ループする煩悩製造システムを気にしない暮らし

潜在意識の大掃除講座 マインドフルネス
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Naoman-Minoru
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こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。

煩悩を連想させる言葉「一切皆苦」とは、人生は思い通りにならないこと。
煩悩から解き放つブッダの教えを知る出発点は、「一切皆苦」といいます。

でも、「一切皆苦」を出発点とする方法は、ブッダの歩んだ道の出発であったにしても、教えを学ぶには難解になるので、ふさわしくありません。

ゲンキポリタンは結論から理解していくことをおすすめします。

では、結論から一切皆苦にたどり着く魔法のドリルをやっていきましょう。

煩悩から解き放つゲンキポリタン10の約束

マインドフルネス瞑想の手順

ゲンキポリタンとは、ひとことでいうなら煩悩を気にしないゲンキな人。煩悩は気にしないようにすればするほどまとわりつきます。

煩悩はやれないことに自分を誘う仕組みです。
できることよりできないことには魅力があります。危険な罠です。

100年ライフは長いようでも、やれることをするには、100年ライフは長くはありません。
自分がいまできることに挑戦する習慣を大事にしましょう。

100年時代を心豊かにお祭りのようにライフシフトしてエンドレスにワンダフルにするのに、煩悩とどうつきあえばいいのか、究極の答えにご案内します。

特別な一日を愛するゲンキポリタンが自分に約束する10のポリシーがあります。

10の約束は、潜在意識の底の底にある幼児期に芽生えた煩悩の根本心を焼き尽くすための羅針盤です。
10の約束を身につけるのにルーティンワークしますが、身についたら全部手放してしまいます。
手放すことで真に自由と安心が獲得できるからです。
ゲンキポリタンはブッダの哲学をヒントに、煩悩を自動で製造する仕組みも手放します。

ブッダがたどり着いた「無」「空」

マインドフルネス

「煩悩」と同じく「無我」という言葉は、有名ですが、理解できないので仏教を誤解する言葉にもなっています。

ブッダの究極の答えは、「いま、ここ、この瞬間」目の前の対象になりきることです。
対象になりきるとは、していることに「没頭すること」です。
たとえば掃除しているなら掃除になりきる。勉強しているなら勉強になりきる。。。。つまり行為そのものになりまるのです。

それには、自分があったら、行為になりきれません。自分はいなくなるわけではありませんが、自意識は邪魔です。掃除している自分を意識してもきれいにはなりません。

そこで「無我」です。
自分が椅子に座っていたら、掃除は座ることはできませんが、自分が席を対象(この場合、掃除)に譲ることでそこは無になり、空になります、

電車で席を譲る状況をイメージしていただくとわかりやすいのではないでしょうか。

37兆のネットワークへの畏敬の念

もともとのいのち

しかしブッダの「無」と「空」には、壮大な広がり、奥行き、深さも感じます。
ブッダには単細胞生物から進化したヒトに対する畏敬の念があるからです。
人体には37兆の細胞ネットワークがあるといいます。別の説では60兆だという説もあります。
その1つの細胞の中に、やはり同じくらいの細胞があると言われます。
医学のレベルでは想像できない膨大な細胞ネットワークが人間の意思の及ばない領域でコミュニケーションをとりながら生命活動を行っているのです。

地球が誕生したのは45億年前。
星の誕生と爆発を繰り返し、爆発した星のかけらが地球という星に降り注ぎ、星のかけらの分子が増殖して誕生したのが生命体です。

体細胞と生殖細胞

地球誕生から15億年の経過を経て、30億年前、最初の生命である単細胞だった生物が生き残って多細胞生物に進化します。
ウイルスが生存するために変異するように、生存するために多細胞生物は単細胞生物と違う方法をとります。

体を構成する体細胞と配偶子をつくる生殖細胞に自ら分類して、単細胞生物と同じように増殖、良い分子だけを残して遺伝子として次の世代にバトンタッチします。
生死を繰り返すことで悪い遺伝子が増えないメカニズムで生き続けて来たのです。
生殖細胞の卵と予め定められた精子が融合してできた受精卵は分裂して、さらに生殖細胞と体細胞を増やしてきたのです。

大いなるヒトへの畏敬の念が慈悲

慈悲

これが個体である私たち(ホモ・サピエンス=考えるヒト)、つまり単細胞生物から進化を続けたひとりひとりのいのちの源流です。
生を受けた時から、より良いいのちをバトンタッチする任務を負っていると言えます。

もともとのいのちは、次世代により良いいのちを引き継ぐために、エンドレスにワンダフルを実践する責任があるのは自明の理なのです。

ブッダが信じる大いなるヒトへの畏敬の念こそが慈悲であり、仏教とは慈悲そのものです。

受精とは壮大なメカニズムのはじまりであるとともに終わりのはじまりです。

人の本性は慈悲

十二縁起

種を保存するために、人がなんらかの成長する必要があるなら老いてから受精活動するはずです。
ところが体細胞活動から鑑みるとそのようにはできていません。
事実、人間の思い込みと違い、青年期と比べて、老齢期になっても、たいして成長もしていません
ほとんどの人は持ち物が変わっても、同じことをやり続けています。

では、人はなんのために生きるのでしょう。
それがわからないから悩みもしますが、答えはありません。
自分で物語を用意する必要があります。

人の本性は慈悲であり、人の役に立ちたいと思わずにいられないのです。
人の「もともとのいのち」はいのちある限り進化するのが本性です。
であるのに、役立てない、進化できないことから生じる軋轢で人は苦しみます。

仏法では、十二縁起で説かれているように『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまうのです。

無明とは因果(原因と結果)に明るくない(無知)ことです。

十二縁起とは原因と結果の連鎖で12のプロセスを辿り、最後に老いて死を迎える『老死(ろうし)』に至ります。『老死(ろうし)』に達しても無明だと老死が原因で『無明(むみょう)』が結果になり、十二縁起はループします。

この状態では「エンドレスにワンダフル」にはならず地獄のループが続きます。

十二縁起には人間の肉体を中心とした因果関係である外縁起と人間の内面(心)からとらえた因果関係である内縁起があります。

その原因が潜在意識(深層心)にあります。

ループする煩悩製造システム

ループする煩悩製造システム

 

1.無明

無明とは、無知なる魂をさしますが、具体的にいうと真理(=道理)に明るくないことで解決方法を知らないことを意味します。無明は無意識の領域で起こっていることです。
無意識の領域で起こっていることで自分で因果関係を具体的に気づくこともなく解決できません。

2.行

行とは、自分を形成している5つの要素で、仏法の五蘊(ごうん)に由来します。

五蘊(ごうん)とは、次の5つです。
・色(シキ・からだの肉体)「身体」
・受(ジュ・感受するこころの作用)「感じるこころ」
・想(ソウ・思い浮かべる心理作用)「想うこころ」
・行(ギョウ・形成しようとする意識)「行うこころ」
・識(シキ・判断する識別する心理作用)「判断するこころ」

両親の五蘊による行いによって次の識にプロセスが進みます。

3.識

行によって母親の胎内に識が生まれます。識は前述の五蘊の識と同じ意味です。受け継がれたと解釈するとわかりやすいですね。

名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。
名色(みょうしき)というのは、魂(たましい)が入った人間の心身ということです。

ブッダの説いた4大真理のひとつに「諸法無我」があります。
諸法無我は、「全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない」という真理です。行・識・名色のプロセスは自身の誕生期の因果関係を語っています。

「識」とは知識の識で『生物の特性を備えたもの』という意味でヒトのことです。
まだ人間の形になっていない不完全な識(しき)がだんだん形を整えてくると、次の『名色(みょうしき)』になります。

4.名色

自己は「名色(みょうしき)」で成り立つと認識されています。つまりヒトとしての形といえます。

  • 名は精神的なもの(感受性・思念)
  • 色は形あるもの(肉体)

5.六処

『六処(ろくしょ)』と呼ばれる、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)、すなわち六根(ろっこん)が調ったという意味です。つまり人間として、この世に誕生する意味です。

6.触

『身体と心=名色(みょうしき)と六処(ろくしょ)』が互いに影響(えいきょう)しあった状態で感覚器官が発達した状態を『触(そく)』といいます。

触(そく)の感覚器官が発達してくると、感受性が強くなってきて、好き嫌いの感情がでてきて、分別するようになります。

7.受

この状態を『受(じゅ)』と言います。人間の年頃で言えば、六、七歳を指します。

8.愛

さらに成長すると、『愛(あい)』が生じます。
愛にはいろいろな意味がありますが、外縁起(がいえんぎ)での愛は主に異性に対する愛情です。

異性への愛情が芽生えてくると、相手を征服して自分のものにしたいという所有欲、独占欲がでてきます。それが次の『取(しゅ)』と言います。

9.取

異性への愛情が芽生えてくると、相手を征服して自分のものにしたいという所有欲、独占欲、がでてきます。それを『取(しゅ)』と言います。
「愛」が繰り返し起こり、何度も思い出して、「執着(しゅうちゃく)」が生まれます。

10.有

「取」が強くなると、身口意(しんくい)「からだ・ことば・こころ」で現れてきます。
その現れた行いが「業」(ごう・カルマ)です。身口意の行いが三業(さんごう)です。

自分の嫌いなものから、離れようとしたり、嫌ったりします。
このように分ける感情、分別する意識が出てくることを『有(う)』といいます。

11.生

『有(う)』のレベルまでくると、生きる葛藤、苦しみがいろいろな形で表れてきます。このように、さまざまな苦楽の意識と行為を業として魂に記憶し、このような意識で人生を過ごすことを、『生(しょう)』といいます。

生命を生み出すのは、自ら行った行為からで、すべて業(カルマ)より生まれます。
エンドレスにワンダフルにするのは自分の行いが生み出します。
次の段階(老死)にはエンドレスにワンダフルで突き進みたいものです。

『生(しょう)』は本人だけでなく、子々孫々の『生』にも影響を与えます。

12.老死

この十二縁起の一連のプロセスで現れて強くなった煩悩が、弱まり分解されて、無意識の無明に行きます。

『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまいます。

そして、それは一生続いて、最後に生命が尽きて死んでしまう意味も含まれます。

煩悩を手放す暮らし方

煩悩は気にすればするほど絡め取られます。
気にしないのが一番の対策になりますが、気になるから煩悩です。

煩悩は退屈な毎日の避難所になっている可能性が高くありませんか?

刺激的な香りのする快楽のざわつく危険な砂場。
本当に人生を愉しみたいのなら、そんなもので遊んでいないで、こっちへ出てきなさい。
「あなたにはもっと刺激的でワイルドな場所がありますよ」といっても、後先を考えずに行動するのは、自分への慈悲が欠けているのかもしれません。
それは脳の一部の働きによる可能性が高いのです。

  • 目先の報酬に反応する側坐核
  • 恐怖、怒り、悲しみなど感情の振れ幅を大きくさせる扁桃体

これらの部位から発する神経伝達物質であるドーパミン(欲する作用)とオピオイド(快楽を促す作用)があなたを動かしているのです。

だから即坐核や扁桃体から生じる煩悩の欲求を無視してでも、目の前の仕事に真剣に取り組むほど、没頭するほど、煩悩は消えていきます。
即坐核、扁桃体を包んでいる大脳皮質を使えばセロトニンが増えるからです。

セロトニン

煩悩は目の前の仕事から目の前にない煩悩へ誘います。
これを断ち切るには自身の身体を仕事場へ移動させること、固定させることが重要です。

人がやりたいことは、できないことに魅力を感じます。
でもこれは人生を浪費して破滅への誘惑です。

煩悩はやれないことに自分を誘う仕組みです。

それよりも自分がいまできることに挑戦する習慣を大事にしましょう。
100年ライフは長いようでも、やれることをするには、100年ライフは長くはありません。

まとめ

エクスタシー

十二縁起(原因と結果が連鎖する12のプロセス)でエンドレスにワンダフルを実現するには、煩悩に取り込まれずに、楽しくなるまで努力するようにします。
そのために『ライフプラン』を設定するのは子どもから大人まで万人におすすめです。

煩悩はやれないことに自分を誘う仕組みです。
できることよりできないことには魅力があります。危険な罠です。

100年ライフは長いようでも、やれることをするには、100年ライフは長くはありません。
自分がいまできることに挑戦する習慣を大事にしましょう。

即坐核や扁桃体から生じる煩悩の欲求を無視してでも、目の前の仕事に真剣に取り組んで没頭するほど、煩悩は消えていきます。
即坐核、扁桃体を包んでいる大脳皮質を使えばセロトニンが増えるからです。感情ではなく脳をコントロールすることで身体のより良い使い方を習慣化します。


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