五蘊(ごうん)と空(くう)

ブッダ

空(くう)は重要な概念ですが、人生100年時代を生きる私たちにとっても、いま考えるべきテーマです。
なぜなら金融資産と無形資産に間接的に影響がありライフスキルを育む上で重要な概念だからです。金融資産をマネジメントできるのは相互依存の関係にある無形資産(変身資産・活力資産・生産性資産)です。
さらに無形資産は、ライフプランを達成するライフスキルと相互依存の関係にあります。
正しい相互依存の関係が成立できるのは、人生100年時代をどう生きるかという哲学と関係しています。

「一切皆苦」を解決するのがお釈迦さまのライフワークだった

三大究明

人が生きる上で、根本的な問いが3つあります。

  • 自分とはなにか
  • 生きるとはどういうことか(死ぬとはどういうことか)
  • 他者とはなにか

ブッダは「一切皆苦(一切行苦)」と答え、仏教における四法印(諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静の一つとして大事にされています。
苦でないものはないとして、初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」と「五蘊」について、しばしば説かれています。

五蘊の「蘊」(うん)とは「集まり」とかの意味です。
仏教では世界は五つの集まりで成り立っていると考えます。
その五つの集まりが、色・受・想・行・識です。

• 色 (しき) → 事物
• 受 (じゅ)→ 感受(印象)
• 想 (そう)→ 表象(イメージ)
• 行 (ぎょう)→ 意志(行為)
• 識 (しき)→ 認識(結果)

色・受・想・行・識

5 つのうち、「色」だけは物質的なものを意味する言葉です。
形あるものの全てです。

あとの「受・想・行・識」は「精神」の世界を意味します。

  • 「受」は、感覚とか知覚などの感受作用を意味します。
    暑いとか寒いとか、旨いとかまずいとかの五感による感覚です。
  • 「想」は、「受」で受けたものを心の中でイメージすることです。
  • 「行」は、イメージを意志に移行させることです。
  • 「識」は、蓄積された過去からの識とともに判断することです。

ところが「般若心経」は、この五蘊がすべて「空(くう)」であると説いています。

空とは、どういうことでしょうか?
空とはからっぽのイメージがあるので、「無」あるいは、なにもない意味と誤解されがちですが、そうではありません。
原始仏教では「無我」だったのが、大乗仏教になって「空」になったという説もあります。

無我と空は同じでしょうか?

ブッダが「空(くう」を唱えていた

空とは?

ブッダは生老病死という問題を根源的に克服できる道を求めて出家しましたが、縁起の道理に覚醒したとき、四苦を克服できるのは「涅槃」という境地に到達することであって、日常の経験を超越した自分が四苦を解決するのではないと悟りました。
そして苦しみの根源は過度な執着から生じるのだから、「涅槃」への到達のために無我・非我を説かれました。

ここから生じる誤解が、ブッダが説かれたのは無我であって、空という考えはブッダの原始仏教にはなかったという見解です。

縁起を悟ったブッダは、縁起にもとづき存在か非存在かというどちらかに偏ったものの見方をしない「中道」を説き、分別しないことを根拠に「無我(心身の諸法は我をもたないこと)」「非我(心身の諸法は我でないこと)」を自覚する重要性を説かれました。

初期の仏教では、ここにいう無我の意味で空を説いています。
空は大乗仏教になってから登場したわけではなく、ブッダの時代からすでにあった思想を、「諸法は固有・不変の本質をもたない」という意味で説いたという流れであることが分かります。

氷と水は同じか別か

水

空(くう)の語源はサンスクリット語のシューンヤで、「家に人がいない」とか「王国に王がいない」というような時に使われ、「期待される何かを欠いた」状態を示します。

氷と水の関係で考えると解りやすいでしょう。
氷が水からできるのであれば、氷と水が別とも同じとも、言うことはできません。そこには連続性もあり不連続性もあります。
状態や働きで名前も変わります。
このように、氷と水は同じか別かという問いに縁起の正しい捉え方が見えます。
『般若経』の縁起(=空)解釈こそが本来のブッダの教えに直結しているのだと論じたのです。

『般若経』では、この世の一切は物体という「色」と心である「受・想・行・識」で成り立っており、その全ての実体は「空(くう)」であるというのです。
それを悟ってこそ「一切苦厄」を「度」せるのであり、本当の安楽が得られるといいます。

空を悟る

ではなぜ、「空」を悟ることが救いになるのでしょうか。
人の苦しみ悩みのもとになるのは、「色」まず「肉体」にあると考えられます。
肉体は物質ですから諸行無常の道理に従って常に変化しています。病気や老化が無縁な人などいません。
肉体の変化による悩みや苦しみは、避けがたい宿命で必ずやってきます。人にとって病気や老化による悩みや苦しみはほんとうに辛いものです。

それと同じように心からくる悩みや苦しみはつらいものです。
そのすべては愛着への執着によるものです。それが、嫉妬、憎悪、貪欲を引き起こします。その苦しみ、悩みのすべては「受・想・行・識」の中で生まれるのです。

だとすると、人間生きている以上様々な苦しみから逃れることができません。これこそ人間の人間たる宿命なのです。
オオ、ワンダー!その現実のなかでブッダは、それでも救われる道を発見、実践されたのです。それが「悟り」です。

その内容が明示されているのが般若心経であり、その主旨は「五蘊は皆空なり」と悟ることです。
五蘊が空であることをしっかり理解できれば、「苦」そのものの実体などどこにも無いということがわかります。
一切が空である以上そこには「苦」など存在しないからです。

五蘊盛苦からの解放

五蘊盛苦

お釈迦さまは人生は全て苦であるが、その四苦八苦つまり「五蘊盛苦」から救われるには「五蘊皆空」と悟ることにこそあると説かれたのです。
そのためにはただただ「般若波羅蜜多」を「修行」することです。
これが唯一救われる「法」なのです。

そこで必要なのが、言葉で考えないことです。
事物に固有の本質はないけれど、そこに固有の本質があるかのような錯覚。それが錯覚にすぎないと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたのです。
ただし、空が正しく理解されるとには、錯覚が錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源である「阿頼耶識」に巣くう概念化した心の働きから解放されなければなりません。

言葉で考えない

それも言葉は不要です。実体のないものを言葉で作り出しているので、言葉で考えてはいけないのです。

ひたすら対象になりきればよいのです。
過去も未来も、いまここにはなく、あるのは「今」だけだからです。
その「いま」すら過去です。
対象になりきるとは、仕事中ならただ仕事になる。洗濯中ならただ洗濯になりきる。

人は年齢を重ねても、心は子どものときのままということが少なくありません。満たされた愛着関係を形成できなかった人は、いくつになっても煩悩から抜け出すことができず、なにごとにもなりきれないまま
人生の終盤でライフプランを破綻させます。

空の正しい理解がブッダ自身の本来の煩悩から救い出したように、人々を煩悩から解放することを願っています。

間違いのないファイナンシャルプラン、ライフプランを描いて効率的な運用ができるようにしていきたいですね。なりきって煩悩を焼き尽くしましょう。

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