こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
ゲンキポリタン10の約束の10番目は、マトリックス(仮想空間)からの脱出です。
ほとんどの方は現実空間に生きていると思っていますが、実はどんでもない勘違いです。
ほとんどは他人が作った物語に一喜一憂して、じぶんの世界を生きていないのです。
たとえば真言密教の開祖「空海」はどうでしょう?
当時官僚をめざして大学に入りますが、自分のような地位の者は頑張っても上位にはなれないと判断して大学を辞めて、天皇を弟子にすると心に誓い、出家して唐に留学します。そしてなんと誓いを現実にして1200年経ったいまも生きていると言われる存在になってしまったのです。これこそが自分の物語を生きた最たる見本。
今回はゲンキポリタン10の約束の10番目「マトリックス(仮想現実空間)からの脱出」するためにしているルーティンワークについてお話します。
ゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシー
ゲンキポリタンとは、ひとことでいうならゲンキな人。
100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレスにワンダフルを実践する人です。
コスモポリタンが、民族・国籍・言語・宗教などにはこだわらないで、全世界を自国と考えている世界主義者であるように、ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。
ゲンキポリタンには、ゲンキポリタンであるために自分に約束する10のポリシーがあります。
ゲンキポリタン 10の約束
10の約束を身につけるのにルーティンワークしますが、「マトリックスから脱出する」ためにしているルーティンワークについて進めます。
「マトリックス」の語源は「子宮」
SF映画の金字塔「マトリックス」の語源は「子宮」(ラテン語Mater母+ixに由来するMatrixの音写で(英語では「メイトリクス」)、そこから何かを生み出すものを意味します。映画では「仮想現実空間」をさしています。「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」と違和感からはじまる物語です。
実際にハーバード大学の調査では一日の47%が過去と未来に思いを馳せ、脳は映画さながらに現実(いまここ、この瞬間)に生きていないことが証明されました。いわゆるマインドワンダリング(雑念)に生きる状態です。その対策に「グーグル」「アップル」などIT企業を筆頭に「マインドフルネス」の導入が展開されました。
マインドフルネス
マインドフルネスといえばマインドフルネス瞑想が有名です。
目的は「雑念から離れて、いま、ここ、この瞬間に集中する」ことです。
瞑想はその習慣づけのためのトレーニングに使います。
最初は論理的に、やがて無意識に近い形でも自然とできるようになってきます。
慣れてくると、主体的に、いつ、どこでも、どんな状態でも「いま、ここ、この瞬間に集中する」ことができるようになります。
いつ、どこでも、どんな状態でも「いま、ここ、この瞬間に集中することができると生産性は飛躍的にアップします。なにしろ一日の半分は心ここに在らずで生きているのですから、主体的にマインドフルネス状態で暮らせば効率アップは倍どころでありません。
自分を極める!空海、自分の現実を生き抜く才能
弘法大師空海(774〜835)と言えば真言宗の開祖としてよく知られていますが、並外れた天才ぶりに、日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は、次のように評価されています。
「一言で言い表せない非常に豊かな才能の持ち主、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた万能の天才」と尋常でない驚きを表現されています。
- 僧侶
- 詩人
- 編集者(漢字辞典・梵字解説書)
- 教育者(日本初の総合大学を創設)
- 書家
- アーティスト(曼荼羅)
- デベロッパー(治水事業)
- 文筆家
- パフォーマー(布教活動)
- プロデユーサー
自分を極めることで、ざっと、これだけでも10の分野で超一級の才能を発揮しています。
つまり空海のすごさの何よりは、他者の判断に委ねず、自らが主体的に自分の現実に取り組んだ結果です。
自分の判断、自分が作る物語が、自分の現実世界です。
人は、自分の魂がなければ、なにひとつトッピングできないのです。
空海の経典に空海の生き方がある
空海は生涯を通じ十巻からなる大作『秘密曼荼羅十住心論』を晩年に完成させておられます。
『秘密曼荼羅十住心論』は真言密教の教学の集大成とされているもので、略して『十住心論』と表現されることもあります。(要約本に『秘蔵宝鑰』があります。)
内容は人の心の成長を10段階であらわしたもので、それぞれの段階に宗派があります。つまりすべての宗派を網羅することで、既存の宗派を超えたとアプローチしています。
ポイントはお釈迦様のように0から生み出したものではなく、すでにあるものをアレンジして自分の世界観を完成させたことです。ここにプロデユーサー空海の空海らしさがあります。
つまりプロデユーサー空海の真骨頂は出したい結果から逆算して、ないものをつくりあげる能力です。他者の現実ではなくマイスタンダード(自分の現実)を生き抜く才能こそ生き字引として輝いているのです。
この基軸になっているのが、『秘密曼荼羅十住心論』です。
『秘密曼荼羅十住心論』の第一住心では次のように釘をさしています。
『秘密曼荼羅十住心論』第一住心
第一住心
異生羝羊心 (いしょうていようしん)
「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず。但し淫食を念ずること、彼の羝羊の如し。」
ぼんぷきょうすいして、わがひをさとらず。ただし、いんじきをねんずること、かのていようのごとし。」
無知なものは迷って、自分の迷いを悟っていない。
雄羊ように、ただ性と食を思い続けるだけ。
禽獣の如き心の段階をいい、欲望のあることを知って、その欲望の意味も調整する方法も知らない。
まさに十二縁起の『無明』の状態です。
人間以前、倫理道徳以前の状態。性交、愛欲。衣食住のことしか頭に無く、何も考えず本能のままに生きている。つまり無明の闇が最も深い状態(常態)であることを意味します。
動物のように、欲望のままに生きる心。 善・悪を弁えることのできない迷いの心。
自我に囚われ、自己所有への執着を常に胸中に懐いている状態。
「喩えば獣が陽炎を追って水をもとめ、(蛾が)華やかな火に飛びこんで身を焼くようなものである。さながら雄羊が水草や婬欲のみを思っているのと同じであり、さてまた無知な子供が水に映った月を欲しているようなものである。」
『十牛図』の①尋牛(じんぎゅう)の状態です。
公案は「牛が逃げているとはどういうことか?」です。
答えは「倫理道徳以前の状態にあり、本性から遠く離れた状態、つまり「自分がいない」ということになります。
「すべての衆生に愛の心」をマイスタンダードにする
第六住心では、他縁大乗心(たえんだいじょうしん)を主張しています。
他縁大乗心とは、
「無縁に悲を起して、大悲初めて発る。幻影に心を観じて、唯識、境を遮す。」
むえんんいひをおこして、たいひはじめておこる。げんえいにこころをかんじて、ゆいしき、きょうをしゃす。
すべての衆生に愛の心を起こすことによって、大いなる慈悲がはじめて生ずる。
すべてのものを幻影と観じて、ただこころの働きだけが実在であるとする。
他者を救済するために慈悲の行いを実践する大乗の「菩薩」の段階(法相宗)を第六段階としています。
第六住心の状態とは、『十牛図』でいう⑥「騎牛帰家(きぎゅうきか)」です。
公案は「牛に乗っているとはなにか。」です。
十牛図では、牛は本当の自分なので、自分が自分に乗って自分を動かしていることになります。つまり一体になっている。
第六住心では、菩薩の境地で暮らせば菩薩になる。と伝えています。
他縁とは、縁に囚われず、慈悲の心を全ての人に起こし、他者の救済のためにはたらく心。菩薩、つまり、ここにいう他縁乗とは、すべての人たちをみな同じく救済しようという大きな誓いをおこして、生きとし生けるもののために菩薩の道を実践し、不信心の者や声聞・縁覚のうちまだ安らぎの位にはいらない者をも、心服させて大乗の教えに入らしめる。
菩薩は、幻や陽炎のように、あるように見えて実際には存在しない心のありかたの観察にひたすら意をそそぐ。菩薩は、心のみが真実であり、心に映ったさまざまな映像は虚妄であると悟る。「唯識」(この世にはただ認識をすることのできる主体=八識だけが存在するという考え方)そしてことばも文字も離れた境地に、平穏無事の風をあおぐ。
唯一真実の台に両手を組んで敬礼し、真理の世界に安らぐ菩薩の心の状態。ただ、その修行には無限に長い時間がついやされる。
つまり入り口は、偽善であっても、無限に長い時間を費やせば本物の善になる・・・偽りも続ければマイスタンダード(自分の現実)になっていくことを承知して、人の暮らしの楽に尽くすことをルーティンワークにすれば本物になる。
空海のプロデユースで生まれた空海伝説
空海は入定後、921年に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号を授けられています。
杖で突くと水が湧き出たなど、「空海伝説」といわれる多くの超人的な逸話の数々は誕生秘話にはじまり生涯にわたっています。
また、なくなっても「お大師さま」として信仰の対象となり、全国に「弘法伝説」が語り継がれました。その数の多さに、空海が影武者的に多数存在した、空海と弘法大師が別人物であると考える人もいたといいます。これらの伝説を各地に広めたのは「高野聖」と呼ばれる鎌倉時代以降に全国を勧進遊行した高野山の僧とされます。
彼らによって、真言密教を体系化した実在のプロデユーサー空海とは異なり、信仰の対象としての「弘法(大師)信仰」が生まれたといえます。
弘法大師ゆかりの霊場は「弘法大師霊場」とされ、「四国八十八カ所」をはじめ全国に存在しています。心の拠り所となった霊場は、現在でも多くの人々が巡礼しています。
誰も歩もうとしない道に野望をもって踏み込んだとしても、自分を全身全霊で捧げたとしたら、最初は偽善でしかなくても、やがて内なる善が自分を染めていくでしょう。やがて人々が支えてくれるように発展していきます。
まとめ
他者の現実、他者のスタンダードに生きるのではなく、自分の現実、スタンダードに生きるようにしましょう。
そこで重要になるのが、慈悲・慈愛、他者との関係性です。
空海は、自分の現実を生き抜きましたが、他者への慈悲・慈愛が基軸になっていました。
自分さえよければいいというのは、単なるわがまま。
世の人々の暮らしを楽にしたいエネルギーを持って続ければ、少し遅れて大義に育っていきます。育った大義は、やがては人が支えてくれるようになっていきます。彼らが諦めていた彼らの望みだからです。
共有、共感はそれを届けたいと行動する人の心のみが真実なのです。
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