考えるな、感じろ。100年ライフは無意識にまかせる。

潜在意識の大掃除講座 マインドフルネス
ミノルさん
ミノルさん

こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるミノルさんです。

ゲンキポリタンとは、ひとことでいうならゲンキな人。
100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレスにワンダフルを実践する人です。

コスモポリタンが、民族・国籍・言語・宗教などにはこだわらないで、全世界を自国と考えている世界主義者であるように、ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。

特別な一日を愛するゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシーがあります。

ゲンキポリタン 10の約束

  1. マインドフルネスで整える
  2. 哲学する
  3. 「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
  4. ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
  5. マトリックスから脱出する

今回は、平凡な一日を特別な一日にするために「考えるな、感じろ」について、お話しします。

顕在意識と潜在意識

潜在意識と顕在意識

人間には顕在意識と潜在意識があり、顕在意識の働きは少ない。三日坊主はその典型です。

自分を動かしているのは潜在意識で、潜在意識と顕在意識が同じだった時に、人は力を相当に発揮します。有名なアスリートは幼い頃から当該スポーツに関心を持ち、練習は苦しくても楽しいのは顕在意識で将来をイメージできるからです。

潜在意識と顕在意識が一致しない時には、潜在意識は鎖に繋がれているような状態なので、努力のわりに成果は乏しくなります。身が入らないのはなまくらというわけではないのです。

「身が入らない=なまくら」というのは、人間が作った物語です。
勝手に作った物語に支配され続けると、否定の連鎖の罠に陥り、人生を台無しにしてしまいます

潜在意識を動かしている超意識

実は顕在意識と潜在意識の間には、もうひとつ「超意識」が存在していて、「超意識」が顕在意識と潜在意識を繋ぐ役割をしています。
行動を起こす時、最初に動くのが「超意識」です。
「超意識」が動いた後に潜在意識が動き、顕在意識が働き出すという構成です。

私たちは、意思を働かせるにしろ、感情が動くにしろ、まず知覚から始まります。
感覚器から脳へ情報が伝達されると、脳には対象の概念的な像が作り出されます。

私たちは、いったん対象が知覚され、認識されると、意思を働かせる反応、感情的な反応が起こり、次にその反応が身体的な反応を生み出すのだと、私たちは思い込んでいます。

つまり身体を動かしているのは、自分の意思だと思い込んでいます。
感情を働かせているのは自分だと思っています。

しかし実際は逆で、身体的な反応、感情的な反応が起こった後に、意思や、感情を認識するのです。

「超意識」こそが「もともとのいのち」の魂ではないかと思うことがありますが、科学的に解明されていないものが「人間」には、いくつもあります。
原始仏教は輪廻転生を否定していますが、魂は生き続けているのではないかと経験で思います。
魂と超意識がミステリアスな謎です。

動きの順番は超意識→潜在意識→顕在意識ですが、位置関係で見ると次の図のようになります。

ループが止まらない怒りと煩悩

潜在意識の大掃除講座

人は1.5歳までに人間関係のあり方を決めると言われています。
人間関係のあり方を決めることは、人生ストーリーの脚本を決定づけるということに他なりません。

字も言葉もわからない子どもになぜそんなことができるのかと思いますが、字も言葉も、人間が作ったもので、人間はそれらが誕生する前から活動していました。

だから子どもが「愛着」を基準に決めたことは不思議でもなんでもありません。
愛着とは、保護者や保育者など養育者との間に生まれる心の絆です。
愛着の絆が弱いと怒りから対人関係に否定的になります。

さらに養育の過程で禁止令を受けるので、意欲が折られてたり、歪んだ認知をしてしまいます。

100年時代のライフプランを破壊する13の禁止令
禁止令とは「閉じ込められた世界」にいるようなものです。禁止令の外の世界はどうなっているのかと疑問を持つのが気づきです。 気づけば、疑問をクリアするために、壁、扉の向こうに行くと外の世界を知ることができます。外にあるのはライフプランです。認知の歪みと禁止令が埋め込まれた人生脚本から脱却するもっとも効果的な方法を提案しま...

否定的な感情は繰り返し起こるので、自動思考的にどんどん生み出され循環します。

こうして、どんどん「もともとのいのち」はダメージを受け続けます。

超意識こそ「もともとのいのち」

もともとのいのち

「もともとのいのち」は誕生する前から「生きたい!」と思って胎内で育つ前から活動しています。

自然治癒力があることは、ほんんどの方は知っています。
しかし顕在意識でいくら働いて欲しいと願っても自然治癒は起こりません。
まるで「自分」に目もくれず働く時は働いてくれます。

顕在意識でも、潜在意識でも、働いてくれないのはなぜでしょう?
自然治癒力は、腸や脳、細胞のネットワークなど別の意識(超意識)で働いています。

どうすれば超意識にメッセージは届くのでしょう。
緊張から離れてリラックスした状態。
マインドフルネスな状態で超意識になりきってみましょう。

考えるな、感じろ。

言葉でなく、超意識を繰り返し使って届けるのです。
朝起きた時や寝る前に、マインドフルネス瞑想をするような状態で実際にやってみましょう。

まとめ

思考は言葉で行われます。思考は感じたことを制約する作業です。
明確にできるので、自分にも他者にもわかりやすく伝えやすくなります。
欠点は、極端化してしまいがちです。
白か黒。右と左。二分法的思考になる危なさがあります。
しかし、気づきは違います。
部分に特化せず、全体像をイメージでとらえあるがままを捉えます。

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「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着から離れるにが、いまの自分が書いたライフプランを掲げて達成に邁進する必要がありま...
誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
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誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります。 十二縁起には成長する手順と因果関係が説明されています。
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誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放されたのです。内面から湧き出る仏性で共感を悟れるのです。
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