こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです。
100年ライフを安心・安全に暮らしたいのは、みんなの願いではないでしょうか?
100年ライフをエンドレスにワンダフルに過ごすには、ゴエスが効果を発揮します。
努力をしても報われない人がたくさんいます。
反対に努力が報われて希望が叶ったように周囲の人に賞賛されながら、虚しさを覚えている人もいます。いったいなにがどうなればいいのでしょう。
その答えを知っているのは自分しかいません。
ここではどのようにすれば、あるいはなれば、ワンダフルなのか、その道筋と秘訣をお話しします。ご不明な点があればお問い合わせいただくと無料でお答えします。
ゴエスでエンドレスにワンダフル
ゴエス(5S)は、日本の工場などで使われてきた日本発のマネジメント手法です。
お部屋を片付けるのと同じ要領ですが、「整理→整頓→清掃→清潔→習慣(躾)」の順(因縁)で進めてルーティーンを習慣化してます。
「整理整頓」はひとつの単語のように使われることも多いのですが、整理と整頓は別物です。
「整理」は乱れた状態にあるものを必要・不必要に区別して、使用する目的別に秩序のある状態に整えることです。
秩序のある状態に整えることをしまい込むと勘違いしている人もいますが、そうでないことが判るのが「整頓」です。
整頓は使いたい時に、すぐに出せる状態にすることです。
しまい込んだんだのでは、そんなわけにはいかにですよね。
さらに清掃(手入れを怠らない)〜清潔(磨く)というように、すぐに使えるように準備しておきます。
整理〜清潔までを日常的に繰り返すことで、自分を躾けて習慣化します。
ゴエス(5S)の手法は、人生を過ごす上でも効果的です。
エンドレスにワンダフルに暮らせる仕組み
長い100年の「人生はエンドレスにワンダフル」を実現するために、必要なのは金融資産と無形資産を必要十分に持つことです。
長生きすればするほどお金が必要です。お金は豊かな無形資産から生み出されます。
生産性の高さは無形資産(活力資産・生産性資産・変身資産・パートナー資産(=人脈資産))から生み出されます。
情報社会にあって、金融資産と無形資産は、ただやみくもに頑張ればどうにかなるものではなく、100年ライフ・・・100年先を展望した上で、どんどん変化していく時代、時代に適合しながら進めて行く必要があります。
そのスキルがライフプランの設計できるライフデザイン(自分の価値観)です。
優れたライフデザインは心の知能指数と言われるライフスキル(=EQ)から生まれます。
ライフスキルには「自己認識スキル・ストレスマネジメントスキル・コミュニケーションスキル・意思決定スキル・目標設定スキル」があり、ライフデザインをする基礎になります。
さらにライフスキルの基礎になるのがマインドフルネスです。
マインドフルネスの中核にあるのは「瞑想」ではなく、次の図に示す「もともとのいのち」への気づきです。
「もともとのいのち」に気づき、大切にするためのトレーニングが瞑想なのです。
もともとのいのち
「もともとのいのち」に気づく教育で、もっとも効果的なのが子育てです。
スキンシップがいっぱいの子育ては、お母さんの胎内からはじまります。
スキンシップがいっぱいという意味は、もともとのいのちとスキンシップできるという意味が含まれています。すごいことですよね。
お父さんもできますが、お母さんと比べると段違いに少ないです。
お母さんは自分の身体の中心でスキンシップできるので、深さも厚みも違います。
お母さんは体感を通して「もともとのいのち」に気づく状態にあります。
「育休」を男性も取得して女性を支援するように推奨されていますが、子どもが元気に大きくなればいいという性質のものではないと思います。
「根源的ないのち(=もともとのいのち)」を懸命に守ろうとする女性の味方になってあげて、支えてあげると女性も安心するのではないでしょうか?
女性の安心の深さ、広さ、厚みを通して「もともとのいのち」に触れることができます。
根源的ないのち(=もともとのいのち)は、生命保険でいう命とは意味が違います。
下の動画は「根源的ないのち」とはなにかを具体的に物語っています。
お母さんが「エンドレスにワンダフル」が可能だと認識して、エンドレスにワンダフルを具現化する子どもに育てようとしても思い通りにはなりません。
子どもは親の所有物ではないし、心や知識をコントロールしようとしても、身体をコントロールできません。
それを表しているのが、「十二縁起」です。
縁起(因縁生起)とは
縁起とは因縁生起(いんねんしょうき)の略語です。
「縁起を見るものは法=真理を見る、法を見るものは縁起を見る」といいます。
縁起の道理を理解した者は仏法(=ブッダが説いた教え)を理解した人であり、仏法を正しく見るものは、必然で縁起の道理をも正しくみる、と言う意味です。
世の中のものは、すべて相互に関係しあって存在している、因縁によって生ずる、という考え方です。
因縁とは、物事はすべて、その原因(因)と結果を結ぶ作用(=縁)によって、定められていること。転じて「物事の持っている定まった運命」のことです。
身体の十二縁起=外縁起
十二縁起(十二因縁)は、「諸法実相」をより理解させるためにブッダによって説かれました。
十二縁起には、外縁起と内縁起があり、どちらも因果関係の物語になっています。
外縁起・・・・外面(物質的な面)からとらえた因果関係
内縁起・・・・人間の内面(心)からとらえた因果関係
次にご紹介する十二縁起は、身体面での十二縁起です。
人間を物質的な面からとらえた考え方で、肉体はどのようにつくられてきたか、原因と結果の十二の段階で表しています。
最初は『無明(むみょう)』から始まります。
1.無明(むみょう)というのは、現代でも「その方面に明るくありません」と言うように、「無知(むち)」ということです。
つまり、無知なる魂(たましい)=「もともとのいのち」という意味です。
無知なる魂(=もともとのいのち)は、両親(夫婦)の2.『行(ぎょう)=行為』によって母親の胎内に3.『識(しき)』が宿ります。
「識」とは知識の識で『生物の特性を備えたもの』という意味で人間のことです。
まだ人間の形になっていない不完全な識(しき)がだんだん形を整えてくると、4.『名色(みょうしき)』になります。
名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。
名色(みょうしき)というのは、もともとのいのちに魂(たましい)が入った人間の心身ということです。
名色(みょうしき)が発達すると六入(ろくにゅう)、つまり5.『六処(ろくしょ)』と呼ばれる、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)、すなわち六根(ろっこん)が調ったという意味です。つまり人間として、この世に誕生する意味です。
五感(ごかん)と心、唯識論で言ういわゆる六識が発達してくると、視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、臭覚(しゅうかく)、味覚(みかく)、触覚(しょっかく)などをはっきり感じられるようになります。
このように、『身体と心=名色(みょうしき)と六処(ろくしょ)』が互いに影響(えいきょう)しあった状態で感覚器官が発達した状態を6.『触(そく)』といいます。
触(そく)の感覚器官が発達してくると、感受性が強くなってきて、好き嫌いの感情がでてきます。この状態を7.『受(じゅ)』と言います。人間の年頃で言えば、六、七歳を指します。
さらに成長すると、8.『愛(あい)』が生じます。
愛にはいろいろな意味がありますが、外縁起(がいえんぎ)での愛は主に異性に対する愛情です。
異性への愛情が芽生えてくると、相手を征服して自分のものにしたいという所有欲、独占欲がでてきます。それを9.『取(しゅ)』と言います。
また、逆に自分の嫌いなものから、離れようとしたり、嫌ったりします。
このように分ける感情が出てくることを10.『有(う)』といいます。
10.『有(う)』のレベルまでくると、生きる葛藤、苦しみがいろいろな形で表れてきます。
このように、さまざまな苦楽の意識と行為を業として魂に記憶し、このような意識で人生を過ごすことを、11.『生(しょう)』といいます。
『生(しょう)』は本人だけでなく、子々孫々の『生』にも影響を与えます。
この状態が、当協会のメインテーマ「人生はエンドレスにワンダフル」の裏現象です。
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまうのです。
そして、それは一生続いて、最後に老いて死を迎える12.『老死(ろうし)』に至るのです。
以上が、人間の身体に宿った「もともとのいのち」が人間の肉体を中心に発展していく因果と縁(外縁起)による十二縁起(じゅうにえんぎ)のドラマです。
因と果、そして縁との関係
ひとつの「因」は「果」になり、「果」が「因」になり次の行程に進みます。
次の行程の「果」になります。こうして12の「 果」が順番に生み出されます。
「因」と「果」が繰り広げられるだけでなくそこに「縁」が介入してきます。
「縁」が「因果」に圧力のように加わることで、「因果」は少しずつ変形します。
現代的に言うと「認知の歪み」が生じます。認知の歪みがなんであるか、どうであるかを理解していない当事者によって思いもかけない表現をされるのを度々目撃してきました。
会社経営も人間がしていることなので「人間力」が反映されます。規模が小さくなるほど(人数が少なくなるほど)、人間力が露骨に反映されてしまいます。その点からいうと会社は頭から腐ってきます。しかし気づくのは稀です。大企業でも自分の非を認めるのは稀です。人間はそういう生き物です。これを防ぐのも「教育」しかありません。
つまり正しいトレーニングしかないのです。そこで日々トレーニングをしている意識はあるでしょうか?たとえば禅僧なら「日々修行している意識」を持っています。修行するのが仕事であると定義されているからです。
たとえば売り上げをあげてくるのが仕事だと定義している会社と人とのかかわり方が仕事だと定義している会社があれば、どちらがどうでしょう?
筆者なら後者が勝つと断言します。
「子育て」にも通じる話です。
「人生はエンドレスにワンダフル」にするもしないも「子育て」次第です。
「無明」のままでワンダフルにはなりません。
十二縁起で自己執着心が生まれてしまう
ここにあげた「十二縁起」は身体面の「十二縁起」ですが、「諸法実相(=ありのままの姿)」をより深く理解する目的で説かれました。
「スターウォーズ」のダースベイダーが悪の世界に堕ちたように、外縁起による「十二縁起(じゅうにえんぎ)」にも、負の循環に入り込む因果があることがわかります。
潜在意識にある「阿頼耶識縁起」と顕在意識の因果の縁です。ダースベイダーは暗黒面での名前ですが、もとはアナキン・スカイウォーカーと言う名前でしたが、恋する元女王パドメ、拷問の末なくなる母シミへの惜別の思いから、憎悪の世界に落ちてしまいます。
上の図にある「阿頼耶識」「末那識(自己執着心)」が発生する縁起がありましたね、
「7.受(じゅ)〜10.有(う)」がそうです。
有(う)の段階で分けることを強めます。
分別しない心を育むと無我でありながら主体的になれる
人間は身体を支配できると思い込んでいます。
しかし身体は意思とは関係なく活動します。
無知なる魂(=もともとのいのち)は成長と共に学んでいきますが、それ以上のエネルギーで活動します。
しかし強いエネルギーであっても、無我の状態で没頭すれば打ち勝つこともできます。
これが修行(=トレーニング)とは、「縁起」に気づくための作業です。
ただ生きるだけではなく、縁起によって「生かされている」ことに気づく。
たとえば、ただ旅行しただけではない旅
ただ食べただけでない食事
縁起があって、それらができていることを知る行い。
「因(原因)=果(結果)」の間を繋ぐ「縁(縁起)」がある。
誰もが縁起の結果に存在しています。
分別しない心に気づかせるのが「教育」なのです。
分別しない心を育むと、自分も他者もなくなるので、無我でありながら主体的になれます。
つまり我とは、自分と他者というように分けるから存在してしまうのです。
分けるという行為は「言葉」を使って実行しています。
この主体的とはなりきる。没頭することです。
心の十二縁起=内縁起
次にご紹介する十二縁起は、内縁起・・・・人間の内面(心)からとらえた因果関係です。
1.『無明(むみょう)』
2.『行(ぎょう)』
3.『識(しき)』
4.『名色(みょうしき)』
5.『六処(ろくしょ)』
6.『触(そく)』
7.『受(じゅ)』
8.『愛(あい)』
9.『取(しゅ)』
10.『有(う)』
11.『生(しょう)』
12.『老死(ろうし)』
以上が、人間の内面を中心とした内縁起による十二縁起(じゅうにえんぎ)です。
すでにお気付きのように、外縁起と同じ並びで同じ呼び名の十二縁起(じゅうにえんぎ)が並んでいます。
順を追って説明します。
1.無明(むみょう)とは、明るくない。つまり無知・むち・という意味で 正しい世界観や人生観を知らないこと。
2.『行(ぎょう)』とは、自分自身の行いだけでなく、業(ごう)の意味もあり、親や関係した人々、関係する人々が、過去において行ってきたすべての積み重ねを意味します。
3.『識(しき)』は人間がものごとを分別する行いを意味します。言葉による識の力、働きのすべては、過去の経験や行いの「業」による行いで決まります。識(しき)のおかげで、われわれ人間は、自分が生存していることを知ることができます。幼児が言葉を知ること、使うことで識は深まり量も増えていきます。
4.『名色(みょうしき)』とは、自分をはじめ人間の生存、そのもの自体を意味しています。
名(みょう)は無形のものである心を表し色(しき)は、有形のもの、つまり身体を意味します。
5.『六処(ろくしょ)』と呼ばれる「眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)」すなわち六つのはたらき。これら六つのはたらきによって6.『触(そく)』・・・自分の心がものごとをハッキリと見分ける状態になった段階を指します。
7.『受(じゅ)』は、心が触の段階まで発達して、好き嫌い。楽しい。辛いなどの感情が起こることを言います。この段階で8.『愛(あい)』が生じます。この愛は、執着心(しゅうちゃくしん)にことで、とらわれる心だと解釈します。ブッダもお話しになっている「もろもろの苦の原因は貪欲(執着心)が元になっている」という意味です。
好き・嫌(きら)いの苦楽に対する思い込みが激しいほど、極端に相手に対して愛(あい)・憎(ぞう)の感情が強くなり主体性を失います。執着心の強い人は『愛』を感じて、自分のものにしたいとか、放したくないと考えます。
『受(じゅ)』の段階まで発達した心は あるものを好きになり それに執着を覚えるようになります。ある人とある人が 互いに好意が生まれ、好きだ。愛だ。と感情的になりますが、愛着の心(とらわれた心)の状態といいます。愛着のもとは親子の愛着ですが親子の愛着が不十分だと他者に求める思いが強くなり災いの元になります。
それが9.『取(しゅ)』になります。取(しゅ)』とは、愛憎(あいぞう)の心から起こる強い取捨選択(しゅしゃせんたく)の心です。愛が生じるとそれをしっかりとつかまえていたい、放したくない、という執着心が起こります。
また、反対に嫌いなものに対しては 逃げ出したい、排除したい、という心が起こります。分別の心から生じる放したくないと排他的になる思い二分法的な思考による真逆の状態をいう。『取(しゅ)』があると、心は人によってそれぞれ違った感情、異なる考え、人それぞれの主張の違いなどが生じます。
次に来るのが10.『有(う)』です。有とは、自己中心の心がもたらす差別・区別の心です。好きなものには親しんで、気に入らないものや嫌いなものは排除(はいじょ)するのが、この世の人のの姿です。こうした分別による差別心は、人間に対立や争いを起こします。争いや対立は苦しみを伴います。このように苦しむ人生を11.『生(しょう)』といいます。目先のできごとで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりして生きているうちに、12.『老死(ろうし)』を迎えます。『老死(ろうし)』とは、老いることで生じる苦しみをはじめ、自らの業に悩み苦しむ状態のことをいう。
つまりエンドレスのワンダフルでない人生に行き着いてしまいます。
どのようにしても人は心の十二縁起によって、宿命的にエンドレスのワンダフルでない人生に惹きつけられます。これを防いであげることができるのが、母親であり、母親(妻)を支える夫の役割です。子育てです。
夫婦別姓、シングルマザー・・・結婚の在り方も「多様性」を尊重することからどんどん変化することが受容される方向に進んでいます。
男性・女性として、素敵なことですが、子どもの立場、根源的ないのちの観点から素敵な結婚を考えてみることも大切なことだと思います。
「もともとのいのち」ってどういう「いのち」?
出典:StarWars.com | The Official Star Wars Website
それにしても「もともとのいのち=根源的ないのち」とはどういう「いのち」でしょう。
SF映画の金字塔「スターウォーズ」では「フォースと共にあらんことを」と言う言葉が出てきます。ファンにはたまらない言葉ですね。
フォースは「力」という意味ですが、本当にそうでしょうか?
筆者には「力の根源である”いのち”」の気がしてなりません。
「フォースと共にあらんことを」=「いのちと共にあらんことを」、全然違和感ないですね。
スターウォーズは、非常に東洋的なエッセンスが凝縮された物語です。
フォースとは「もともとのいのち」であり「種子(=素粒子)なのだと思います。
「もともとのいのち」は、意思とは関係なく「生命力(生きようとする力)」を持っています。
臨終の場に立ち会えば体感します。
だから、主人公たちが「フォースと共にあらんことを」というときにすごい感動が押し寄せるのではないでしょうか。
100年ライフをゴエスする
人生を必要なもの・不必要なものの区別します。
人生は捨てることからはじまります。
ゴエスも因縁です。「整理→整頓→清掃→清潔→習慣(躾)」という5つの因縁を正しく繋げばお部屋も自分も良い縁起で結ばれ良い結果になります。
モノの整理、心の整理と同じです。
快楽は不必要なものです。
必要なのは、
- 使用頻度の高いモノ
- 使用待機のモノ
選別を間違えないようにするのも「教育」です。
教育とは、根源的ないのちの観点から行うモノで、育むことができることを教えるのが教育なのです。
まとめ
人は概ね、どのようにしても、エンドレスにワンダフルでない人生に行き着いてしまいます。
心と身体の十二縁起によって、宿命的に、エンドレスのワンダフルでない人生に惹きつけられます。
これを防いであげられるのが、母親であり、母親(妻)を支える夫の役割です。子育てです。
ゴエス(5S)でするマインドフルネスな子育てを実践してください。
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