ウェルビーイングの名人に学ぶ

聖地は真理 ウェルビーイング
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川から流れてきた桃から生まれた桃太郎を大事に育てた名もなきおじいさんとおばあさん。自分の子でもない生まれたばかりの赤ん坊をお前の子だと押し付けられて「おお、そうか」のひとことで育てた白隠禅師。どっちもどっち。コントロールできないこの世を生きるウェルビーイングの名人は宇宙を包み込みます。

三宝院沙門
三宝院沙門

ウェルビーイングのベースはマインドフルネスです。いま。ここの状態になりきることです。ウェルビーイングの名人に極意を学びます。

ウェルビーイングとは「最高に、いきいきと暮している状態」

縁起

年配の男性と女性が、ラジオ体操でウキウキ、笑顔が絶えない。
女性がハミングしながら家事をしている。
子どもたちが、意味もなく駆けっこして学校に向かっていく。
あらゆる執着を手放したウェルビーイングは使うほどウェルビーイングを広げます。

縁起といえば「十二縁起」・・・・無明から始まるのは仕方ないとして、受・愛・取で、愛着と結ぶつき執着に焦げ焦げ、ゾンビよろしく<執着まみれの自分に>コントロールされる羽目に陥り、願望とは遠い宇宙の涯で<人生脚本>を暮らすことになります。これはあなたがマトリックスに暮らすゾンビ集団から脱して、エンドレスにワンダフルに暮す物語。それは般若のゴエスつまり①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣することから、一切放下著して般若の呼吸で暮すことからはじまります。

そこでまず、こころと身体がどこにあるか、知ることから始めます。感覚器官から入った無意識の気づきは脳の辺縁系で大量に起こり、大脳の新皮質に伝わり蓄えられ意識になる種子が育つ大域的アトラクターがこころの部位になります。ブッダが説いた十二縁起とはこころの活動です。

無明(混沌とする天地のはじまり)によって
生活作用(志向する本能的な生存欲求)があり、
生活作用によって識別作用(気づき)があり、
識別作用によって、名称と形態(身体と心)とがあり、
名称と形態とによって
六つの感受機能(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)があり、
六つの感受機能によって
対象との接触があり、
対象との接触によって
感受作用があり、
感受作用によって妄執があり、
妄執によって執着があり、
執着によって生存があり、
生存によって出生があり、
出生によって老いと死、
憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みが生じる。
このようにして、苦しみのわだかまりがすべて生起する。
「こころ/魂」の活動の因果関係を説いたものが『十二支縁起』です。」とは、「死」ではなく、刹那減のことです。ブッダが『十二支縁起』を説いた時期には「刹那」という言葉がなかったので「死」と表現したのですが、現代の脳科学界では、「刹那」と解釈の訂正されています。

侘び寂びに気づく「刹那減」

刹那減

「刹那減」とは

・・・刹那は時間の単位、これ以上分割できない瞬間のことで、私たちが見ている世界は丁度、瞬間がつながった映画のフィルムのようなもの。実際は無数の基本的要素が縁起によって因果関係を結び、「私」や「あなた」「物事」の存在を構成しています。ただし、その存在は一瞬間だけで、物事も瞬間的に生起して消滅します。そして次の瞬間に同じ構成要素によって新たな因果関係が結ばれて、「いま、ここ、この瞬間に」また生起し消滅します。見た目には、生起したことが続いているように思えますが、実際には瞬間、瞬間、刹那、刹那の生滅の連続が積み重なったものでしかありません。われわれの存在は刹那毎に生滅をくりかえす心の連続(心相続)なのです。それが『刹那滅』です。

基本的要素の構成が変化すれば、存在するものも刹那ごとに変化します。
ここにすべてのものが永久に変わらないものはないという「諸行無常」「諸法無我」の言葉で説明されるロジックがあります。

マインドフルネス(正念)は、この瞬間、瞬間に入り込むことです。瞬間に入り込むのは、活動し認識するには、それが、もっとも効果的だからです。

日本文化の「侘び寂び(わび・さび」とは生起したものが消滅する「いま、ここ、この瞬間、刹那」を祈りにも似た愛でる気持ちの表現で、ウェルビーイングの真髄、と言えるでしょう。ウェルビーイングとは、ヒトがこの上なく、いきいきと暮している状態です瞬間になりきれるマインドフルネスな状態だから、「刹那減」を感じることができるものです。

マインドフルネスを瞑想のことだと勘違いされている方が多いのですが、雑念があると瞬間、瞬間、刹那、刹那に入り込むことが困難なので、集中には準備が必要な方が多く、その作業に瞑想が適しているということでしかありません。刹那減に気づく暮らしは侘び寂びというご褒美を私たちにギフトしてくれます。

縁起OK「曼荼羅思考」で行こう!

縁起OK

「縁起」つまり、縁があって物事が生起しますが、縁起で繋がる相手は誰でもOKとしましょう。
相手がヒトでもネコでも、虫でも、私たちはみんなコントロールできないからです。欧米の文化はコントロールすることに躍起になりますが、日本の文化はまるで違います。いかなる展開でも楽しむしか手はない「曼荼羅思考」で行きましょう。
曼荼羅思考の中心にあるのが、真言宗でいう「大日如来」(私は「エルヴィス」と呼んでいます)つまりヒトではなく宇宙を包み込む「真理」です。物事の中心には「私」だと考える欧米と「真理」だと考える和の文化は、根本的に違います。情報も意識も般若のゴエスで①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣化しましょう。
縁起だけで生きることはなにかを「する」ことを強要された世界に暮らすことになるので大変疲れます。「ある」「いる」だけでは足りない暮らしは、不足を思い起こさせ、不足を補うことを強要します。たとえば定年退職したあなたが家にいると、これまでの習慣から家のことを「する」わけでもない「あなた」は粗大ゴミでしかありません。
これまで通り外でなにかを「してこい」と言われます(あるいは思われます)その不機嫌にいたたまれなくなったあなたは、なにかを「する」ことに追い込まれます。そうして追い込まれた「する」ことのない「老人」という役割のヒトが巷に溢れています。ただいるだけで愛されたらいいのです。

役割で生きるのはつらいぜ

縁起はつらいぜ

縁起だけで生きるとは、役割で生きることです。

その証拠に、見知らぬ赤の他人までもが「おとうさん」「おかあさん」「おじいさん」「おばあさん」と呼び、病院、施設のお世話になることで最後まで「役割」で生きるのです。役割で生きるのを拒否したのが「男はつらいぜ」の寅さんです。
寅さんは役割で生きることをよしとせず、「あり方」で生きるのを選択したので、諸行無常を生きる風来坊になりました。

諸行無常

「あり方」重視で行こうとしたら、いかなる展開でも楽しむことにした方が気楽です。
そうすると白隠禅師のように、思わぬ展開も「おお、そうか」と受け入れることができるようになります。

白隠禅師

つまり「デコボコ道でも苦を最小化して楽しく歩ける」ようになるのです。
それが「悟り」というものです。

心の栄養は「やり方」にはなく「あり方」にあります。
自身の尊厳を守るには「縁起」で生きることなく、「あり方」で生きればこそ元気が湧いてきます。あり方があるからこそ「やる」こともできてくるのです。

女の子は幼い時から「あり方」重視で暮らしていますが、男の子にとって、大人になるということは幼い時から「やり方を学ぶ」ことに重心が移るようですが、騙されないようにしたいものです。長年コンサルをしているとわかりますが、男性社員は「やり方」を知りたがります。
ビッグモーターなど「ヒトとしてのあり方」軽視そのものなので、平気であくどいやり方をしても、その世界だけで通用する充足感を味わってしまうので、勤務が続いてしまうのです。
「縁起」に「あり方」というフィルターを挟む。つまりブッダの教えである「八正道」や「自灯明・法灯明」などの「あり方」を挟むことで、人生は豊かになります。

侘び・寂び・八正道

八正道
八正道」や「自灯明・法灯明」が「侘び寂び」に代表される日本文化の真髄だったと思うのですが、あまりにも欧米をおいかける上で邪魔でしかないとあっさり捨ててしまった軽薄さのつけで、自分で自分の首をしめて居場所までなくてしまっているのではないでしょうか?
お遍路さん
放下著する「般若のお遍路さん」は、ただ歩くのにくたびれていているだけで何もしていません。それに対して四国の「お接待さん」は、ただ歩いているだけの「お遍路さん」に感謝して、見返りのない接待します。(実際には接待によって功徳を積んではいるのだが)
なにもしない。ニャンコにウェルビーイングの極意を見習って、展開を受け入れて暮らすことを大切にしましょう。
般若のゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)

般若のゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)

般若のゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)ウェルビーイングの極意は、放下著から始めます。不要なモノは全部手放し、湿気にまみれた執着をインドの乾いた太陽で焼き尽くします。手放し、焼きつくぜば、ヒトはあり方だけでは寂しいと考えるでしょう。自然に役割を求めます。

情報や意識を①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣で般若のゴエスで放下著した際にあり方を基本にしたやり方で、ワクワクする役割を求めて、マンダラチャートで、こころから、やりたいことを、Well-doing(ウェルドゥーイング)しては、いかがでしょうか?ヒトは心身が満たされるとホルモンの働きで動きたくなるモノです。

ホルモンが人生を決める、呼吸は水のように洗う|般若の呼吸
正しい生活なんて羊のようだと考えるヒトは少なくありません。「正しい=従順」という思い込みがあるからですが、すでに主体を妄想に譲っているといえます。ヒトは身体に対して主体的に行動しなければマネジメントできないので、身体は与えられた環境に悲鳴を...

マンダラチャート

それが自分を忘れて没入できるやりがい、生きがいになります。
あり方がしっかりしていたら没入しても「いきいき」つまり「ウェルビーイング」であり続けることができ、自然に「真理」を貫き、真理を中心にした暮らしが実現できます。

苦難あっても逃げたり挫折せずに一歩、一歩、自らの踏み出す力を信頼して前に進むことができます。企業でいうならがウェルビーイングのお手本であり『善の巡環』を実践するYKKがそうですね。

善の循環

まとめ

真言宗でいう「大日如来」というと偉大な人物か神、仏のように勘違いしますが、宇宙をつつみこむ「真理」のことです。
ブッダは現世に現れた「真理」そのものであり、今も弘法大師が高野山に生存されている、遍路では同行されているというのも納得ですね。四国八十八ヵ所などの寺院にて参拝後に、その証として墨書き・御宝印をいただく納経帳や掛け軸の意味もわかります。

そういう言葉の奥には「刹那減」があり、瞬間、瞬間を愛でる「わび・さび」に代表される日本文化と深く関わっているマインドフルネスがあり、ウェルビーイングの展開になっていることがわかります。ウェルビーイングを企業戦略の中心にするとは、ヒトの「し合わせ」を中心にする日本の感受性を取り返す宣言に他なりません。

(一社)いきいきゴエス協会

ゲンキポリタン大学

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