白隠禅師は、禅病を発症するほど一途に禅の道を極めることで、禅の達人になりました。
また禅病を発症するまで打ち込んだため回復する必要から数百年生きたという白幽子からは呼吸法を完全マスターします。
では白幽子(はくゆうし)仙人から学んだ白隠禅師の呼吸法とはどんなものでしょう。
全国から雲水が参集したといわれる白隠禅師の禅風と呼吸法をご紹介。
白幽子に教わった健康法
白幽子(はくゆうし、? – 宝永6年(1709年))とは、江戸時代前期から中期にかけて京都北白川の山中の岩窟に住んだ隠士・書家。 白隠禅師に「内観の法」を伝えた人物として有名。 数百年を生きた仙人という伝説が生じ、白幽子仙人、白幽仙人、白川の仙人ともいわれています。住んでいたと言われる場所が京都に残っています。
禅病になるほど坐禅に打ち込んだ白隠禅師ですが、呼吸に深い関心が強くなったのは白幽子の影響があるのかもしれません。
丹田呼吸法
それでは伝統武術に肉体そのものを鍛える伝統がないかといえば、もちろんそんなことはなありません。
一般的に、近代的なトレーニングでは筋肉主体で、理想の身体像といえば逆三角形の身体がイメージします。 これに対し、伝統的なトレーニングでは筋肉を重視せずに「気を錬る」ことを重視します。
気はどこからか持ってくるのではなく、「何もしなくてそこにある」
すでにそこにあるものです。つまり逆に何かするからそれに気づきません。気づかないので扱うことができません。この点が欧米の考えと違うものです。
坐禅はなにもしない。止めることも、捨てることもしません。
緊張は敵なので、力さえ入れません。風船の空気を抜くように力を抜きます。
呼吸は吐く時が重要です。「特に上半身の力は抜きます」の理由です。
そして、「身体」を「気の流れ」として捉え、その中心である臍下丹田及び腰を中心とした三角形型(ひょうたん型)の体に理想的身体像を求めます。
その実現のための修行法として江戸時代に養生法として脚光を浴びたのが丹田呼吸法です。
丹田呼吸法とは丹田主体のトレーニングです。
【丹田呼吸法の方法】
まず下半身が安定するように軽くあぐらをかいて床に座る。
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背筋をピンと伸ばして軽く目を閉じ、右手または両手を「丹田」に置く。
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次に丹田に意識を集中させて、身体の中にある空気をすべて口から吐き出す。(15秒)
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その後、吐いた反動で、鼻から(4秒)空気を吸い、少し長めに口から吐く(8秒〜15秒)。
※どちらもゆっくり行うのがポイント。息を吸ったときお腹が膨らみ、吐いたときお腹がへこんだ状態になればOK。
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これを10回繰り返す。慣れてきたら息を吐く時間をどんどん長くしていきます。
一途に禅の道を極めようとして、頑張りすぎで燃え尽き症候群に陥り鬱状態の白隠禅師(1685-1768)を救ったのが白幽仙人の「内観の法」「軟蘇の法」です。
養生訓
丹田呼吸法の黎明期の代表的な意見が、貝原益軒(1630-1714)の「養生訓」です。
人生100年時代のいまより半分の人生50年が当たり前だった江戸初期、長生きの効用を説く健康書の先駆けとも言える存在、それが貝原益軒の『養生訓(ようじょうくん)』です。
「養生訓」を以下引用します。
臍下三寸を丹田という。 …… 養気の術は常に腰を正しく据え、真気を丹田に集め、呼吸を落ち着けて荒らげない。
何かするときは、胸中からわずかに気をしばしば口から吐くようにして、 胸中に気を集めずに、丹田に気を集めるようにしなさい。 …… あるいは芸事を行ったり、武人が槍太刀を使って、敵と戦うときにも、すべてこの方法を主としなさい。
これは何をするにも、気を養うのに効果がある術である。 何かを実践する者、特に武人はこの術を知らないわけにはいかない。
また道士が気を養ったり、僧侶が坐禅したりするのも、すべて真気を臍下に収める技法である。 これが儒教の説く主静の修行法、実践者の秘訣である。
ただし前橋氏の所論は具体的な技の追求に基礎をおくべきとする。
「臍下三寸を丹田と云。 ……養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田にお丹田に気を集める呼吸法は、儒教⋅道教⋅仏教で等しく行われている修行法であると貝原益軒は述べています。
実際、その後に続く白隠禅師(1685-1768)は自身の身につけた丹田呼吸法である内観の法や軟蘇の法は白幽仙人に学んだと述懐しています。
白隠禅師の丹田呼吸法に関する文章には、全真教南宗の系統の内丹法が引用されています。
全真教とは。
全真教(ぜんしんきょう)は、中国の華北の人、王重陽(1112年 – 1170年)が開いた道教の一派である。七真人(馬丹陽、譚長真、劉長生、丘長春、王玉陽、郝広寧、孫不二)と呼ばれる七人の開祖の高弟たちが教勢の拡大に努め、次第に教団の体制を整えました。
白隠禅師の丹田呼吸法
白幽仙人から「内観の法」「軟蘇の法」を学んだ白隠禅師の丹田呼吸法は瓠腹(ひさごばら)を重視した坐禅でした。活禅の源泉は、みぞおち下の括れ(くびれ)にあります。
みぞおち落としの体型による坐禅が心身に威力を発揮します。
白隠禅師の丹田呼吸法は、儒教・仏教・道教、三教の枠を越えて実践されていたので全真教南宗の系統の内丹法が引用されています。
白隠禅師自身は、精神衰弱を治療するために、養生法として丹田呼吸法を学びましたが、貝原益軒が述べたように、実際に武術に役立てるため、白隠禅師の丹田呼吸法を引き継いだ者がいます。
中西派一刀流を学び天真白井流を開いた白井亨(1783-1843)や北辰一刀流を学び無刀流を開いた山岡鉄舟(1836-1888)はその剣の修行において丹田呼吸法を重視していたのです。
また武芸者の理想の境地を描いたとされる「猫の妙術」の著者である佚斎樗山(1659-1741)は「天狗芸術論」で白隠禅師と同様の仰臥して行う丹田呼吸法を説いています。
この丹田呼吸法によって、身体にどのような変化がおきるのか、白隠禅師は丹田の観想を継続することで、身体の元気がいつのまにか腰から足裏までの間に充足して、下腹部がひさご(ひょうたん)のように丸くなって、糸をまきつける前の鞠のようになると書いています。
「一身の元氣いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然たる事、未だ篠打せざる鞠の如けん。 」(夜船閑話)
白隠禅師も瓠腹の丹田呼吸法によって、みずからの病を克服したのです。同時に禅の境地も一段と精彩を放ち、真の悟りに至ったのです。その禅風は全国に知られるに至り、禅風を慕って全国から雲水が参集したといいます。
まとめ
お釈迦様は、苦行を重ねてゼロから悟りに到達されました。高度の精神的境涯を得んとして、しなくて良かった苦行もたくさんあるはずです。数多い心身を痛める苦行のひとつが断息です。その無益さに気がついたのはやせ衰えた肋骨が露わになってからです。見かねた村長の娘から牛乳粥の供養を受けて心をこめた呼吸をしたのです。
これが有名なアナバーナ・サチなる呼吸です。娘は、お釈迦様を見たとき、この人を助けなければ」と思ったそうです。この心のこもった食事と呼吸で、白隠禅師同様にみるみる体力を回復したと言われます。その呼吸は、最初は吐く息、吸う息ともに全力だったそうですが、それには無駄があると気が疲れたのです。
そして、出る息は長く、入る息は短く・・・に切り替えました。すると、出る息だけに集中すれば入る息が自然と入ってくることに気がつかれたのです。この有名なアナバーナ・サチなる呼吸つまりスプリング式呼吸(バネ式呼吸)こそ、脳をはじめ60兆の細胞を活性化する磨きに磨き上げた丹田呼吸法です。
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