特別な一日は当たり前の一日、「なりきる」毎日が物語になる。

大基本〜マインドフルネス実践講座 マインドフルネス
ミノルさん
ミノルさん

こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表ゲンキポリタンです。

ゲンキポリタンとは、ひとことでいうならゲンキな人。
100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレス②ワンダフルを実践する人です。

コスモポリタンが、民族・国籍・言語・宗教などにはこだわらないで、全世界を自国と考えている世界主義者であるように、ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。

ゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシーがあります。

ゲンキポリタン 10の約束

  1. 「直指人心 見性成仏」
  2. 特別な一日
  3. もともとのいのち
  4. 生き辛さの原因「潜在意識」を認識する
  5. 考えるな、無意識にまかせる
  6. マインドフルネスで整える
  7. 哲学する
  8. 「ひたすら繰り返す」ルーティンワークを日常とする
  9. ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし
  10. マトリックスから脱出する

今回は、「特別な一日」にどんないいことがあるのか、お話しします。

毎日が習慣(ルーティンワーク)

毎日が習慣(ルーティンワーク)

特別な一日とは、「セレモニー」ではない一日。
セレモニー、つまりイベントの日といえば、ハートが先が、胃袋が先か、競争するように頭に上ってくるのが、誕生日、クリスマス、バレンタインデーなどなど、商業的に開発されたあの日、この日。

続いてプライベートな記念日、誕生日、結婚記念日、さまざまな勝手にせんかい日。
ようするにハレの日。晴れ着の日。おめかししょうかなとモチベーションがアップする日。

ゲンキポリタンの特別な一日は、どれでもなく、どれでもありの、対象になりきる日
対象になりきるのは、いま、ここ、この瞬間の切れ目のない連続なので、特別な一日なんてあるのがおかしいのです。

整理・整頓・清掃・清潔・習慣つまりは毎日の仕事は日曜・祝祭日に関係なくあります、
運動も瞑想も同じです。笑顔を大切に過ごすことに休みはありません。

そうはいっても、まだまだ途上開発の人にとっては、「なりきる」ことを、特別に意識する一日はあります。お墓まいりに行って故人になりきってみる。お祝いする相手になりきってみる。特別なご馳走に向き合うことで、いつも以上に素材になりきる、工夫になりきる。これらは非常に有効な特訓になります。

つまり、経験と悟りは違うということ、全くの別物です。
開発途上の人とは経験を重ねている人、経験から悟りへ進行中の人です。

毎日が特別な一日の人

マインドフルネス実践講座

毎日が特別な一日である人と毎日がフツーの一日の人とは何か違いがあるのでしょうか?
毎日がフツーの一日の人には特別な一日はあります。毎日が特別な一日の人には毎日が特別です。
これが経験を重ねる人と悟った人の違いです。ですから悟った人に悟る日はありません。

深い部分に「もともとのいのち」を体感しているから、セレモニーではない特別な一日にイベントを自在にトッピングできるのがゲンキポリタン。

なんだか半透明なように感じてしまい、惹かれてしまうのです。

しかし、どんなに素晴らしい体験も出来事も、心に去来するもはかならず消えます。心の自然な特質です。赤ん坊には理解できませんが、執着できないことを知るのが大人です。
だから半透明のように美しいのです。

無理に「なりきろう」としない

執着心トップ4

だから疲れているときや気が向かないときに、無理になりきろうとしてはいけません。
心が折れてしまう発端になります。発端は潜在意識に降りて行って、やがて気にならなくなりますが、点として残り、末那識(根本的な執着心)といつか結合して執着心を大きくしてしまいます。

学問、仕事、親密な人間関係・・・などすべてに通じることです。

上の図にある執着心ベスト4とは

我癡・・・・我(が)に囚われている、末那識(まなしき)という我執(がしつ)の心
自分を知ろうとしない(無明)。

我慢・・・・強い自己意識から生じる慢心のこと。 うぬぼれ。自分が、自分が、自分がの意識、
常に比較し自分が優れていると主張する。

我見・・・・我執ともいい、偏見に満ちた物の見方、意見。

我愛・・・・貪ること。もっと愛してくれ、五欲の対象である万の物を必要以上に求める心。

人生100年時代のマインドフルネス無礼講実践講座では、4大執着心を断ち切るトレーニングを実践します。

 

マインドフルネス実践講座

 

旅の途中で、思いを目的地に寄せながら、しばらく休むように休むことをお勧めします。

毎日が特別な一日の人には、執着心がありません。
理由は簡単。諸行無常をそのまま暮らしているからです。
無我であり、空(くう)だから、いま、ここ、この瞬間を、主体的に積極的に受け入れることが可能なのです。

考えすぎない

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幸せには2種類あります、

「長く続く幸せ」「一時的な幸せ」です。

あなたはどちらを選ぶでしょう?じっくり立ち止まってよく考えるようにしましょう。

客観的に考えれば「長く続く幸せ」を選びますが、現実は「一時的な幸せ」を選ぶ方が断然多いのです。この事実は人は意志で生きていないことを証明しています。意志を上回る別の力が働いているように思います、

自己と他者を区別したがる癖は、幼い頃の教育からはじまっているので、取り除くことが難しいものです。

慈悲は、自分と同じように他者も幸せを求め、不幸を避けたがっているという事実を認識して、自己と他者を区別しないことからはじまります。

慈悲のメリットは自分に最大限戻ってくる

ネットワーク

慈悲を育むメリットは、他者に対する過大評価、自分自身に対する過小評価を軽減し、誰もが潜在的な友人であり、自分ひとりでないと気づけることです。

私たちはみんな、誰も自分の中に入ることも出ることもできません、また身代わりになることもできません。一人一宇宙を成立させています。しかし同時に相互依存にあり、自然とネットワークを形成しています。

これに気づくと自分はひとりでないことが体感できます。人は賢いようでも志を上回る別の力で動き、自分と同じように他者も幸せを求め、不幸を避けたがっていることに気づきます。誰もが潜在的な友なのです。最近は間違った育て方のせいで「親しくなるのが怖い」という人が増えていますが、他者を怖れる必要がないことに気づくでしょう。

その結果、他者との交流が楽しめるようになります、
慈悲を育むメリットはそのままビジネスにもあてはまります。

慈悲は、すべての反映にすぎない

慈悲

慈悲は一般に「思いやり」や「情け」という意味で使われています。
仏教用語では「大慈悲」「小慈悲」があり、それぞれ意味が変わります。

  • 大慈悲=誰にも平等に永久であり、未来を見通した阿弥陀如来の慈悲
  • 小慈悲=差別があり一時的で、先が見通せない人間の慈悲

「慈」は訓読みで「いつくしみ」、「思いやり」「情けをかける」という意味で使われ、「悲」は「かなしい」という意味のほかに「情け深い」や「恵み」という意味を持っています。

ゲンキポリタンは、慈悲とは自分以外の人やモノの反映でしかにないと考えます。
つまり他者への思いやりは自分に戻ってきて、戻ってくることで優しい気持ちが育まれ、慈悲が深まる・・・万物が生きるのに欠かせない水と同じように循環する思いやりと考えます。

つまり戻ってくるとか来ないとか、なにも考えずに、天地万物に「(自我を)まかせて手放す=(覚悟する)」自分は考えずにひたすら行動していま、ここ、この瞬間になりきる。目の前に人がいたら目の前の人になりきる。

一見するとなんのつながりもないようなことが、縁起(因縁)で繋がっていてある現象になって表れることは多いと思います。
不思議な縁を体験された方も少なくないと思いますが、気づかないままの人はさらに多いでしょう。

スティーブ・ジョブズの名言「点と点をつなぐ」は彼の持論で、時間的、空間的、物理的、距離を超えて、偉業を生み出した貴重な体験でした。

特別な一日とは、慈悲を育み、まかせる物語を創造し育む一日です。

人生100年時代をお祭りのように暮らすゲンキポリタン10の約束
ゲンキポリタンは24時間にこだわらず、暮らし、アート、仕事、趣味、遊び、性、年齢など、あらゆるカテゴリーを超えて、人生をお祭りのように生きる人のことです。何時であっても、いまここ、目の前のことにだけ集中すして、対象になりきる(=没頭する)。もともとのいのちを生きるために、ルーティンワークする人です。

まとめ

特別な一日は、考えない一日。
起床した瞬間から行動する一日です。

いま、ここ、この瞬間になりきる。
目の前に人がいたら目の前の人になりきる。

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