見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。
こんにちは、いきいきゴエスのNaoman-Minoruです。
エンドレスにワンダフルな暮らし方を実践したゴータマ・シッダールタに「し合わせ」の秘訣を学びます。
ところで、禅と、瞑想、さらにマインドフルネスは、なにがどう違うのでしょう。
ブッダ(本名:ゴータマ・シッダールタ)は長い年月を瞑想に投じて、覚りを開いたといいます。瞑想の目的は落ち着いて自分を観察し、いま、ここ、この瞬間に集中して、あるがままに自分になることです。瞑想のスタイルには呼吸に集中する坐禅をはじめ、歩行禅、食蝉などいろいろあります。
あるがままの自分とは自分になりきることです。禅には「無我」という境地があります。
我を忘れた状態があるがままの自分の状態です。
我を忘れた状態があるがままの自分とは、あるといえばあり、ないといえばない自分。つまり「空(くう)」です。空とは「無我」を万物に適用したもので、無我と同じく「なにもない」わけではありません。
自分という器はあるけど、中身がない。中身とは「行動する対象のことです」
行動する対象とは食事をしている自分になりきり(→食事になりきる)、瞑想している自分になりきる(→瞑想になりきる)というように対象になりきるので、必然で、自分は消えます。常に対象になりきります。刻々とコロコロ変わるので、自分も諸行無常の代表的な存在です。
- マインドフルネスとは、なりきった状態のことです。
- 瞑想とは、なりきるための行為です。
- 禅とは、なりきることです。
- なりきるための自分の扱い方の心得が、「空」であり「無我」です。
なんのためになりきるのか?
いま、ここ、この瞬間を、最高に楽しく暮らすためです。
「ブッダのように私は死んだ」という歌がありますが、ブッダを知らない人の発想ですね。
大切なのは、ブッダのように自由に楽しく暮らすことです。
落語家は扇子しか持っていないので、扇子共々、自由自在、なんでもなれます。
その調子で、行きましょう!
自由人、ブッダになる。
仏教は2500年前、紀元前5世紀頃のインド北部ガンジス川中流域で、ゴータマ・シッダールタが覚りを開いてプッダ(目覚めた人=悟りを開いた人)になったことから始まりました。
ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)が人々に説いた教えはのちに経典としてまとめられ、地域ごとに、さまざまに形を変えながら受け継がれて、現代の仏教を形づくっています。
ブッダは亡くなる前に、死んだらどうなるかを予測し、注意点を弟子に伝えましたが、予測した通りになりました。
ブッダは「宗教」になることを懸念、死後リーダーを立てるなと弟子に伝えました。
案の定、みんながあれこれ考えて、上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教に分裂、大乗仏教にはたくさんの部派が生じました。そのなかのひとつが密教です。密教は秘密の教えで、拝めば仏になれるというものでした。日本でも、空海、親鸞と形を変え受け継がれていき、宗教の形を整えます。ブッダの心配した通りになりました。
そもそもプッダにはでき上がった形の「仏教」などありませんでした。彼は、ただインドの大地で、自由に学び、自由に生きただけで、そのプロセスで「目覚めた人」になりました。
学ぶことは究極のエンタメ
それは、ブッダの学びを手本にして生きようとした人たちの集まりでした。
天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊
プッダの教えより、プッダの人生そのものを見れば、私たちはもっと自由に、なにより楽しく生きていいことがわかります。「天上天下てんじょうてんげ唯我独尊」と言う言葉があります。「自分ほど偉いものはいない」と解釈する人もいますが。もっとも重要なことは、言葉に依存せずに自分を信じることです。信じることでマインドフルネスな状態になれます。
ところが言葉で考える癖から離れられないので、マインドフルネスな状態になれず煩悩に苦しみます。マインドフルネスな状態とは、なりきることです。目覚めた状態のことです。
象が水を求めて数百キロも離れた場所に移動するのは、自分を信じているからです。人間なら、「もしそんな遠いところに行って水が出なかったらどうするねん」と疑って、ほとんどの人は行動できないでしょう。
でも象は水を飲んでいるイメージがわかるんです。本当は人間も捨てたものではないのです。
一人一宇宙
「天上天下てんじょうてんげ唯我独尊」とは、「一人一宇宙」です。「一人一宇宙」であるけれど、繋がっている。なにと繋がっているのでしょう。太古の昔からつながり続いてきた「もともとのいのち」は、やはり太古の昔からつながり続いてきた他の「もともとのいのち」はと繋がっています。
私たちには、ひとりひとりに自分の宇宙があります。体内には60兆の細胞が繋がっていて、テレパシーがあり、シンクロニシティーがあり、イメージがあり、言葉以外のつながりで繋がっています。
イメージができる人とできない人
野茂さんにはイメージがあり、反対した人にはイメージできなかったのです。
仏教とロックンロール
ブッダは紀元前5世紀、2500年前のロックンローラーです。
エルヴィス・プレスリーは、ロックンロールの創始者です。彼には幼い頃からイメージがあったので、強いテレパシーとシンクロニシティを働かせて、自費でレコードを作り、白人がR&Bをやれば売れると想像していた人との出会いを引き寄せました。やはり新米としてステージに立った時、プロのシンガー(ジム・デニー)から「トラックドライバーに戻ることをいますぐ考えたほうがいいよ」と忠告されたと言います。
自分にとってゴスペルやR&Bはバラモン教のポジションで、ロックンロールの創始者であるエルヴィス・プレスリーはブッダで、ビートルズは空海、イマジンは護摩なのです。さまざまに形を変えて受け継がれたロックを元に戻す動きがパンクによって生まれます。
プッダのようにエンドレスにワンダフルに暮らしたい
事実、英語より難解なお経を聞いて楽しい話を聞き漏らしています。
では、「エンドレスにワンダフルな暮らし方」とは、どういうものか。これまでの仏教に対する先入観を捨てて、学んでいきましょう。
まとめ
「エンドレスにワンダフルな暮らし方」は「自由であること」と結びついています。
なので「自由」の概念を整えましょう。「自由」は好き勝手なことをするのではなく、自律できることです。自分の規範に従って行動することです。自律は、共感と表裏一体なので、自然と慈悲になります。慈悲とは「精励」です。精励は見えない「縁起」のいたずらから身を守り、「縁起」のもたらす幸運を引き寄せます。
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