習慣を身につける
  • 大事な場面で「自分には早く楽になりたいので、本心を無視して白か黒かを急ぐ癖がある。」と認識する

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