マインドフルネス研修に関心をお持ちの方は多いと思います。
マインドフルネスのトレーニングとは、なんでしょう?
マインドフルネスで「気づき」「悟り」を得ることは可能でしょうか
マインドフルネスのトレーニングと僧侶が出家して学ぶことは同じでしょうか?
マインドフルネス研修の目的はなんでしょう?
では、「仏教の教え」ってなんでしょう?
みんな同じようで、違うような・・・・。
今さら聞けない「仏教の教え」が解るマインドフルネス研修を整えます。
「仏教の教え」ってなにを教えてくれるの?
「仏教の教え」って聞くと、ほとんどの方は「悟り」「覚る」方法を教えてくれるんだろうと思いますよね。
そもそも、なにを「覚る」「悟る」のでしょうか?
真理(=本当のこと)を覚るのです。
仏教は真理を教えるか
では、仏教は「真理」を教えてくれるのでしょうか?
仏陀は、一度も説いたとは言ってません。
真理が在ると言っただけです。
お釈迦様が教えたこと
お釈迦様が亡くなるとき、弟子が「お釈迦様亡き後、どなたにすがればいいでしょうか」と尋ねたことは有名です。
そのときに、お釈迦様は後継者を指名せずに「自灯明」といい、さらに「法灯明」と言われました。つまり自分を信じて、法(真理)を信じ、自分で求めなさい。と言われたのです。
これは、お釈迦様が出家されて、ご自身が求め続けたスタイルです。
つまり「自習」ですね。
すべての答えはここにあります。
なので、昔から宗派がいろいろ登場してきました。
自習してまとめた結果をそれぞれの教義にしてきたのです。
それぞれに教義をふりかざすのは自由ですが、そもそもの仏教から離れていくとおかしなことになります。
悟る人、悟れない人
悟りを得た者はいるし、得られない者もいる。
「無我」が解る者もいるし、解らない者もいる。
「一切皆苦」が解る者もいるし、解らない者もいる。
「諸行無常」が解る者もいるし、解らない者もいる。
・・・万事、そういうことなのです。
「悟りなさい、気づきなさい」と言わないのは、悟りが煩悩にならないようにするためです。
すべては繋がっている
仏教を信じようが、お釈迦様を信じようが、それぞれが求めればよいことだ。
しかし一人一宇宙を持っていて、それぞれは繋がっている。
決して単独で生じた者ではなく、単独に存在しているものではない。両親からうまれ、その両親も、それぞれの両親から生まれた。そのまた両親も・・・。
今生きているのは、今日の食べ物で生かされている。
その食べ物も単独で存在しているものではない・・・太陽、雨、風、虫、動物・・・地球の恵みで存在してる。
つまり私の命は他の人はもちろん、虫とつながっている。雨とつながっている。
よい虫は悪い虫でもあります。雨も同じです。風も同じです。
良い雨があれば、悪い雨もあります。人が自分の都合で決めているのです。
これが真理です。
考えるな、感じろ
これをどう感じるか、それぞれの人次第なのです。
ブルースリーの「考えるな、感じろ」なのです。真理を感じることができる人と、できない人がいる。これが仏教から学べることではないかと思うのです。
仏陀とは、「悟った人」の意味
まとめ
現在、マインドフルネスは「ストレス低減法」として定着しています。
いま現在、起こっている物事に注意を向ける能力を発達させるトレーニングです。
仏教的には「八正道」の実践になります。
「八正道」は、仏教における「涅槃」に至るための8つの実践徳目で、「四諦」に続き説示されました。
- 正見
- 正思惟
- 正語
- 正業
- 正命
- 正精進
- 正念
- 正定
マインドフルネスは、このうち「正念 」を重要な要素としていますが、「八正道」として説かれる8つの教えは互いに有機的に関連し合った一つの修行システムです。
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