100年「し合わせ」な整え日記:体露金風

土佐のまほろば ゴエス
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人間が到達できる最高のものは驚きである。そしてもし最初の現象が驚きであったなら、その人間はそれで満足すべきである、それ以上のものは彼に与えられないし、それ以上探し求める必要もない。それが限界点だからである。 (ゲーテ)

まさに”Let it be Me”なのです。Let it be(なるがままに)は、ビートルズ。Let it be Me(私になるように)はエルヴィス・プレスリー。Meがあるか、ないかで意味が微妙に変わりますが、なるがままに放っておくと結局、思い通りになるのです。

ここで大切なのは正しい行いをして執着しない”it“なのです。

三宝院沙門
三宝院沙門
では、”Let it be ”あるいは”Let it be Me”の流れる川に行きましょう、
Meがあることで、2つは意味が違いますが究極は同じです。

It”黄金”の季節

土佐のまほろば

モノはいなくなったヒトの代わりを担うことがあります。懐かしい歌などもそうですね。恋人や親近者、モノとの付き合い方がゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)できていないヒトにとって愛する故人が所有していた品々をどう処分したらよいのか、感情の餌食になって苦慮するでしょう。故人が所有してたモノを部屋に並べていくと、泥棒気分を体験できるでしょう。自分の意に反して所有者にさせられる場合があります。
あなたの家族を博物館の管理者にしないようにあなたの死後を想像しながら、明るい秋の黄金色の光と心地よい清らかな風だけを思い出せるように残しておきましょう。

川を汚さない生き方

土佐のまほろば

私たちは老化の流れを止めることもできない。しかしただひとつ老化の流れを汚すことなく、ゆっくりと静かなものにすることはできます。
仕事以外に無理強いしたものに、どんなことがあったでしょう?
買い物、片付け、住まいの維持管理、人手不足で起こる重い荷物を移動することもしなければなりません。これら雑用が想像以上に私たちを消耗させ疲れさせます。

こういった行いが活動期ならいいでしょう。必要でもあります。人生の後半にあなたがいるなら終わらせるべきことは終わらさないといけません。自分を縛りつける諸々から解き放ち、これから始める人生の「黄金の季節」を最良にして最高の時期にしたいでしょう。

75歳になってもまだ人生は1/4残っています。
少ない持ち物で若かりしときと同じような自由と身軽さを体験できるのです。

何をとっておくといいのか、あるいは反対に悪いのか、自分を知ることから始まります。

禅のこころ

臨済宗 妙心寺派 妙法山正眼寺

禅では物事のすべてが移ろうことを認めてそれに逆らわないように教えます。物事の良し悪しを超えて、依存しないあり方(執着しないあり方)を大事にするからです。
一度この状態に到達したら日々の暮らしは著しく改善されます。

私たちの精神が心地よくなるたまに必要なことが自分から探し求めなくても向こうからやってくるからです。私たちは心地良さが身辺から去らないように、堪能すればいいのです。

なぜそんなことが起こり得るのでしょうか。依存も所有もしないので、失う恐怖感もありません。いのちの流れを修復してくれるので、思考することもしないことも、一切執着を気にしなくなります。すべては自分と無関係だと微笑むことができるのです。

Let it be /Let it be Me

種子

これでよしとする、これ以上問題 にしない、これ以上何 も言わない、手出しをせずに成り行きに任せて置く。あるいは、まかせれば愛は愛に育ちます。

今、20代のあなたは10年前の自分と比べて、どちらがエネルギッシュだと思いますか?

30代のあなたは10年前の自分と比べて、何かを失ったと思いますか?

40代のあなたは10年前の自分と比べて、限界について感じることがありますか?

50代のあなたは10年前の自分と比べて、体力気力の衰えを感じますか?

60代のあなたは10年前の自分と比べて、何かおかしいと感じることがありますか?

70代のあなたは10年前の自分と比べて、歯がゆい思いをすることがありますか?

80代のあなたは10年前の自分と比べて、お考えになることがありますか?

碧巌録

土佐のまほろば/禅師峰寺

禅の概略は海外にも広がり、経済戦争に疲れた世界でも有数の戦士が癒しを求めて来訪されます。

何かをしようとしても根気がつづかず、気が散って集中することがない。もはや痩せることも不能。

岐阜県美濃加茂市に臨済宗 妙心寺派 妙法山正眼寺という禅寺があります。
現在の師家(禅マスター)である山川宗玄(やまかわそうげん)老師が若い頃の話です、まだこの道場で修行中であった頃のことであるが、イギリスからという80才くらいのお客様が訪ねてきたことがあったという。

碧巌録

禅の書『碧巌録(へきがんろく)』を読んで、どうにも分からないことがあるので来たそうです。

体露金風(たいろきんぷう)」という言葉がありますが、これはどういうことでしょうか?と問われたのです。説明してもわからなかったようでしたが、「ガハハッ」と笑われて帰られました。

坐れば解る

正眼寺

そのヒトは、世界を支配しているという陰謀論で有名な世界的な大富豪ロスチャイルド氏でした。

ロスチャイルド氏が80になり、あと何年生きられるかというときになって、正眼寺に訪ねて来た時、「体露金風」の意味を稀代の禅師であった逸外老師に尋ねられたと云う。老師は、ワハハと笑い、「座ればわかる」と応えられたと云う。

同じような年の坊さんが「体露金風」と答えられた、とてもその心境がわからんと質問をされた。

逸外老師は、樹しぼみ葉落つる時(紅葉の真っ盛り)の時は実りの秋、そこに吹き渡る清々しい風。キラキラと老い、燃ゆる老い。

「なに、体露金風かね、わははは、そんなものは坐禅せにゃわからん」と一蹴されたんですよ。

「じゃ、坐禅します」ということになって「そうだな、すぐにしたらよろしい」
合計5~6人でしたか禅堂に案内して坐禅したんです、大体4~50分。

逸外老師は外で待っておられて、坐禅が終わったあとに開口いちばん
「どうじゃね、わかったかね?」とおっしゃった。

ロスチャイルドさんが「わかりません」と答えると

「そうじゃろ、わからんじゃろ、わっはっは!」とまた笑われたんです。

げらげら笑って
ロスチャイルドさんはしばらく「うーん…」という表情されていましたが、急にふわーっと良い顔されて、にっこり笑った。

そのあとに少しスカッとしたんでしょうか、晴れ晴れとなられて、玄関で記念写真を撮ったんですね。

「体露金風」とは、秋の紅葉が真っ盛りのときに清々しい風が吹き渡っていること。

体露金風

体露金風

碧巌録の中で、ある修行僧が、雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師に問います。

「樹凋み 葉落つる時 如何?冬枯れの季節ですね、人間の黄昏の時、年をとってよれよれに、なって、若いときの元気もなければ、勿論頭もぼんやりしている。

もうあと何年生きられるかわからない。

そういうとき一体人生、どういうものでしょうという質問したんです。

それに対して雲門文偃禅師、「体露金風」とだけ答えられた。

紅葉が始まるということは、リンゴの木も梨の木も実がたわわに実って、稲穂は輝いているときでしょう。

秋の実りのときという意味でしょう。
いま、元気はつらつで、なんでもかんでも成就して、活発に活動している、というような時と答えられたわけです。

100年「し合わせ」なシンプルな整え日記
「自業自得」のもとになる「悪因悪果」「自分」というバケモノは、欲望・怒りの身体、言葉、意志の三つの業にはたらきかけて、ポタポタしたたり落ちるだけの水滴でも、やがて大きな水瓶をいっぱいにする。その悪しきエネルギーでいっぱいにする。「善因善果」同じように善き業のポジティブなエネルギーも心の水瓶にポタリポタリと蓄積して、やがて心地良い縁を招きます。
100年「し合わせ」な整え日記:生死事大 放逸するなかれ
禅寺には食事を知らせる魚板があります。来訪者が打ち鳴らす板(はんぎ)があります。板木は使う場所や形で僧侶の日常的な諸作法の合図にも使います。我が家にも是非ご用意ください。アセスメントのない暮らしは「生死事大」から離れる一方です。

まとめ

ライフステージの終盤をどう過ごすかは、そのヒト次第です。

清々しい風が吹き渡っているでしょうか。風を釘で打ち止めることはできません。

ただヒトによっては、モノがいのちを打ち止めることはできます。それを本能的に知っているヒトはわざわざ不便なキャンプに出かけ不便を楽しみます。無意識に「体露金風」を楽しんでいるのです。いまでなくていつですか?「この瞬間です」最大限のモノを取り除けば大切なものがよってきます。

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