無分別智。6大煩悩、心のゴミの分別の仕方

無分別置 マインドフルネス
この記事は約4分で読めます。

無分別智についての説明です

「暮らしを整える習慣」にゴエス(5S)を奨励していますが、整理になるのか、ならないのか。

分別ゴミといいますが、人間の心にも6つのゴミがあります。六大煩悩です。
このゴミと分別ゴミは同じか違うのか?

 

マインドフルネスの立場で、「無分別智」について考えてみたいと思います。

つまり、本当の自分の人生がある場所で暮らすときのゴミの分別は、どうなのか。

 

「もう大人なんだから分別のある行動をしなさい」といいますが、仏教では「分別」を良いことと考えてはいません。

それが「無分別智」という言葉に集約されています。「無分別智」について。

「無分別智」

「もう大人なんだから分別のある行動をしなさい」といいますが、仏教では「分別」を良いことと考えてはいません。

分別とは迷いのなかにいる証しであって、六大煩悩から脱却できていない戒めるべき状態を指す言葉として使われています。

対象を識別していく頭の働きを分別としています。つまり一般に使われている意味と同じです。

この行動は善、あの行動は悪、というように、頭で判断して識別するのが分別。

意味がねじれてしまうのは、ここから先にあります。

識別(分別)するが、それは実際(本当)にあるのではなく、頭の中であると思い込んだ(妄想)に過ぎないではないかと考えると分かりますよね。つまり「誤り」なのです。

 

「し合わせ」だ不幸だと考えても、ないものをあるように考えている自分の思い込みにすぎない。

頭で判断するのではなく、全体で捉えなさいという教えです。

そうすると、「善くもあり悪くもあり」となります。

なんだろう?どう考えたいいの?

分別は潜在意識のネガティブな感情と結びつく

阿頼耶識

つまり分別をつけていると、「し合わせ」になりたいと思えばこそ、怒りや欲のとりこになり不幸になってしまいます。

そうでなくとも、潜在意識にはネガティブな想いがあるので、それと結びついて、ますますネガティブな考えが蓄積されます。

つまり、私たちは、自分が分かりやすくするために「分別」をつけています。その分別の基準は何でしょう?
自分が理解できるように自分の世界観の中で判断しているのにすぎないのです。
本当ではないのです。

潜在意識にある思い込みも同じです。私たちは潜在意識の底の底にある根本心に左右されて考え、行動して暮らしています。
なかなか変わるものではありません。なぜなら日々、新しく入ってくる情報と結びついて、どんどん蓄積されているからです。

時間をかけて、不満が憎しみに変貌していくのです。

年中、他人の悪口を言ってる人がいます。
生まれたときは白紙でした。小学生の頃はまだまだ余白がありました。
長年の蓄積で、考える前に分別しているのです。
このような場合、「もうお爺さんなんだから分別せずに行動をしなさい」と諭してあげたほうが良さそうです。(笑)

たとえば、このプロティン。↓
あの甘いミルキーのプロティンです。一目見た瞬間にミルキーのドリンク。そんなものプロティンになるのかと分別します。
しかし不二家さんも移り変わる世相にあって、ペコちゃんを守りたい一心で商品開発されたはずです。
こういうものに出会ったとき、分別せずに黙って受け入れる。そのような毎日を過ごしたいですね。

本当に楽になるために結論を急がない

 

人は本当に「し合わせ」なら「「し合わせ」すぎて怖い」なんてふざけたことは言いません。

これも分別なのですね。
「もう大人なんだから分別のある行動をしなさい」と教えられたので頭で考えてしまうのです。

しかし、「し合わせ」なら「「し合わせ」すぎて怖い」なんて頭以外の全身は思いません。
ひたすら「し合わせ」を満喫して暮らします。

ところが何を血迷ったのか。突然、別れを切り出します。

なぜ、こんなことが起こるかというと、潜在意識にある根本心が自分を突き動かすのです。

「し合わせ」を満喫したいからの行動ですが、切り出された方は分からないので、「あなたのために」と分別をつけようとします。

考えるな、感じろ

考えるな、感じろ

私たちは、楽になりたいから結論を急いでしまう傾向があります。分別しようとします。

ひとまずカタチだけでも整えると、迷いや苦痛から切り離せると考えるからです。

つまり本心は違うということです。

これではマインドフルネスからは遠のき、マインドレスになります。

自分に嘘をつき続ける人生がいいか、自分の本音に正直な人生がいいか。

自分の本音に正直に生きようとするなら、努力して状況を変えていくことが必要です。

努力して状況を変えていくことは十分可能なのですから、諦める必要はないのです。

山に登る人は、毎回、そのような体験をしているでしょう。

つまり、頭で判断して分別せずに、なりきることで、自然にまかせているのです。

「考えるな、感じろ」・・・・ブルース・リーの代表作「燃えよドラゴン」の名セリフ。
歴史的な名言のような気がします。

まとめ

六大煩悩

 

私、六大煩悩のゴミの山で暮らさないで済むように、ひたすら「無分別智」に暮らしています。

それでいいと思います。

いらないと思ったものは「無分別智」に捨てて、大事なものだけを離さず暮らせば「素敵な暮らし方」になります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました