哲学する愉しさ、哲学すると身体のど真ん中が解放される

哲学する マインドフルネス
ミノルさん
ミノルさん

こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるミノルさんです。

哲学とはなにか?ほとんどの人はこれを聞いただけで、「もういいわ」と、思うでしょう。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。— ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

ムリ、ムリ、ムリ・・・・役に立たないだけでなく、ストレスを感じる人も多いはず。
「私、哲学好きなんです。」何て言おうものなら「危ない人」と思われかねません。

ところで哲学ってなんでしょう。
立ってられない自分を支える添え木が哲学です。

ゲンキポリタンは哲学します。哲学は本質だからです。
うわべの人生なんて面白くない。そんなもの生きてるうちに入るのか!」という生き方もあるんです。というわけで、今回は「哲学する人」のお話しです。

ゲンキポリタン 10の約束

ゲンキポリタンとは、ひとことでいうならゲンキな人。
100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレスにワンダフルを実践する人です。

コスモポリタンが、民族・国籍・言語・宗教などにはこだわらないで、全世界を自国と考えている世界主義者であるように、ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。

特別な一日を愛するゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシーがあります。

ゲンキポリタン 10の約束

  1. 「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
  2. ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
  3. マトリックスから脱出する

心が疲れたときの哲学する人

哲学で見出した物語をプレゼントする

哲学するゲンキポリタンは、心が疲れている人を元気を充電する楽しみを知っています。

哲学することで見出した答えを実践します。サンタクロースが物をプレゼントするように、哲学するゲンキポリタンは物語をプレゼントします。時には物を添えて強調することもあります。

君は君でいんだよ、

年齢も、名前も、仕事も、学歴も、親兄弟も、関係ない。
人はひとりひとり外見も内面も違います。普段から哲学していたら「因果」が比較的的確に見えるのでそれぞれにどんな物語をギフトすれば気づくことができます。

気づけは実践(悟り)です。つまり哲学とは身を削って生きることです。実は垢を削って生きるのでネガティブに考えることはありませぬ。

この世界はほとんどが作られた物語でできています。つまり、嘘なので気にせず自分の物語を生きましょう。

お金を哲学すればお金は別の顔になる

哲学小売店マートワン

お金の物語に78は真実を語っていないことが多いので注意が必要です。

持つ者、持たざる者の不公平さを感じさせないように、お金への執着と人間性をくっつけて、お金より愛情が大切だという物語を作ります。
仮にその代表が近松門左衛門とすれば『曽根崎心中』 『冥途の飛脚』 『心中天網島』 『女殺油地獄』などお金より愛情を選らんで心中、殺人に発展する「名作」が共感を得ました。
江戸時代には心中を防止するため上演禁止の令まで出すほど人気だったとか。

でもお金は生きるために必要。
ただ生きるために、自由と安心を手に入れたいと思うのは本能です。
しかし、その本能によって苦悩がつきまとうのも事実。
さらに必要以上に所有したがるのは、お金に限ったことではありません。
行き過ぎるとすべての依存症に共有した苦しみが待っているだけです。

そこでお金とどうつきあえばいいのか「哲学」の出番です。
疑問を道理で①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣のゴエスするときに「哲学」が羅針盤になります。

お金は、生きる資金で、安心と自由を得て、煩悩から解き放たれて、本性に気づきありとあらゆる生き物が自分と同じだと知って慈悲を活かすこと。つまり「もともとのいのち」を生きるためにふさわしい質と量が必要なのです。

慈悲と愛の違い

マインドフルネスな人生100年時代の特長

慈悲と愛の違いはとっても明確です。
「私はあなたを愛する」といえば慈悲というよりわかりやすいでしょう。
なぜだと思いますか?私とあなたに分けているからです。
しかし慈悲はあらゆる生き物が自分と同じと気づくことから始まります。

慈悲という言葉には、相手を見下したような印象がありますが、実体は「無私」です。
むしろ愛するという言葉の方が二分法的で「恩恵」の印象が漂います。

お金に慈悲を重ねてみると、「私もあなたも同じ」という背骨が見えてきます。
たとえばお金を財布ごと落とした時のことを考えてみましょう。あなたならどうしてほしいか、
もしあなたが拾ったなら、どうするか?哲学を実践するときです。

愛の哲学

愛の哲学

愛を追求すれば熱愛も「慈悲」に突き当たります。
愛の哲学は、慈悲の哲学になり、あらゆる生き物と同じでありながら違う高みにたつでしょう。
あなたの本性に備わった哲学の力です。

つまり哲学とは、どこからか答えを引っ張り出してくるのではなく、自分の本性を発見する作業なのです。

哲学は働き方に生かされているか

多くの人は考えることに忙しく、放っておくとずっと考えて暮らしているでしょう。
考えることは哲学することと違うことです。
大切なのは本質に気づき実践することで、考えて行動することが重要なわけではありません。

本性を発見して、本性になりきって仕事すれば、きっと成功するでしょう。
ほとんどの人はしないからです。

まとめ

マインドフルネスであることと哲学は深く結びついていますが、アプローチの方法が誓います、
マインドフルネスでは言葉を使わず考えます。つまり瞑想に任すのです。
なぜなら「もともとのいのち」は、すでに知っているからです。

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