マインドフルネスで「無」と「空」を整える

随所に主たるマインドフルネス マインドフルネス
ミノルさん
ミノルさん

こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるミノルさんです。

ゲンキポリタンとは、ひとことでいうならゲンキな人。
100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレスにワンダフルを実践する人です。

コスモポリタンが、民族・国籍・言語・宗教などにはこだわらないで、全世界を自国と考えている世界主義者であるように、ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。

特別な一日を愛するゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシーがあります。

ゲンキポリタン 10の約束

  1. 哲学する
  2. 「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
  3. ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
  4. マトリックスから脱出する

今回は、「マインドフルネスで整える」について、お話しします。

「無」と「空」を理解しよう

十牛図

マインドフルネスってそもそもなんでしょう。
「心が満ちる」と訳される方もいますが、どういう状態か具体的にわからないですよね。
マインドフルネスとは、「状態」で、どんな状態かといいますと「対象になりきった状態」です。

瞑想している瞑想になりきった状態、掃除しているなら掃除になりきった状態。
料理中に「あなたは誰ですか」と問われたら「私は料理です」と返事する状態です。
だから「私(たとえばミノルさん)はいません」。。。無です。料理に乗り移っているので無なのです。

無に似た言葉に「空(くう)」がありますが、無も空と同じと言えば同じですが、少し違います。
空とは表現できないもの=「可能性」と捉えるとわかりやすいでしょう。
なんにでもなりきる可能性です。空とは「もともとのいのち」のあるがままの状態=なんにでもなりきる可能性のある状態です。

無(十牛図の7番目)空(十牛図の8番目)の状態になる一歩手前の状態です。
可能性とはなんにでもなれることですが、なんにでもなれるには、Aである可能性もAでない可能性もある状態でないと、なんにでもなれません。であるからになれるのです。

誰も言わなかった禅「十牛図」七の忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「十牛図」七番目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」は。悟ったことさえ気にしない、何ものにもとらわれない本来の自己になれたことを表しています。気づけば、悟ることができる。その悟りさえ気にならない一体となった状態は、執着のない、慈愛(共感)そのものです。
誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もうそんな無駄なことをしなくても、やりがいも生きがいも自分のうちに全部揃っています。

マインドフルネスにできること

マインドフルネス実践講座

マインドフルネスは対象になりきった状態なので、一日中が諸行無常。
できることは時間と共に刻々と変わります。あなたは川を流れる一滴です。一滴の水は流れている景色を反映して何色にも染まりますが、もともとは透明です。これがもともとのいのちです。

マインフフルネスになりきった状態では「もともとのいのち(=本性)」になりきった状態なので、どのような悩みも消し去ります。
従って万能薬のように、以下のような基本的な課題が浮かぶ上がります。

  • マインドフルネスはトラウマ配線をつなぎ直します。
  • マインドフルネスは極めて有効な「ストレス低減法」です。
  • マインドフルネスは一切の評価をしません。
  • マインドフルネスは「ありのまま」を受け入れます。
  • マインドフルネスは「いまここ」に集中します。
  • マインドフルネスは「つながり」を注意深く実践します。
  • マインドフルネスは「一切皆苦」という真理を原点にしています。
  • マインドフルネス瞑想はマインドフルネスの一部です。
  • マインドフルネスは「二分化的思考」をしません。
  • マインドフルネスは医学、心理学、心理療法にも活用されています。
  • マインドフルネスでは「失敗=悪いこと」ではありません。
  • マインドフルネスは人を生きやすくし、幸せにつなぎます。

「マインドフルネスで整える」とは

マインドフルネス実践講座

先にお話したように、無は空になる準備のようなものだといいました。
マインドフルネスで整えるとは、その状態です。
リラックスして一切の執着を手放します。
執着は心で起こっていることなので、手放すことが難しいのです。

身体や言葉のようにはいきません。
どこにあるのかわからない心の奥に隠している執着を手放すのは電気を消すのとよく似ています。
ただ電気のようにスイッチがないので眠るしかありません。

しかし寝るわけにはいかないので「心をどうすれば手放せるんだと」思う機会を通じて心の存在にきがつきます。

心の存在に気づく一方で、自分が源泉から湧き出た一滴の水であることに気づきましょう。
一滴の水は、無色透明。色と思っているものは周りの景色の色でしかない。

執着も所詮は色なのです。気づきのはじまりです。

し〜っ。マインドトークはおやめください。

マインドフルネス

私たちは自分は生まれつきこうなんだといいますが、たいてい「認知の歪み」が問題になっている場面で、それは思い込みでしかありません。

「認知の歪み」は1.5歳くらいから自動思考が加速度的に強化されて強固になったものです。よほど意識して是正しないと自分が誤った認知に支配され乗っ取られます。

つまり心は脳内のコミュニティーの仕業ではないかと考えられます。

整えるとは、脳内のコミュニティーに勝手なおしゃべりをやらせすぎないように見守ることからはじめます。「しーっつ、マインドトークをおやめください。」

認知の歪みから生じる自動思考にダメだし

もともとのいのちでライププランする

「マインドトーク(心の雑念)=ひとりおしゃべり」は認知の歪みが元になっている自動思考です。
マインドトークをしているマインドワンダリングの時間が多いほどマインドフルネスになれる時間は減ります。
マインドフルネスから遠のくほど心身の疲労は増え、ストレスになります。

気がつけば一生、マインドトークしていたというマインドワンダリングな人もいるでしょう。
反対に一生がマインドフルネスだった人もいるでしょう。生産性の違いになっています。

そこで私たちは生産性から逆算してライフプラン、ライフシフトを策定して、実践・達成するためにマインドフルネスから整えるアプローチをしています。

少しでもマインドトーク、マインドワンダリングを減らす運動です。これを通じて自己マスタリーを高めて、システム思考ができる脳にスイッチする。つまり煩悩を撲滅したいと考えています。煩悩を撲滅することはできませんが、少しでも減らすことで、自由と安心を増やすことができると考えています。ゲンキポリタンで一生を過ごすために。

まとめ

雨月物語、魔界転生でも呪文が活躍します。

雨月物語では、家族の元へと帰りたいと切り出した主人公を死霊は引きとめますが、身体に呪文が書いてあるので死霊は触れることができません。
魔界転生では、死霊となった剣豪が息子と決闘をしますが、息子は全身に呪文を書いて対峙します。

認知の歪みと対峙するときに、呪文の役割をするのがマインドフルネスです。

マインドフルネスは「いま。ここ。あるがまま」と言われたりもしますが難解ですね。要は対象になりきることです。つまり没頭、全集中です。どこでもいつでもなりきれるための「無」であり「空」です。

根源的ないのち

誰も言わなかった禅「十牛図」はじまりの尋牛(じんぎゅう)
「十牛図」最初の絵「尋牛」の本質は、「いまの自分」がいないことに気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」がいないのは、人生脚本に支配されているからです。人生脚本に支配から解放されるには、いまの自分が書いた人生脚本(=ライフプラン)に乗り換えることです。
誰も言わなかった禅「十牛図」二の見跡(けんせき)
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着から離れるにが、いまの自分が書いたライフプランを掲げて達成に邁進する必要がありま...
誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。 気づけば行動する。禅の鉄則です。人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践することです。
誰も言わなかった禅「十牛図」四の得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案をあなたがどう気づくか、「得牛」の絵は問いています。
誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります。 十二縁起には成長する手順と因果関係が説明されています。
誰も言わなかった禅「十牛図」六の騎牛帰家(きぎゅうきか)
誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放されたのです。内面から湧き出る仏性で共感を悟れるのです。
誰も言わなかった禅「十牛図」七の忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「十牛図」七番目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」は。悟ったことさえ気にしない、何ものにもとらわれない本来の自己になれたことを表しています。気づけば、悟ることができる。その悟りさえ気にならない一体となった状態は、執着のない、慈愛(共感)そのものです。
誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もうそんな無駄なことをしなくても、やりがいも生きがいも自分のうちに全部揃っています。
誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。あなたの働き方、生き方はいのちが求めていたことですか?
誰も言わなかった禅「十牛図」十の入鄽垂手(にってんすいしゅ)
「入鄽垂手」とは「ぶらりと町に入ってきて、何をするということもなく帰っていく」という意味になります。つまり、執着がなく、自他共にあるがままでよしとするなら、何も語らなくても、そこにいるだけで、気軽に声をかけるだけで、いのちの本性が、一切衆生に慈悲を持って接するのです。自利他利の仕組みでつながる循環する。
無形資産の教科書|自分を極める「十牛図」とライフプラン
自分を極めるとは、どういうことでしょうか?最高の自分を引き出すことですね。いちばん 判りやすいサンプルがアスリートではないでしょうか。「心はそのまま仏である」といいます。禅の高僧の言葉ですが、この心とは「もともとのいのち」のこころだと思いま

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