脚下照顧|3つの視点でリフレクションから「自分忘れ」

自分忘れ ブッダ
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宇宙船地球号に乗ったら「玄関の秘密」に興味ありませんか?

玄関が、愛と友情、人の役に立つなら聞きたいね

三宝院沙門
三宝院沙門

マスク様みたいに「自分忘れ」しますよ

玄関の靴は揃えて脱いでありますか?
シーズン外れの靴は置きっぱしになっていませんか?
玄関が乱れているのは、心が乱雑になっている証拠です。
人生は玄関からはじまります。
玄関に向き合うあり方(構え)がスキル、マインド、身体を鍛えるからです。

  • 常識や前提にとらわれず、ゼロからイチを生み出す能力
  • 夢中を手放さず一つのことを掘り下げていく姿勢
  • 普遍的な社会課題を解決する意欲
三宝院沙門
三宝院沙門

こんにちは、自分忘れ、人生100年時代の曼荼羅で、あなたの望みを叶えるゲンキポリタンの三宝院沙門です。宇宙船地球号に乗って<未来人材ビジョン><社会人基礎力>をアップデートする自分忘れの秘密を玄関の秘密と併せてお話するので、曼荼羅に付け足してくださいね。

宇宙船地球号の乗組員は心は身体で作られることを知っています。
玄関は通り抜けるたびに、薫習してくれるありがたい場所です。
玄関を神が通過できるようにするのは、住人にしかできないことだからです。

なぜ玄関に注目するのか

玄関

モテるヒトには共通したオーラがあります。モテるヒトには見習うべき点がいくつもありますが、本人さえ気がついていない独特の共通しているオーラ要素があります。それはモテるヒト自身が薫習によってしか、身につかないことを身につけてきたことです。
薫習とは、自分の行為が、心に習慣となって、香りのように、個人の人格に染み付き、その人の雰囲気になり、他者に影響を与えること。モテるとは、身体が発する影響のひとつです。

  • 私もOK,あなたもOK(自他肯定)をライフスタイルにしている
  • 身体を通して自利利他を貫いている
  • ロジックコミュニケーションをするので、話に説得力がある
  • チームワーク&共同体の本質を理解していてチームで働く実践している
  • 規則正しい、健康的な暮らしを実践している

要約すると以上です。自利利他とは、自らのメリットに努力することが他の人のメリットになっている意味です。要約を分解すると、以下が主な詳細になります血の通った人間に実装したことがいちばんモテる要因です。

  • 礼儀正しく、挨拶ができる
  • マナーやモラル、ルールを守る
  • 謙虚で腰が低い
  • 優しくて思いやりがある
  • 勉強や仕事ができる
  • 笑顔が魅力的なムードメーカー
  • 努力家である
  • 我慢強い
  • 冷静沈着である
  • 家族や友人、恋人、共同体を大切にする
  • リーダーシップをアップデートしている
いいことは誰でも言えますが、嘘でないことは身体から発せられます。日常的に自らが身体で受け止めていたら、身体から発せられたことかどうか認知できます。つまり自らが身体で受け止めていなければ、相手の身体から発せられたことかどうか見分けができなくなります。<因果応報>というやつです。では、玄関から入ります。

玄関ってなに?

宇宙船地球号玄関(げんかん)の語源は、寺院にあり、玄妙(奥深くてすぐれた)な道に進み入る関門、すなわち仏門にはいる入り口を意味し、転じて寺の書院の入り口を指すようになったものです。転じて一般家庭の家の「玄関」になりました。

寺の書院は、学問をしたり講義を聞いたりする場所ですから、むやみに人を入れるわけはいかないようです。玄関払いという言葉があるように、現在も出家する際は、玄関で時間をかけて真意を確かめられます。不退転の決意があると見なされるまで部屋に通されることはない、神聖な場所です。

玄関の役割

上の画像は江戸時代の下級の武家屋敷の玄関。テレビドラマ『必殺仕掛人』の主人公、与力同心、中村主水の家ぐらいです。衝立(ついたて)で目隠ししている三畳程度の「衝立の間」と呼ばれるもの。位があがると家の大きさに比例して衝立の間も広かったようです。

玄関を制すると家を制し、人生を制する?・・・玄関の役割は超大きいのです。

玄関は靴を脱いだり履いたりする場所ですが、短時間の用事の来客を室内に招かず、玄関で用件を済ませる場所を兼ねています。玄関は家の顔とも言える部屋なので、玄関のインテリアは重視される傾向にあります。玄関から繋がる廊下やリビングとの間にドアが無い家では、来客から部屋の中が見えないようにのれんなどで工夫されます。なにより清掃の行き届いた清潔さが大切です。
私は神様が通る入口だと決めてシンプルさを大切にしています。

玄関の清掃

清掃は、内と外を分ける国境のような境界線を神聖に保つための行いです。
禅語「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」とは、自分の足元をよくよく見よという意味で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。
自分の立っているところがどんなところか、よく振り返って考えろという教えです。
私たちは自分の行い、自分自身を振り返っているでしょうか?振り返るとき、何にまなざしをどのように向けているでしょうか?

振り返る3つの視点

リフレクション
人生100年時代の社会人基礎力』である<3つの能力/12の能力要素>を学んで、どうしたいのか。学びから行動するために、どのように学ぶのか。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)の言葉通り、覚悟を見極めるようにしたいものです。

玄関に入ると、そのお家のありようが一目で掌握できます。靴を揃えて脱いでいる、傘が整えて置いてある、夏、冬の季節感がある。必要以外の物が置かれていない、整えてある玄関は、心がどこにあって、どこを向いているかを伺い知れます。そこまでは多分大半の家庭で整理整頓されています。

般若のゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)は、その先があります。
清掃。清潔が習慣になっていれば深層にある記憶の貯蔵庫<阿頼耶識>にふさわしい凛とした空気が漂っているはずです。

玄関ひとつとっても、そこには住人の考え方がります。それを決めるのは住人に許された自由です。

具現化したものが毎朝の清掃

薫習(くんじゅう)という言葉があります。主に浄土真宗で使われる言葉です。
自分の行為が、心に習慣となって、香りのように、個人の人格に染み付き、その人の雰囲気になり、周りの人に影響を与えます。他者は、香りを嗅ぐように、その人の人格から、知らず識らず、色々なものを感じ取ります。
正聞を薫習に置いて、「正聞薫習(しょうもんくんじゅう)」と読みます。
整理、清掃、清潔に磨かれた空間で身辺を整えて、般若の呼吸で、身体に落ち着きを引き寄せ、正しい教えを繰り返し香りのように聞くことで潜在意識の一番深いところにある<阿頼耶識>に記憶され、正しい教えが身につく意味です。
「社会人基礎力」で、経産省が後から追加した<3つの視点>、①何を学ぶのか、②どう活躍するのか、③どのように学ぶのかを、<3つの能力/12の能力要素>に掛け合わすことで、<3つの能力/12の能力要素>をどう育むのか、より明確になります。

「正しい見解」を薫習する

3つの視点>、①何を学ぶのか、②どう活躍するのか、③どのように学ぶのか、自我のフィルターを通さずに見る習慣を身につけましょう。

三宝院沙門
三宝院沙門

ガラスの曇りって、自我執着心そのものです。
執着心が邪魔をして、ありのままに見えない。
認知の歪み>を正すのも執着心を取り除くしかありません。

ヒトは自我を通して見ます。ガラスが汚れていたら、物事がありのままに見ることができません。
ガラスを磨く習慣を身につけることは、ありのままに見ることを薫習することに繋がります。
つまり自我を忘れて作業に熱中し、ガラスの存在を忘れるほど、透明なガラスにする作業に打ち込んでください。
ガラス磨きは新聞紙が最適です。布は布クズが残りますが、水を含ませた新聞紙なら残りません。必ず縦に拭いたら、今度は横に隅まで拭きます。
自我を忘れる、つまりガラス磨きを通じて、自分を忘れる体験を習慣にします。ガラスが綺麗になった以上に、自分を忘れたよろこびを体験します。

自分よさらば。だな

人生100年時代の社会人基礎力

大切なのは「自利利他」であること

自利利他

上の図、自利利他に変わっている点にご注目ください。

大切なのは、玄関の清掃も、ガラス磨きも「自利利他」であるかどうかですね、作業自体は同じでも、目的は自分のあり方で決まります。<3つの能力/12の能力要素><3つの視点>にもいえることです。

時間があれば掃除が いちばん暮らしに良い効果をもたらしますね。身体が気持ち良いを記憶します。その記憶の集積が、次の気持ちが良いを求めますが、依存症と違うのは「健康的かつ建設的」だということです。なのでますます気持ちがいい。でも身体に負担を強いるやりすぎに注意です。「自利利他」の範囲でOK。気持ちがいいから、繰り返しやりたくなるので、自分忘れになります。

出た!自分忘れ!

山の中に丸太で組んだ家を建てて、世間と没干渉の生き方も素晴らしい。お坊さんのような境地になるでしょう。だけど、一般社会で暮らしてきた俗人はそれで満足することはない。奥さん孝行するのも楽しい家庭になって素晴らしい。
しかし俗世間で働いてきた男でも女でもおかしくなります。
俗世間で働くということは、犯罪者でもない限り、どっちみち協働なんです。それに背を向けて働くことなんかできないのです。
人は働くことによって、社会につながっている。仕事には必ず相手がいて、相手を喜ばすということが目的にある。喜びを分かち合うことで、自分の喜びも増えるのです。
自利利他」というのは自明の理なんです。「自利利他」を心がけていると執着心がどんどん削られて、価値観も本質を大事にするようになっていきます。

なぜ、自分の家の掃除で「自利利他」になるんだい?

ヒトは<一人一宇宙>だけど、「集合的無意識」で繋がっているので、「人の役に立ちたい」という意識が連鎖するんだ。銃弾は憎悪の連鎖を生むが、雑巾は「し合わせ」の連鎖を育てるのさ、みんな宇宙船地球号の乗組員だからね。

映画『マトリックス』の公衆電話ボックスがネオたち反乱軍の入口だったように、玄関が宇宙の入口だったのか!

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人生100年時代の社会人基礎力

まとめ

般若のゴエス脚下照顧(きゃっかしょうこ)」常に自分の足元を正し、「正聞薫習(しょうもんくんじゅう)」繰り返し繰り返し、反省、どこに向かっているかを確認するためにも、正しい教えを反復する。もうたっぷり飽きてしまったことを反復する。

来る日も来る日も掃除を繰り返す。毎日を習慣にする。とても初心の繰り返し。無我夢中になれるはずがないことを繰り返す。飽きてしまったことを飽きずに繰り返すうちに、自分を忘れてしまうほど飽きるほど繰り返す。<般若のゴエス>は飽きてからが飽きるほど繰り返します。<社会人基礎力>だって同じです。加速度的に落下していく日本、飽きていないから加速しています。落下を止めるのは飽きるほど<自利利他>を繰り返すことです。

人生100年時代の社会人基礎力

ゲンキポリタン大学

ゲンキポリタン大学

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。

「社会人基礎力」(全6回)

GTD®勉強会

コラム 自我と交流分析

関連サイト

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