物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法

応量器 マインドフルネス
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水を探す象

三宝院沙門
三宝院沙門

見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。
こんにちは、いきいきゴエスのNaoman-Minoruです。
知って得する、物価高対策へご案内します!

家計を食料品の物価上昇が直撃します。最近の輸入物価は、2021年12月の飲食料品・食料用水産物が前年比26.3%の上昇となり、食料品の物価上昇圧力も大きい。節約志向は避け難いですが、20%近いサラリーマン家庭はこれと言った対策ができていないのが現実です。

その一方でロシアのウクライナ侵略で、幼い子供が飲み水がなくて死亡したというニュースは残虐の極みのように届きました。続いて東北を襲った地震でも、水がないと困っている人はたくさんいらしゃいます。水は人間はもちろん、動植物のライフラインの要です。

砂漠に生きる象は遠く離れた場所にある水場の地図を母から娘へと受け継ぎ、大移動しながら暮らします。行ったこともない場所に辿り着くと砂を掘り返し地下水を発掘して飲む姿に宇宙を支配する神の存在を感じて震えを覚えました。

神様とゾウさんに恥ずかしくない食べ方をしたいと思いました。

三宝院沙門
三宝院沙門

神と仲良くするには、水を大切にするのがいちばん。
水は、あなたと宇宙をつなぎ、宇宙の扉を開く入り口です。

物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法のご提案をします。
第一回目は「いのちの水を使った食器の洗い方」です。

いのちの食を実践する

おにぎり

物価高でもいままで以上に優雅な食事をするには、価値観の大転換がもっとも簡単です。物価が上がっても下がっても、いままで本当に「し合わせ」な食事をしていたのか、そこから見直したいと思います。見直すといっても、難しいことではなく、基準を自分の価値観にするだけです。

そのヒントになるのが画像の応量器です。応量器とは、禅宗の修行僧が使用する個人の食器のことです。応量器の特長は入れ子式になっていて、お椀がいくらあっても一つに収納されて場所をとらないからです。

スティーブ・ジョブズ

応量器とは主に曹洞宗の呼び方です。「曹洞宗」は、アップル社のスティーブ・ジョブス氏が憧れ、キリスト教からの宗派替えを望んだことでも有名です。
曹洞宗・永平寺の開祖、道元禅師が日々の食事が、どうすれば本当の喜びとなり、心や体を整え、命を生き生きと躍動させることにつながるのか、食事に対する考え方を、典座教訓』で作り方を、『赴粥飯法』で食べ方を、まとめ、食事と生活の因果関係を説かれました。食を通して奥義を極めた点で、他の宗派と一線を画します。物価高でもいままで以上に優雅な食事が可能になるのは、道元禅師に学ぶことで食に宇宙を感じるからです。

道元禅師、食に出会う

道元禅師は24歳で、宋(中国)に渡ります。そこで老いた典座(料理長)に出会います。長い修行を修め住職までも務めた方でしたが、再度志を立て阿育王山の寺で典座の役に就ておられました。経歴を知らない道元禅師は「なぜ老僧のあなたが典座の職などしているのですか」と質問したところ、「立派な外国のお若い方、惜しい事にあなたはまだ修行や求道の何たるか、文字の何たるかも判ってはいないようだ。」と笑われました。更に後日、老典座と再会する事になり、仏教との向き合い方が間違っていたことに気づいたことから始まります。

宋から帰国した道元禅師は京都の建仁寺にしばらく身を寄せますが、そこでの僧侶たちの食事を見て、「あたかも禽獣(んじう)のごとき」と嘆いておられます。禽獣とは、鳥やけものの類の総称ですが、人の道・恩義を知らないを比喩する言葉です。

いま私たちは、経済と食事の因果関係に悩みますが、道元禅師は、作り方、食べ方、片付け方の三つが整ってこそ、生活を楽しめると唱えられました。
今回は片付け方についてお話します。なぜなら物価高でもいままで以上に優雅な食事を実践するうえで、もっとも大切だと考えるからです。

最小限の水で食器を洗う手順

山中漆器 日本製 応量器 黒

禅僧の僧堂における食事では、全員が食べ終わったら、その場で各自が使った応量器、匙、箸を作法どおりに洗い清める「洗鉢」(せんぱつ)を行ないます。出家する際に持参した唯一の荷物のあと片づけまでが食事の一環です。

まず、給仕の世話をする浄人という役職の人からお茶を頭鉢(いちばん大きな応量器)に注いでもらい、そのお茶で鉢刷(はつさつ)と呼ばれる棒の先に布を巻いた道具を使い、頭鉢についたお粥やごはんの跡などをきれい拭き取ります。

次に、頭鉢のなかのお茶を二番目に大きな器、三番目に大きな器と順番に移しながら、それぞれを洗い清めていきます。

応量器を洗うのに使ったお茶は最後に飲み干します。

後片付けも含めて「食事」

山中漆器 日本製 応量器 黒

次に、すすぎのためのお湯が再び頭鉢に注がれます。
お茶のときと同様に鉢刷を使って頭鉢をきれいにしたら、次の器にお湯を移してから、ふきんでよく拭きます。

番目の器のなかで匙と箸を洗い、ふきんで拭いて、匙筋袋に収めます。
そのあとで二番目の器を洗い、ふきんで拭き、頭鉢のなかに重ね入れます。

ここで浄人が折水桶と呼ばれる木桶を持って回ってきます。
自分のところに来たら、三番目の器に残っているお湯を半分ほど桶に入れ、残りはやはり飲み干します。

最後に、三番目の器をふきんで拭き、二番目の器の中に重ね入れます。
これは応量器の器を三個使った場合の例ですが、その数が増えても、手順や作法は変わりません。

これで、応量器を並べる前の形に再び戻った状態になり、自身の次の食事の準備が整ったことになります。つまりたくさんの人が何段階もある行程をたどって、あなたの食事を整えてくれた努力に向き合う準備が整ったことを意味します。もしあなたが次の準備をしていなければ、慌てて食べることになり、感謝する余裕を失うでしょう。

最後に折水桶に入れられたお湯は。庭の草木にまいたり、池や小川に返します。

料理の極意「三心」

欅 応量器 黒摺 KE04-005

念入りな手入れは休日に行ないますが、特別なことをしなくても、漆塗りの応量器は清潔に保つことができます。

それはきわめて合理的であり、一滴の水も無駄にしない考えに貰かれています。
日本人は古来から水に恵まれた環境のなかで暮らしてきましたが、2000年も前から環境に甘えずSDGsの思想は反映、自然を汚染する洗剤なども使わずに暮らしてきたのです。

現代人は水に対して無頓着な傾向がありますが、飲み水はもちろん、お風呂の水も血液同様にいのちち繋がってることを再認識したいですね。

道元禅師は、『典座教訓』の締めくくりに典座が食事を作るさいにしっかり持ち続けなくてはならない三つの心(「一二心」)について説明されています。
三つの心とは料理の極意である「喜心」「老心」「大心」を指します。

典座教訓

典座教訓・赴粥飯法 (講談社学術文庫)

「三心」を身につける修行としての料理

三心
三心は典座の心得ですが、一般人も大いに参考にできるものです。普段、食事の準備をしたり、料理を作ったりするさいに、この三心が身についていれば、作る人、食べる人の双方が「し合わせ」になれるとしています。

料理を作るのは、この三心を身につけるための修行であるともいえます。
この三心は、単に料理を作るときだけでなく、仕事をするときも、年齢を問わず人と接するときも、さらに自然と接するときにも、大切にすべき基本にして極意だから、食の大切さを説かれたのです。

「喜心」「老心」「大心」を基準にしたライフスタイル

  • 喜心とは、喜びの心です。人間に生まれた喜びや感謝。今、目の前にある生命(食材)の恵みに対しての喜び。料理が出来る喜び。
  •  老心とは、孫や子供を愛するような慈しみの心。母が我が子を思うように、無償の愛情をもって調理すること。料理を召しあがる人のことを思う「おもてなし」の心です。
  •  大心とは、山の如く高く海の如く広い寛大な心です。どんな方へも偏見や固定観念を捨て、召し上げる人のことを思うことです。親切丁寧な心掛けと作法です。
つまり、三心とは、
喜心=つくる喜び
老心=もてなす喜び
大心=相手の立場を思う喜び、親切心です

新型コロナウイルスで「いのち」の大切さを気にするようになりましたが、現代の日本に生きる、私たちは、まだまだ、ほとんどの人が「いのち」を基準に暮らしていません。

物価高でもいままで以上に優雅な食事にするには、価値観の転換が重要です。
同じ食材で7〜8万円アップダウンしても、それほど実感として変わりません。価値観の転換で得る贅沢感の方が大きいです。

値段の高いものや希少なものには価値があると感じ、安いもの、大量に出回っているものや食材にはありがたみを感じる機会も少ないようです。つまり偏見や執着心に振り回されているのです。その様子はテレビ画面に氾濫している食レポに表れています。局は「安上がり」という側面があるのでしょう。しかし珍しくても、そうでなくても、高くても安くても、「いのち」という基準で見れば、同じです。

食はいのち、味付けは慈悲のこころ

お粥さん食堂

ポーランドに避難している方々に用意された簡素な食事に「いのち」を感じた方はたくさんいらしゃると思います。どんな環境であっても、その食材の持ち味を大切にする知恵を大切に育みたいと思います。

道元禅師は「三心」に「慈悲のこころ」を見出されたのです。料理の出来は慈悲のこころで大きく変わります。侵略という心無い行いが物価高を助長する理不尽を慈悲のこころで打ち勝ってみたいですね。

まとめ

「物価高でもいままで以上に優雅な食事をする方法」
思う以上に簡単です。食に対する「あり方(価値観)」を変えるだけで何倍も優雅になります。

僧堂では、食事のあと、このように一杯のお茶やお湯で、使った食器を洗い清めていきます。

最初に大きな器にお茶を入れてもらうときに、いちばん小さな器にまで行き渡って、それを飲み干すことを考えて、量を加減しなければなりません。

マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。
食事という行為そのものがマインドフルネスなのです。後片付けも含めて「食事」です。

お粥さん

マインドフルネス ライフスキル
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