こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです。
ラベリング(=レッテル貼り)は思い込み、決めつけから生じる典型的な「認知の歪み」の事例です。
自己否定感が邪魔して、自分が持っている価値に気づいていない人が少なくありません。
自己否定を認知の歪みに結びつけると、精神的な自傷行為をやってしまいます。
うつ病と診断されると、そうであってもなくても、思い込んでしまいます。
認知の歪めてしまう癖には、もってこいの思い込みです。
大丈夫、いまのあなたのままでOK、ラベリングの罠からあなたを救い出して、すでにそこにある自分の価値の見つけ方をご紹介します。
数人がダメと言ったら「全員ダメ」になる危険
ラベリングはシステム思考の阻害要因にもなります。
たとえば政党支持率。ひとりがダメだと言っても、全員がダメだとは思わないでしょう。
しかし1000人調査して半数以上の人が支持しないといえば、そうだという人は増えます。
数人が支持しないというと、全員が支持していない事実になる危険があるのです。
ラベリング(=レッテル貼り)は個人の意見ですが、意見が増えると、事実にしてしまう方が簡単なのです。
「自分はできない」とラベリング、レッテルを貼ると「できない自分」探しをしてしまい、ラベリング(レッテル)に合った部分だけをピックアップして「選んだ事実」並べ立てます。
気をつけて!ラベリング通り、できない人になってしまいます。
親のラベリング(レッテル貼り)に気をつける
子どもが育っていく過程で、もっとも気をつけるのは間違った「親の言動」です。
「勉強ができない」「運動神経が鈍い」「内弁慶」・・・・否定的な言葉は数え切れません。
ラベリング、レッテルだけ貼って、改善のフォローをしないのであれば無責任です。
残念ながら、改善する気もなく、傷つけていることに、気配りしない親は山のようにいます。
彼らはケアしている点しか気に留めていないので、無意識のラベリング(レッテル貼り)で、傷つけていることには意識がないのです。
人は自分や他人に「固定した概念(=レッテル)」を当てはめることで、安心します。
成長する子どもはしばしば理解不可能な側面を見せます。
自分がイメージできないことは親にとっても不安なので、狭い概念に当てはめることでしか考えられなくなってしまいます。
自分がイメージしやすいように一般化することが、他人に向けば、人格攻撃になります。
自分に向けば、自己否定、自虐になります。
ネガティブで固定したレッテルを他者や自分自身に貼り付けてしまうと安心できます。
自分の判り得る狭い概念に閉じ込めることで、相手や自分が持っている多様でポジティブな側面を見ることができなくなります。
それを「認知の歪み」といいます。
認知の歪み
自分というもっとも判りにくい存在に対しても一般化してラベリング(=レッテル貼り)をやってしまいます。
その典型が「自己否定感」です。
「自分はできない」とラベリング(=レッテル貼り)をして、「できない自分」ばかりを集めて、これが証拠だと自分に押し付けたら、その通りです」と降参してしまいます。
しかし、無実の罪です。
親にされたことを「事実」と思うと、自分もその手法(癖。習慣)で、できない事実を並べて例外はカウントしないまま、「自分はできない」と否定感を強化してしまいます。
自分以外の目、あるいは客観的なまなざしが必要になります。
自分の価値に対する考え方
価値のわからないまま宝石に囲まれて暮らしている人と、自分の持っているものの価値を理解して暮らす人は、どちらが豊かでしょう。
答えはどちらも同じです。
自分の持っているものの価値を理解して暮らす人も、もともとは「価値のわからないまま宝石に囲まれて暮らしている人でした。
自分のもっているものの価値に気づいたので、理解することができたのです。
現在、価値のわからないまま宝石に囲まれて暮らしている人も、やがて宝石に囲まれている価値に気づくと宝石の価値を理解できるでしょう。
自分が何を持っているのか、それに気づくまで、人生の花は決して開きません。
自分が何を持っているかに気づくことと、自分がよりよい人間になることは、同じ意味でしょうか?
違いますね。
この質問は・・・
・・・という最初の質問と同じことを聞いているようです。
すでにそこにある価値に気づく
マインドフルネスは、自分の思考や行動を変えることを問題にしていません。
マインドフルネスを学ぶとは、自分がよりよい人間になるより、すでにマインドフルネスな存在であることに気づくことが目的です。
マインドフルネス=主体的に積極的にあるがままの自分を注意深く内観してなりきった状態
なにかこれ以上よくなることではなく、どのような人生であっても環境であっても、いまここで、あなたが望む以上に、すでにマインドフルネスであると気づくことです。
つまり、いま、どのような人生であっても環境であっても、いまここで、、人生はエンドレスにワンダフルにできるということです。
マインドフルネス(=主体的に積極的にあるがままの自分を注意深く内観してなりきった状態)になることです。
因=縁=果
私たちの人生は因果関係で成り立っていて、そこには「原因=結果」に影響を与えるつながりがあります。
問題があるとすれば、あなたが認識していないことなのです。
良い原因が思うような結果になるとは限らないのは「つながり(縁)」が影響しています。
「私は身体を動かす仕事がしたい。しかし自分は高齢者だ、いまさら仕事を見つけることは難しい。」
こう言えば多くの人は賛同し、多くの人は「その考えはおかしい」というでしょう。全く反対の答えのようですが、どちらも「単なる癖」という点で同じです。
大切なのは「もともとのいのち」とつながった答えです。
イライラする日常生活
人それぞれですが、私たちは大して代わり映えのしない毎日で同じような日々を過ごし、自動思考に依存して、快楽に癒しを求め、些細なことにイライラして過ごしています。
これについては4つの真実が役にたつでしょう。
- 人生は苦しみである
- 苦しみには原因がある
- 苦しみの原因は取り除くことができる
- 苦しみの原因を取り除く簡単な方法がある。
方法は用意されていますが、用意されたものを使わなくてもOKです。
自分を宝探しの冒険家にしても良いのです。
手にした黄金の金塊の一部しか見えないものでも、眩い光を放っていても同じです。
夜空を見上げたときに、輝いている月や星は、曇った夜も透き通るような夜も、見えても見えなくても、宇宙を背景にして、あなたとともに、そこに、ただ、あります。
苦しみの原因を取り除く簡単な方法は、あなたとともに、そこに、ただ、あることに気づくことからはじまります。
そこになにがあるのでしょう。
根源的ないのち、もともとのいのちなどによって成立している自分です。
もともとのいのち
図のように「もともとのいのち」は4つの側面からの「縁起」で成り立っています。
もともとのいのち(=根源的いのち)とは、本来のこころ、あるがままの自分、本来の自分、本性、仏性・・・様々な言葉で語られます。
縁起とは、因縁生起(いんねんしょうき)の略で、相互に関係しあって存在している(因縁によって生じている)という考え方です。
そこにいる「自分」は、なにかこれ以上よくなることではなく、どのような人生であっても環境であっても、いまここで、あなたが望む以上に、すでにマインドフルネスであると気づくことです。
たとえば,うつ病と診断される状態であったとして、なにか努力することはないのです。
ラベリングした、あるいはされた自分の反映にすぎないからです。
ラベリングを引き剥がずトレーニング方法
もともとのいのち(=根源的いのち)、本来のこころ、あるがままの自分、本来の自分、本性、仏性・・・を認識すれば無限の自分を引き寄せることができます。
自分の弱さ、傷つきやすさ、寂しさ、恐怖は、ラベリングによって生み出された偽りの自分の反映です。遊びまわって泥だらけになった子どもの服についた泥と埃を払うように取り除けばいいのです。
その行程は、マインドフルネスの元になったトレーニング「八正道(はっしょうどう)」の8行程で取り除けます。
- 正見(しょうけん)
- 正思惟(しょうしゆい)
- 正語(しょうご)
- 正業(しょうごう)
- 正命(しょうみょう)
- 正精進(しょうしょうじん)
- 正念(しょうねん)
- 正定(しょうじょう)
まとめ
ラベリングする思考回路は「二分化思考」という癖が基本になっています。
イエスかノーか、白か黒か、私とあなた・・・という対立させる思考法です。
つらい過去があるから、いまの自分がいる・・・これも「二分化思考」です。
努力しなければ手に入らない。裏返せば努力しても手に入らない。
結果には原因がありますが、それを繋いでいるのは「縁起」です。
一切のものは、条件が整えば生じ=縁起、条件によって消滅する=縁滅します。
「縁起を見るものは法(=真理)を見る、法を見るものは縁起を見る」といいます。
大切なのは対象になりきること。
つまり没頭することです。ラベリングもレッテルも努力も関係ありません。
コメント