渇愛から自由になるアサーティブなマインドフルネス瞑想

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こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです

気が滅入る事象は、誰にも起こりますが、対処の仕方はピンキリ。

渇愛から自由になるマインドフルネス瞑想はお金もかからず環境にも良いおすすめの対処療法にして根本治療です。

2500年前に発見された解決法をご紹介します、

ブッダ伝説「四門出遊(しもんしゅつゆう)」

四門四遊

かってブッダがインド地方の王子だった時代。
ゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)と名乗っていた時代。

四門出遊(しもんしゅつゆう)という有名な伝説。

ある日、王城の東西南北の四つの門から外に出てみたところ。
それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、出家を決意した・・・と伝えらる話のことです。

自己否定が起点になった暮らし

マインドフルネス世界に広がる

ブッダは出家しましたが、私たち一般人は、老人、病人、死者になる自分を恐れて、目を逸らすために、自分の外側に「有力な自分」を探します。

  • きれいな女性とつきあいたい
  • お金があって、かっこいい男性とつきあいたい
  • おしゃれなファッションに身を包みたい
  • 高級マンションに住みたい

自分の外側に自分の有力さを見つけてきた人は、有力さを体感できることに熱心。
つまり「依存」でしかないのです。

ネガティブな連想の人生脚本

マインドフルネス

有力さを体感しても、失う恐怖から目を逸らすために、「アルコール依存症」をはじめとする「依存症」と名のつく病に手を出してしまう。

全て「自己否定」が起点になっています。

学校の成績が悪くて自己否定に陥るのも「=貧乏=病人=死者」という連想ゲームをしてしまうからです。

学校の成績が悪くても「=元気=活発=金持ち」という連想ができれば、自己肯定になります。

大事なのは学校の成績ではなく、他者の評価でもなく、生のイメージがあれば良いのです。

生のイメージの起点は「愛されること=しっかりした愛着の絆=おなたはそのままでいい」です。

坊やはよい子だ ねんねしな

だから昔の人は、幼子をおんぶに抱っこで、「♫ 坊やはよい子だ ねんねしな」と歌いました。

ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
坊やのお守はどこへ行た
あの山越えて里へ行た
里の土産になにもろた
でんでん太鼓に笙の笛
起き上がり小法師に豆太鼓

・・・・なんと江戸時代に真理を突いた歌が作られ、長きにわたって歌い継がれてきたのです。

深層心理

阿頼耶識

すべては、唯識(=大乗仏教の見解の一つ=瑜伽行唯識学派)でいう根本心とされる「阿頼耶識」のなせる技なのです。

根本の心が、どうしてマイナス、ネガティブなのでしょう?

子どもを育てる過程で悪気はなくても、親が見下してしまうからでしょう。

その上、従順であることを求め、従順であることをよしとしてしまいます。

子どもは無力ですから、親の力添えなしには生きていけません。

親の保護(=愛される)を必要とします。
なにがなんでも見捨てられるわけにはいかないので渇愛します。

およそ100年ほど前のサイレント映画「散りゆく花」

舞台は上海です。

主人公の若い白人女性は父親と暮らしていますが、父親は日常的に娘に「しみったれた顔が気に入らない」といって暴力をふるいます。父親は自分を娘に投影しているのです。

やがて娘は逃げ出し、中国人男性に救われ、生まれてはじめて大切にしてもらいます。

中国人男性の家に保護されていることを聞いた父親は「恥をかかせやがって」と怒り、娘に暴力をふるい殺してしまいます。

怒った中国人男性は父親を射殺してしまいます。

悲劇のストーリーですが、束の間といえども、中国人男性に生まれてはじめて大切にされたよろこびは印象的です。

およそ100年前の映画ですが、100年前といまでは「人権」に対する意識は格段の違いがあります。

それなのに、親子の関係で起こる「虐待」が、今も昔も変わっていないことに驚きです。

子どもは親の所有物ではありませんが、そうは思えない親がいるのも事実です。

負の連想ゲーム

マインドフルネスな子育て

負の連想ゲームを考えて考えて、考えを、まだここにない未来にも投影させて、ますます悲観的になり、凹んで悲しくなる。

・・・・自分がどう感じるかばかりが主要なことになり、やがて一日を占領してしまう。

この状態が極度に発達したのが「うつ病」です。

「うつ病」は貧しい国にはない

あまりにも幸福(の代用品)を簡単に手に入れることに慣れてしまっている人ほど「うつ」に近い場所にいます。

「うつ病」は貧しい国にはないと言います。

依存症も、うつ病も、怒りっぽい人も、呼び名は違っても、同じ不安という思い込みの梯子(はしご)です。

アサーティブなマインドフルネス瞑想

LOVE

ブッダが2,500年前に発見した「渇愛」・・・手に入れても手に入れも満たされない激しい執着。

渇愛を解決するのは「無条件の愛」

あるがままのあなたのままでOKだよ。

アサーティブに自己主張しても受容してもらえる世界。

まとめ

マインドフルネス瞑想は、いまここ、この瞬間。あるがままの私をそのまま受容し、自分がどうしたいのかに気づく。気づいたままに、自分を手放す。ただそれだけのトレーニングです。

いつでもいまここ、この瞬間にできるように、ツールは「呼吸」だけOKです。

呼吸だけで人生を変える力があります。

 

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