自利利他と利他自利

悟り ブッダ
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自利利他の考え方が新型コロナウイルスのマスク問題で世界に広まっています。
自己防衛をすることで他者を守ることになるという考えです。

一方、利他自利という考えもあります。典型的な事例が自己犠牲です。

Naoman-Minoru
Naoman-Minoru

自利利他と利他自利、どう違うのでしょう?
仏教から誕生した言葉なので、仏教に聞いてみましょう。

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自利利他と利他自利は「教義の違い」から生まれた

ファイナンシャルプラン

自利利他は、ライフシフトに大きな影響を与えます。

自利利他と利他自利は「教義の違い」から生じています。
仏教の創始者ブッダは、自利利他を唱えました。
ブッダの入滅後分裂、解釈が分かれて、お釈迦さまのように精進するのは難しいと言う意見がでてきます。そこであなたの代わりに私たちが利を贈りましょう。という利他自利の考えが出てきます。

自分は親を送るまで、関心がありませんでしたが、葬式、戒名、お墓と続いていく仏教とのかかわり、一方で、墓じまいトラブル、戒名トラブルなどを見聞きする中で、嫌でも仏教への関心が強まりました。

やがて日本の仏教は、哲学と葬式仏教に分かれると考えるようになりました。

お釈迦さまは哲学者で、仏教は宗教ではないというのが自分の結論です。
ただし臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗
(おうばくしゅう)など一般に禅宗と呼ばれる宗派は、哲学だと感じます。

その一方で間違いなく現在、葬式仏教に分類される宗派もあり、自分には宗教であり、自分の関心外です。そのなかには哲学と呼ぶものもあるのでしょうが、まだまだブッダ(お釈迦さま)と禅宗で手がいっぱいです。

私にとってもっとも重要なテーマは人生100年時代をどう生きるかです。
無形資産に貢献する哲学として仏教の必要をアプローチしています。

もともとのいのちでライププランする

ブッダ=お釈迦さま

四門四遊

お釈迦さまは、王子だった身分を捨てて、出家して「一切皆苦」の人生の救済に取り組まれた哲学で「原始仏教」と呼ばれています。
お釈迦さまは一人で考え、弟子に教えを伝える場合は、One to Oneの口伝で、書いたモノは一切なく弟子たちがいろんな形で伝えてきました。

十大弟子

  • 舎利弗(しゃりほつ)・サーリプッタ
  • 目連(もくれん)・モッガラーナ
  • 摩訶迦葉(まかかしょう)・マハーカッサパ
  • 阿那律(あなりつ)・アヌルッダ
  • 須菩提(しゅぼだい)・スブーティ
  • 富楼那(ふるな)・プンナ
  • 迦旃延(かせんねん)・カッチャーナ
  • 優波離(うぱり)・ウパーリ
  • 羅ご羅(らごら)・ラーフラ
  • 阿難陀(あなんだ)・アーナンダ

お釈迦さまが入滅後、アベンジャーズアッセンブルではありませんが、散り散りになっている仏典を結集するも、上座部と大衆部で意見の違いからひとつにならず、西暦400年には上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教分裂します。

2〜3世紀になると、インド仏教の僧侶で大乗仏教の創始者である龍樹空の理論を中心にした「根本中頌中論)」を唱え、インド密教にある真言と融合して、ブッダの教えを部分的に否定した大乗仏教を体系化、般若心経が形成されます。

根本分裂といわれる意見の違いは、教義の違いもあり、広く伝えたい思いと景気が悪くなっていくインド国内で、仏教を支援する費用が厳しくなってきたことにも原因がありました。
仏教徒にとって、存続の危機です。いくら立派な教えでも、研究を深め、一人でも多くの人に分かるように伝え残していくには費用がかかります。

大乗仏教が、大きな船に乗れると主張するのは、「お布施」をもらってもいいという考えとセットだったからです。小乗仏教は否定的でした。

ブッダの思想を存続させるには、情熱と2つの条件のいずれか、あるいはひとつが必要でした。

・国が統治原理にするか、しないか(及び国の統治原理の優先度)
・お布施の力を活用出来るか、できないか

これらをクリアできるかどうかで、盛衰も変わってきます。

日本にやってきた大乗仏教

唯識

日本に渡来した大乗仏教は、時間の経過と共に、さらに分派、変容が生じ、代表的な仏教経典としては、般若経、法華経、浄土三部経、華厳経、(大乗の)涅槃経、大日経、金剛頂経などが挙げられます。日本の宗派(禅宗含む)はすべて大乗仏教で、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、臨済宗曹洞宗黄檗宗の13宗があります。

600巻の経典を262文字にした般若心経

玄奘三蔵法師

『西遊記』でおなじみの中国の僧侶「玄奘三蔵法師」が、インドから持ち帰った経典の翻訳に人生を投じて大きな影響をもたらします。
玄奘自身は、明確に特定の宗派を立ち上げたわけではありませんが、玄奘の教えから誕生した瑜伽行唯識派が唱えた唯識思想ともたらした経典は、中国・日本(法相宗)の仏教界に大きな影響を与えます。

大乗仏教の基盤となる『大般若波羅蜜多経』(だいはんにゃはらみったきょう)通称『大般若経』(だいはんにゃきょう)略称『般若経』がそれで、全16部(会)600巻に及ぶ膨大な経典です。日本の大部分の宗派はこの経をその教義の基礎と位置づけて使用しています。
「般若心経」は600巻の般若経の核心を262文字にして超簡潔に表現しています。

般若心経では、冒頭に
(ブッダによって)なんとワンダフルでクレイジーな涅槃に渡る智慧!存在するものには五陰(ごうん)があることを見極めたが、そのすべては空であることを覚醒された。悟りによって一切の苦しみを乗り越えられた!
という、観音する人に向けたブッダの紹介からはじまります。

観音さまといいますが、「音を観る」という意味なので、不思議な人ですね。一般に音は聴くものです。つまり五感。視(目)・聴(耳)・嗅(鼻)・味(舌)・触(身)の感覚の分別に捉われず、俯瞰して真実を認識する存在というような意味になります。

仏教では五陰(ごうん)つまり5つの方法があると説きますが、五感はそのひとつに過ぎない。色(物質)、受(印象・感覚)、想(知覚・表象)、行(意志などの心作用)、識(心)の五つを総動員、分別せずに、捉われない心(クレイジー)に、真実の認識にあたりなさいという教えをビジュアル化したものが観音像ということです。

般若心経

摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
度一切苦厄(どいっさいくやく)
舎利子(しゃりし)
色不異空(しきふいくう)
空不異色(くうふいしき)
色即是空(しきそくぜくう)
空即是色(くうそくぜしき)
受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
舎利子(しゃりし)
是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
不生不滅(ふしょうふめつ)
不垢不浄(ふくふじょう)
不増不減(ふぞうふげん)
是故空中(ぜこくうちゅう)
無色(むしき)
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
無限耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)
無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)
無眼界(むげんかい)
乃至無意識界(ないしむいしきかい)
無無明亦(むむみょうやく)
無無明尽(むむみょうじん)
乃至無老死(ないしむろうし)
亦無老死尽(やくむろうしじん)
無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
無智亦無得(むちやくむとく)
以無所得故(いむしょとくこ)
菩提薩埵(ぼだいさつた)
依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)
心無罣礙(しんむけいげ)
無罣礙故(むけいげこ)
無有恐怖(むうくふ)
遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
究竟涅槃(くうぎょうねはん)
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)
得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみった)
是大神呪(ぜだいじんしゅ)
是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
是無上呪(ぜむじょうしゅ)
是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
能除一切苦(のうじょいっさいく)
真実不虚(しんじつふこ)
故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみったしゅ)
即説呪日(そくせつしゅわつ)
羯諦(ぎゃてい)
羯諦(ぎゃてい)
波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶(ぼじそわか)
般若心経(はんにゃしんぎょう)

葬儀で僧侶が唱えるお経が般若心経です。
歌うように言葉を伸ばしながら唱えます。読み方は宗派で違います。

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大般若経(般若経)』で強調される「空」の概念を説明し、諸宗派に影響を与えます。「空」の理論を大成したのは2世紀から3世紀に活躍した龍樹で『中論』などの著作によって果たされました。龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証。この因果関係を「縁起」としてブッダは説いています。因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」はないことを明かしています。

4世紀に入ると、瞑想(ヨーガ)を通じて心の本質を見る、瑜伽行唯識学派が登場、中観派とともにインド大乗仏教の二大流派を形成するようになります。瑜伽行唯識学派は弥勒を祖とし、無著と世親が教学を大成します。(無著に先行して唯識説を説いた論師がおり、その者を弥勒と解するのが一般的)

自利利他と利他自利

人生はエンドレスにワンダフル

ブッダは自利利他を説かれました。
自利利他は自らの悟りのために修行し努力することが、他の人の救済に尽くすことになる。という教えです。
スティーブ・ジョブズの場合が自利利他です。

 

これに対して大乗仏教である『大般若経』では、利他自利と説きます。
他者に尽くすことで、功徳が自分に返ってくると説きます。
その理由に「ブッダのような努力は普通の人にはとても難しく悟りを得られる人は数少ない」という現実を指摘します。自分を変えるより、因果を変える考えをとります。

これはお布施を集めるの適した考え方だと思いませんか。
タイは上座部(小乗)仏教ですが、統治原理として有効に作用、素敵に機能しているようです。(時には逮捕される僧侶もいますが)

般若心経も、ブッダの教えを継承していますが、原始仏教と比べると判りやすくなっていて、大胆にブッダを否定していたり、違っています。

自分を変えるより、因果を変える

ブッダ

日本に於ける仏教は、土着の神々への信仰に被さるように、人を救う学問として、統治教理の役割を果たして、やがて民衆に広がるにつれ、江戸時代になると家制度と一体となって「檀家制度」が敷かれました。明治元年になると神仏分離令が発出されました。

家制度は戦前でもって崩壊しました。
いまは抜け殻に近い家制度が細々と受け継がれています。

1990年以降、葬儀の中心は葬儀センターのようなところで行われるのが一般的になりました。そこに僧侶も呼ばれるようになりました。葬儀会社は本来レンタル業ですが、いまは人材派遣でスタッフを賄っています。
控室で待つ僧侶の心中に想いを飛ばしてしまいます。

自分を変えるより、因果を変える・・・利他自利を超えてこの発想は大事ですね。自利利他と利他自利。いのちは自分の生き方にあります。

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まとめ

仏教の修行者や求道者がみずから修行を積んで自身がその結果を得るものを自利といいます。自利利他は修行を積んで自分を高めることが他者の利益になると考えます。
これはブッダの教えですが、ブッダを基本にしながらも部分的にブッダを否定した大乗仏教、たとえば『大般若経』では、部派仏教の考え方であると否定します。

これに対し大乗仏教では,利他自利は、生きとし生けるものの救済のために実践するのを利他といい,船にたくさんの人を乗せられる(=大乗)、自利と利他との完全な調和に大乗仏教の目的がある。としたのです。

 

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