苦しみを解決するには対策が必要です。
お釈迦様の出家は、ループする悩みが発端でした。そして思いつかれたのが逆算です。
良い結果を出すには良い原因が必要です。それが「四諦」へ行き着く「八正道」です。
2500年前の話です。
「八正道」はマインドフルネスの基礎です。
マインドフルネス研修は身体のネットワークをつなぎ直します。
- マインドフルネスでなにを得られるか知りたい方
- 人を成長させたい会社など組織
- ひとり会社、個人事業主で、変わるキッカケが欲しい方
- 資格試験の合格に生活がかかっている方
- 深く生きたい方
マインドフルネスは良い原因を作る習慣を身体に覚悟させます。
覚悟とは、覚り✖️悟りです。
身体のネットワークをつなぎなおすマインドフルネス
随所に主となって、毎日は地味だが目の前の成すべきことに無我夢中で取り組むことで、身体のネットワークをつなぎなおす・・・それは私たちのマインドフルネスです。
生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした母親は、赤ん坊とシンクロすることがとても大事です。
赤ちゃんが出すサインを見逃した上、赤ちゃんが望んでもいないことを平気でやってしまいます。
こうした日常が親子のつながりを壊すだけでなく、赤ちゃんにストレスを与え、母親にも自信喪失、母親失格のレッテルを貼ってしまいます。
「善が育つための根元が断ち切られているために、どんなに努力をしても救われない。」という意味の言葉があります。「断善根(だんぜんこん)」です。
大半の僧侶は自分には仏性があるというが、「断善根」には触れようともしない。これを見てわかるように実態は、善が育つための根元が断ち切られている者ばかりだと嘆いたのは中国仏教「三階教」の開祖信行です。
信行はさらに「自分も他人も善だけを見ていると、自分の悪を見ることができず、自分も他人も悪だけを見ていると、自分の善を見ることができない」と言います。システム思考ができないことに通じます。
些細なアプローチを見逃してしまうのは、「すべてはシステム(「原因=結果」の集積)」だという事実への関心が弱くアンテナをしっかり立てていないからです。深く生きるために注意深く行う。つまりマインドフルネスです。
システム思考が、ビジネスの世界で当たり前になっていますが、結局はお釈迦さまの唱えられたことに行き着きます。
私たちのマインドフルネス研修は、システム思考のために身体のネットワークをつなぎなおすことに重きを置いています。
システム思考では、因果関係は「原因=結果」の連鎖なので、核心がどこにあって、どこからアプローチするのが全体に有効でかつ最適で継続可能か選択して効率的な手を打つようにします。
しかし、どのように選んでもネガティブな課題を生み出し、環境問題や戦争のように願ってもいないことが引き起こされてしまうのは、どんな世界にも共通しています。
ネガティブな課題を最小限にするために、次のテーマに注目します。
- 随所に主となれ
- 四諦
- 八正道
- 自灯明・法灯明
- 三十七菩堤分法
- 4つの真理
- 四苦八苦
「なにかに苦しんでいるなら、その苦しみには必ず原因があります。」
お釈迦様は「生まれる・老いる・病む・死に至る」苦しみの現象は「原因と結果」というご縁(縁起)の関係に生まれ、縁起に人生の「真理(本当のこと)」を見出されました。
仏教とは、たったそれだけのことです。
最強の修行者 ブッダ
最強の修行者であったお釈迦様自身が体験した「原因と結果」は地獄でした。
お釈迦さまが直面した「原因と結果」は、「自分が生まれたためにお母様が死んだ」という縁起でした。
縁起
縁起とは、馴染みのある言い方には「なにごともご縁です」といったものがあります。
しかし、これは「縁起」のごく一面でしかありません。
縁はその限界を見極めることが難しく、範囲は広く、奥行きは深く、時間的に「どこまで」という感じです。
わたしたちは、それぞれ別個の存在と認識していますが、実際には影響を受けながら過ごしていて会話の内容も変われば感情も変わります。
それが縁となって人生を決定的に変えることも起こり得ます。
この世に起こるすべてが、さまざまな縁で起こっています。
縁起を注視する人は、真理にも注目し、真理を注視する人には、仏教が理解できます。
「自分が生まれさえしなければお母さんは死ななかった」というやり場のない苦しみは「四苦八苦」を超えた領域にある苦しみだったと推測できます。
ループする悩みは解決不可能です。
この苦しみから生じる「煩悩」をどうすれば解決出来るのか、お釈迦様は考えて考えて考え抜いて、「四諦」を説かれるに至ります。
四諦(したい)
富山県高岡市にある「八丁道」は、加賀百万石前田利長公の墓所と国宝瑞龍寺を結ぶ参道です。
私は、これを「四諦(したい)」にたどり着く「八正道」を念頭にした参道だと考えています。
- 苦諦(くたい)とは、苦しみという真理(あること)
- 集諦(しったい)とは、苦しみの原因があるという真理(あること)
- 滅諦(めったい)とは、苦しみの原因がなくなる真理(あること)
- 道諦(どうたい)とは、苦しみの原因がなくす方法がある真理(あること)
四諦は、お釈迦様がいちばん最初に説かれた「教義」と言われています。
「四諦(したい」についての解釈はこんな感じです。
「生きることが思い通りにならないのは、執着するからだ。執着を捨てれば涅槃に達することができるので、そのための修行をしなさい」と説かれていると解釈されています。
しかし、お釈迦様は修行を奨めていると考えないのは私だけでしょうか。
私が思うマインドフルネス&仏教はこうです。
- 自分は欠点の多い人間であることに気づく
- 自分に苦があることに気づく
- 原因=結果に気づく
- ストレス低減の必要に気づく
- 人生100年時代を生きるライフデザインをライフプランに反映する大切さに気づく
- 過去と未来のことに一日の半分を費やしている自分に気づく
- 自分を受け入れる大切さに気づく
- 真理に気づきたがっている自分に気づく
- 気づきは誰かから与えられるものではないことに気づく
「自分は欠点の多い人間である」あるいは「なぜこんなにも苦しいのか」といった「気づき」からはじまり、原因がなにか、どこに考え違いがあるのかを気づいていくものです。
気づきがない人が修行しても何も起こらないと思います。
ストレスを低減して、本来の自分を力を発揮したい、人生100年時代をたくましく明るく元気なライフデザインをライフプランに反映していきたい思いとひとつになったたき、気づきは起こります。
瞑想はそのためのもので、完全でない自分が、いまここから離れて過去と未来に妄想している自分に気づいて、いまここの自分を受け入れていくもので、自分が自分を受け入れず閉じていては、気づきは進みません。
八正道(はっしょうどう)
八正道(はっしょうどう)
- 正見(しょうけん)
- 正思惟(しょうしゆい)
- 正語(しょうご)
- 正業(しょうごう)
- 正命(しょうみょう)
- 正精進(しょうしょうじん)
- 正念(しょうねん)
- 正定(しょうじょう)
八正道① 正見(しょうけん)
固定概念や偏りがなく、正しいものの見方をすること。
物事をありのまま見るというのは、とても難しく、特に人間関係や愛着のあるものに対してなど、憎しみの感情や怒りの感情、愛情を持っていると物事をありのままに見ることが難しくなり、それが苦しみを生む原因になります。
苦しみから解放されるために、この世の真理(「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」)を知り、物事をありのままに見る眼を養うのが正見です。
八正道② 正思惟(しょうしゆい)
正思惟とは正しい考え方を持つことです。
正しい考え方というのは、偏らない考え方を持つということです。
仏教の説く物事の正しい見方とは、自分の都合で良い悪いを決めるような自己中心的な考え方を捨て、真理に照らし合わせて考えることをいいます、
誰しも幸福に生きてたいと考えますが、自分の幸福のために自己中心的な考え方を戒めています。
- 自分が「し合わせ」になるためにという自己中心的な考えから生まれる欲望=貪欲(どんよく)
- 憎しみ、怒りに任せた考え方=瞋恚(しんに)
- 物事の道理に無知であること=愚癡(ぐち)
以上は6大煩悩の三毒と呼ばれています。
八正道③ 正語(しょうご)
正語とは正しい言葉遣いをすることです。
- 妄語:相手を騙すためや自分を偽るための嘘
- 両舌:自分本位の二枚舌
- 悪口:相手を悪く言い傷つけるような言葉
- 綺語:出まかせ、事実とは違い言葉で飾り立てること
嘘や悪口、陰口など相手を傷つける言葉は論外ですが、正しいことを伝えるだけであっても相手を傷つけることもあります。
相手の心を慮り、場合に即して、正しい伝え方をすることも正語の大事なポイントです。酒に酔った勢い、怒りに任せて、ついて出てしまったと弁解する人は後を絶ちません。
必ず「結果=原因」があるので、原因となることを断つトレーニングを実践します。ほとんどの場合、自己否定を背景にした六大煩悩が働いています。
八正道④ 正業(しょうごう)
正業とは正しい行いをすることです。
殺生(生き物を殺すこと)や盗みをしてはいけない、みだらな行為をしないなど、人としてしてはいけないことはしないと戒めています。
八正道⑤ 正命(しょうみょう)
正命とは正しい生活を送ることを意味します。
「命」とはサンスクリット語の「アージーヴァ」の訳語です。
「ジーヴァ」には「寿命」とか「生命力」という意味があります。
つまり「正命」とは、与えられた命を正しく使うことであって、たった一度の人生を大切に過ごすことができます。
正しい生活態度を指し、規則正しい生活を心がけ、人をだましたりして生計を立てるなどはしてはいけないということです。
八正道⑥ 正精進(しょうしょうじん)
正精進とは正しい道に向かって正しい努力をすることを意味します。
今まで行っていた間違ったことは止め、正しいことを行って生きていく努力をしましょうということです。
八正道⑦ 正念(しょうねん)
正念とは正しい意思・信念を持つこと、注意深く集中することです。
この世で、変えたくても変えられない真理(「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」)を知り、その真理に対して正しい信念を持って生きることです。
パーリ語でサティといい、特定の物事を心に(常に)留めておくことです。
日本語では念(ねん)、気づき、英語でマインドフルネス(mindfulness)と表現するのは「正念」のことです。
正念は、三十七道品のなかの四念住(しねんじゅう)などにおける念とあるように、基本概念の一つ。
マインドフルネス瞑想は、上座部仏教ではヴィパッサナー瞑想を基礎にしています。
対象に執着あるいは嫌悪などの価値判断を加えることなく、ニュートラルな立場で「いまここ」に注意を払い、深く生きることを意味します。
瞑想の基礎的な技術の一つであり、念を深める(注意深く集中する)と心が固定され、何事にも惑わされない「正定(じょう)」の状態に至ると考えます。
八正道⑧ 正定(しょうじょう)
正定とは、正見、正念、マインドフルネス瞑想、座禅を行うことを通じてによって、より良い自分に変えることができることを言います。
- メンタルを強くする
- 相手への共感能力が高まる
- 集中力を高めることができる
- 主体性・自主性を育む
- 幸福感を高めてくれる
上記のような効果がハーバード大学などの名だたる大学の研究によって観察され、グーグル社をはじめ有名なIT企業に導入されています。
ちなみに、正定においての
このヴィパッサナー瞑想は上記出見たような有名な大学での研究でも効果が最も高いと立証されています。
八正道の考え方
以上の8つの正しい実践をニュートラルな状態で行うことが、苦しみから開放されるためのステップです。
ニュートラルな状態とは、心身ともに気負わずに、頑張ることもなく、手抜きすることもない状態です。つまり円相の心です。
円相とは、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している状態のことです。
なんと美しいではありませんか?
すべての学習と同じく、強い想いは、煩悩の原因になるからです。
三十七菩堤分法
お釈迦様は入滅前に「三十七菩堤分法」を説示されています。
先述した「八正道」は「三十七菩堤分法」のひとつです。
「三十七菩堤分法」とは
- 四念処(四念住)
- 四正断
- 四神足
- 五根
- 五力
- 七覚支
- 八正道
以上、七科総計37種類の修行方法です。
この「七科総計37種類の修行」が「七歩(=七科)歩いて唯我独尊」のことだろうと推察できます。
お釈迦様が誕生したときに、七歩歩いて「唯我独尊」と言ったと伝わっていることです。
唯我独尊とは、「人のいのちは一つしかない、一回限りの人生を大切に生きなさい」
随所に主となれ
お釈迦さまは、自分の生と母上の死を、無駄にしないようにポジティブな行動のススメを伝えていった方が良いと判断されたのです。
「随所に主となれ」自分が主でなくて、なんの人生か。
お釈迦様のいちばん大切なメッセージではないでしょうか。
解決できない問題に悩み、悩みの僕(しもべ)になってなんの人生か。
自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)で、「一切皆苦」のデコボコ道を楽しみ、心のコンパスの向くことをすべてやって達成する。
「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」
気づきは誰かから与えられるものではなく自分の内で起こります。
四諦は、四つの言葉の意味が示しているように、縁起(因果関係)の上に成り立っています。
お釈迦様自身が苦しみを抱えておられて、その解決のために「苦」の原因を探求されていました。そして『原因=結果』という真理に気づかれます。
この真理との向き合い方が「仏教の教義」になります。
ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。
ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
4つの真理と隠された真理
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4つの真理
- 「一切皆苦」・・・・人生は思い通りにならない
- 「諸行無常」・・・・すべてはうつり変わるもの
- 「諸法無我」・・・・すべては繋がりの中で変化している
- 「涅槃寂静」・・・・真理を見ることができる境地”さとり”
真理とは「本当のこと」という意味です。
仏教は「一切皆苦」からはじまった
人生は選択の連続ですが、お釈迦様が言われたように「一切皆苦」です。
仏教の出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」から始まります。
つまり、思い通りにならない人生なので、どうしたって苦しみが道連れになります。
思い通りにならない人生をどうすれば楽めるか。というのが仏教のテーマです。
なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。
その原因が、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」にして「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」にあると考えます。
これらを正しく理解できれば、苦しみから解放されて、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になれる。とお釈迦さまは説かれています。
これが、めざす「涅槃寂静」です。
4つの真理についてご説明します。
一切皆苦
一切皆苦・・・・人生は思い通りにならない
まず、お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、という真理を説いています。
仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。
この「苦」には、「四苦八苦」と呼ばれる八つの苦しみが挙げられます。
人生は思い通りにならない主な原因は「四苦八苦」にあります。
この世界は、万事「一切皆苦」のデコボコ道です。
デコボコ道だと解っていたら、準備することで、デコボコに耐えられる旅ができます。
「一切皆苦」とは、一切の皆苦を楽しむことと言い換えることができます。
そのためのマインドフルネス(=注意深く主体的に没頭する)です。
準備を怠りなくすること。つまり、自分を主体的に使うことで、デコボコは変えることはできなくても、楽しむことはできます。「随所に主となれ」の実践です。
ところが、諸法無我では、『自分は「主体的な自己として存在するものではない」』と解釈されています。
「自灯明」では、「自分を信じなさい」と説かれています。また「法灯明」も追加されています。
矛盾していますよね。ここに5つ目の真理が隠されています。!!
隠された真理 天上天下唯我独尊
自分が主であるためには因果関係への深い洞察が必須になります。
でなければ『真理を拠りどころ」に生きられないからです。
因果関係を読み解くには、あらゆる角度から物事を捉える必要があります。
ダンボールは人にとっては箱ですが、ゴキブリには食料です。
ホームレスの方には布団になり、ある人にはお金になります。
なにごとも「自分の都合」でしかないことに気づいて因果関係が解けていきます。
家中のものを「自分の都合」から離れて観察すると、面白いものです。
主体的に生きると、随所で真理とひとつになって、自分が消えてしまうので、さらに面白いです。
主体的になるために、因果関係への深い洞察を重ねて、主体的になればなるほど、「主体的な自己として存在」しなくなる・・・・自分が真理に溶け込んでしまうようです!七歩歩んで天上天下唯我独尊です!
諸行無常
世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。
世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。
川は流れて、雲は流れ、時は過ぎ、
それにも関らず、私たちはお金や物、愛情、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと「執着」します。
このような苦しみにとらわれないためには、すべては必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを理解するのは、もちろん、移ろいのなかにも縁起が存在していることを理解することで、一瞬、一瞬、いまここを最高のものにする過ごし方が大切なのです。
諸法無我
全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。
自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。
世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。
自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。
自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで”生かされている”存在であると気がつきます。
涅槃寂静
「涅槃寂静」とは、死んだ後の世界です。静かで何もない。
悟りとは、世界を見る本当のあるがまま、あの世界を見る目が開いた状態のことです。
「涅槃寂静」は”さとり”の境地を示しています。
世の中は自分の思い通りにならないことばかりなのに「し合わせ」を求めて右往左往。
人は自分以外のものに原因を求め、不満になり、怒りを抱きますが、全て自分が生み出しています。
誤ったものの見方、誇り、欲望などの「煩悩」が原因ですが、煩悩を消し去り、安らかな心で生きることこそ「涅槃寂静」の境地です。
そこに到達するためには、先に挙げた”諸行無常””諸法無我”をきちんと理解することが大切です。
あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になれば、結果として「し合わせ」に生きることができるのです。
四苦八苦
- 生・・・・ 生まれ生きる苦しみ
- 老・・・・ 老いて、体力、気力など全てが衰退して、自由が利かなくなる苦しみ。
- 病・・・・ 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる苦しみ
- 死・・・・ 死ぬことへの恐怖と不安の苦しみ。
以上が四苦です。
- 愛別離苦(あいべつりく)・・・・ 愛する者と別離すること
- 怨憎会苦(おんぞうえく)・・・・怨み憎んでいる者に会うこと
- 求不得苦(ぐふとくく)・・・・求める物が得られないこと
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく) ・・・・五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
四苦にこの四苦をプラスして八苦です。
曖昧に覚悟する
曖昧さが考える力を鍛えます。
「密教」のツールである「マンダラ」は文字がないので、感覚的に理解するしかありません。
お釈迦様の教えを感覚に理解する重要性とはなんでしょう。
脳は心臓や胃と同じく身体の一部です。
「真理を覚悟して身体にまかせて生きる」
心臓や胃の活動を自分でコントロールできないように、脳もコントロールできません。
心臓や胃が不調にならないように、運動や食生活を整えるように、脳も心も「正しい暮らし」で整えることはできます。
知っているは論外。考えている、思っているのではなく、実践が必要です。
ペラペラしゃべっていても、何を話してるかわからない人もいれば、寡黙でも一言が伝わる人がいます。
言葉の数と伝わるは別の問題です。身体の力です。
曖昧でも伝わるのは身体が言葉に託す想いを実践するからです。
身体がすることまで含めて大切さに気づき(悟り)、悟りを使って暮らすのは覚りの実践。だから体力が物を言います。
ITの影響力が高くなる時代ですが、ビジネスでも最後に物言うのは体力です。
働き方改革とは生産性改革です。反射的に効率化が気になりますが、効率を握っているのは準備であり、準備の源は正しい暮らしです。
つまり真理を受け入れて、実践する覚悟。
まとめ
随所に主となって、毎日は地味だが目の前の成すべきことに無我夢中で取り組むこと。
諸法無我では、『自分は「主体的な自己として存在するものではない」』と解釈されています。
「自灯明」では、「自分を信じなさい」と説かれています。また「法灯明」も追加されています。
矛盾しているようですが、「一切皆苦」を背負うのは、自分自身以外にありません。
- 人を成長させたい会社など組織
- ひとり会社、個人事業主で、変わるキッカケが欲しい方
- 資格試験の合格に生活がかかっている方
- 深く生きたい方
人には自分の力では変えられないことと、自分の力で変えられることがあります。
自分の力では変えられないことに時間や努力を注ぐことは無駄です。
「毎日は地味だが、目の前の成すべきことに無我夢中で取り組むこと」は(無邪気な子どもの心)から発信されるコストパフォーマンスを引き下げるアドベンチャーな気持ち。
数値目標にしても、他の目標にしても、一日、一日は小さいことに過ぎません。昔から「チリも積もれば山になる」と教わってきました。
「一夜にしてスター」という事例もありますが、「ティッピングポイント」と呼ばれる分岐点にたどり着くまでの努力があります。
その努力を努力と感じないのは、「無我夢中」だからです。
お問い合わせはLINEから。
身体が物を言います。健康と睡眠には気をつけましょう。
ビーレジェンド ホエイプロテイン ペコちゃん ミルキー風味1kg
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