「働き方改革」が進む時代。その成果はどうでしょう?
肯定的な人もいれば、否定的な人もいます。その基準も人によって違います。
しかし、これまでのやり方ではやっていけないことは、誰もが気づいています。
気づいているから、解っているいるにはならないのがシステム思考です。
「氷山の一角」ではなく、氷山の全貌をつかんで、「ツボ」に働きかけるのがシステム思考。

マインドフルネスは、システム思考の原点です。
- なりきれずに迷っている方
- 目の前のことに集中できない方
- 幸せから逃げている方
- 年中、準備中の方
システム思考で自分になりきるのがマインドフルネス
気づき=覚り
覚りと悟り。文字は違っても意味は同じです。
覚りと悟りで「覚悟」です。
すでに覚っているから、悟ろうとする。これが仏教です。
マインドフルネスは、覚悟するためのトレーニングを通じて「覚悟」を得ます。
覚悟を得ることで、自分に「なりきる」のです。
理解されないことが成功の条件の時代
アップルに復帰したばかりのスティーブ・ジョブズがめざす未来を発表したとき、共感できた者はほとんどいなかったはずです。
事実、スティーブ・ジョブズははっきりと美しい図にして表現したけど、その図を紹介したメディアはごくわずかでした。
しかも扱いが小さかったのを記憶しています。いまではみんなが手にしている日常です。
ほんの一握りの人にしか理解できないことでなければ成功しないのが現代の特徴なのです。
だから理解されないといって凹む必要はサラサラないのです。
フリーエージェントの時代
改善と改革は似ているようですが、まったく違います。
問題点を羅列して修正していくのが改善ですが、改革は根こそぎ発想を変えることです。
だから改革案はなかなか受け入れられないのです。
組織にどっぷり依存している人には、怖くてできません。
しかしいまの時代、低迷している業績のテコ入れを願うなら改善では追いつきません。
繰り返しますが、ほんの一握りの人にしか理解できないことでなければ成功しないのが現代の特徴なのです。
その意味で、本格的なフリーエージェントの時代の到来です。
実際の形がどうであれ、組織に依存しないあり方が問われます。
つまりホット(情熱的)でクール(カッコいい)、スマートな個人事業主、ひとり会社の真骨頂が発揮できる時代です。
評論家然としたいい方しかできない人物や、顔色を伺って曖昧で従属的なことしか言わないようでは、これからの時代は務まりません。
リーダーが心から信頼出来る人というのは、知っているのではなく「できる人」「専門家」「これが私が考えに考え抜いた結論です」とはっきりと言えるホットでクール、スマートな「ネットワーク」が作れる人です。
思考回路を変える訓練が必要
個人事業主、ひとり会社としてスペシャリストになるには、日頃から「思考回路」を鍛える意識を持つことが欠かせません。
いま「システム思考」は世界の常識です。
システム思考は「人を批判するより、構造に問題がないか」を前提に、真の原因を探して改善するやり方です。
お釈迦様がいちばん伝えたかった「四諦(したい)」は、「原因=結果」を追求したものです。
マインドフルネスは、システム思考にぴったりです。
なぜなら、システム思考を最初に採用されたのがお釈迦様だからです。
仏教は真理を追求してきたのが仏教だと言っても過言ではないでしょう。
そもそも仏教は拝むものではなく、真理を学ぶもので哲学、心理学といってもいいでしょう。
マインドフルネスの効果について
マインドフルネスの基礎である仏教の教え「八正道(はっしょうどう)」はその名の通り、「八つの正しい行いをしなさいという教え」です。
「八正道(はっしょうどう)」は仏教の特色が表れた教えで、哲学的、心理学的です。
「四苦八苦」は作られるのではなく、すでにある
仏教のいう「四苦八苦」は「生・老・病・死」をいいます。
- 生まれてしまった苦しみ
- 老いる苦しみ
- 病になる苦しみ
- 死ぬ苦しみ
この四つの苦しむを「四苦」といいます。
仏教の「四苦八苦」から始まった。
この四苦を「思い通りにならない苦しみ」と言います。
これを解決しなければ幸せになれないと考えたのが、仏教のはじまりです。
お釈迦様は自分が産まれたために、母親を亡くします。
これは子どもにとって、辛い出来事だったと推測できます。
お釈迦様はこの苦しみを解決したくて出家されました。
そうしていちばん最初の伝えたかった考えが「四諦(したい」です。
お釈迦様がいちばん伝えたかったのは「四諦(したい)」
四諦では、すべての物事には原因があると説いています。
これこそがブッダ(お釈迦様)がいちばん伝えたかったことで、その後に出てくる教えは「四諦(したい」」を核にした因果関係です。
いまの日本で「縁起」というと「縁起がいい」「縁起が悪い」というような表現が一般的です。
仏陀が言った「縁起」は意味が違います。
「原因=結果」で表すように、「すべの物事には原因があって、原因なしに生じるものはない」という意味です。
物事の見方、捉え方が縁起です。
「縁起には決まりである。我々がいても、いなくても、すでに決まったことである。
それは真理として確立され決定している。」
・・・これは仏教の経典に述べられていることです。
真理とは、本当のことという意味です。
では、「本当のこと」とはなんでしょう?
システム思考を知るエピソード
こんなエピソードがあります。
ある国の王様が部下に、生まれながらにしてのある国の王様が部下に、生まれながらにしての盲目の人を6人連れてきなさいと言いました。
部下は言われた通り盲目の人を6人連れてきます。
王様は「本当に生まれながらの盲目の人か?」と確認して、部下に次の指示を与えました。
言われた通り、部下は盲目の人の前に象を連れてきました。
次に王様は、「盲人たち各人に象とはどんな動物か、象の一部分だけを教えなさい」と部下に指示しました。
部下は、ひとりひとりに、象の全体を教えないまま、鼻、足、耳など象の特徴的な違う部位だけをバラバラに教えました。
そして、王様は、象とはどんな動物かを互いに議論するように言いました。
6人の盲人たちは、誰一人として象の全体を知らないまま、違う一部だけを知った状態で、象について語り始めました。
すると、盲人たちは、自分の教えてもらった象こそが、本当の象だと互いに主張を譲らず、ヒートして殴り合いにまで発展してしまいました。
王様はその様子を見てたいへん喜んだそうです。
「真理を知っていると議論をする人は、真理の一部だけを知っているから議論するのであり、真理を悟った人は議論はしない」というお釈迦様の教えを的確に伝えています。
このエピソードは、真理についてのエピソードですが、お釈迦様の教えと、システム思考の困難さを見事に表現しています。
「すべの物事には原因があって、原因なしに生じるものはない」・・・・確かにそうなのですが、因果の連鎖こそお釈迦様が本当に伝えたかったことではないでしょうか?
象のことは知っているが、象を理解しているわけではない。
上述したエピソードは、知ってはいるが、真理(=大宇宙)を理解しているわけではないことを伝えているのではないでしょうか。
真理は作るのではなく、すでにある
一人一宇宙が連鎖して大宇宙を形成している。
つまり真理はそこにあるのです。
真理はそこにあるのですから、作るわけではありません。
注意深く、丁寧に連ねていくことが大事になります。
真理は作るのではなく、そこにある。
原因も作るのではなく、すでに、そこにあるのです。
「一切皆苦」=人生はデコボコ道。つまり苦がないないように、デコボコ道を舗装してから歩こうとしても、すでにデコボコなのだから、できない。だから「一切皆苦」と説いておられるのです。
お釈迦様が、一番伝えたかったことは、一番最初に説かれた「四諦(したい)」です。
四諦(したい)は、
- 苦諦(くたい)
- 集諦(しったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
四諦(したい)の意味
苦諦(くたい)とは、苦しみという真理(あること)
集諦(しったい)とは、苦しみの原因があるという真理(あること)
滅諦(めったい)苦しみの原因がなくなる真理(あること)
道諦(どうたい)とは、苦しみの原因がなくす方法がある真理(あること)
苦しみに対する私たちの概念とお釈迦様では、他のことと同じで真逆です。
お釈迦様にとっては、楽はなく一切が苦しみなのが真理です。(苦諦)
私たちは、苦はあってはならないもので、楽であるべきだと考えます。
なので、私たちは苦しみの原因はあってはならないもので、
お釈迦様は、苦しみの原因はあるのが真理になります。(集諦)
また私たちは苦しみの原因がなくなることはないと考えますが、
お釈迦様は、苦しみの原因がなくなるのが真理だと説かれます(滅諦)
さらに私たちは、戦争や環境問題を前にして苦しみの原因がなくす方法がないと考えますが、お釈迦様は苦しみの原因がなくす方法があるのが真理になります(集諦)
さて、『「一切皆苦」と言ってたのはお釈迦様じゃないのか、おかしいだろう?』と思いませんか?
「一切皆苦」の意味
「一切皆苦」の捉え方に間違いがあるのです。
「一切皆苦」はネガティブな意味ではなく、「人生はデコボコ道だから面白い」ということなのです。
日本的な葬式仏教の背景にある『「死」や「別離」の悲しい概念』とポジティブでダイナミックで概念の違いです。
環境問題に目を転じてみましょう。
自然災害の猛威が毎年、驚異を増やしています。
誰の目にも、異常気象は明らかです。
異常気象は、これまでの日本的な暮らしの価値観を根底から覆す勢いで激しさを増しています。他人事ではないと実感しているなら、暑いからエアコンを使い、ますます暑くなるから、ますますエアコンを使うという負の循環を真剣に考えるでしょう。
さらに、深夜までテレビを見ることもなく、車のエネルギーにも気を配るでしょう。根本的な原因を解決するには、先進国の自制と発展途上国への思いやりが欠かせず、複雑になってしまうかも知れませんが、原因がないのではありません。
- 苦諦(くたい)
- 集諦(しったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
という四つの諦にこめられたシステム思考に注目するはずです。
私たちは「環境問題」は知っているが、「環境問題」を理解していないので、「環境問題」の原因がなくなるところへ進もうとしないのです。
原因をなくそうとしないのは、「滅諦」=苦しみの原因がなくなることはないと考えてしまっているのです。
四諦(したい)を現実にするために、八つの正しい行いを説いた「八正道」が説示されています。
「八正道」
- 正見
- 正思
- 正語
- 正行
- 正命
- 正精進
- 正念
- 正定
「四諦」から「八正道(はっしょうどう)、「八正道(はっしょうどう)から「十二因縁」さらに「「三十七菩堤分法」・・・・・「原因=結果」で繋がっています。
マインドフルネスは、「八正道」が教科書です。

まとめ
物事には「原因」があります。
歪んだ目で見ていては「正しい原因」を捉えることは困難です。
正しい原因を捉えるには、自分のあり方を正さすことが先決です。
四諦は、そのことを言ってますが、「八正道」の実践があって、四諦が理解できます。
マインドフルネスが自分を育むます。
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