小さな変化でもっと「し合わせ」を・・・ベターライフを目指す毎日。どうすればよりベターになるのでしょう。細やかな日常に発見する「ベター」はマインドフルネスからはじまることをご紹介します。
学校生活で「いじめ」は問題になっています。
家庭生活で「虐待」が問題になっています。
結婚生活で「DV」が問題になっています。
なぜ、人は身近な人を傷つけるのでしょう。
もっと不思議なのは、自分にとって大切な人を傷つけるのでしょう。
これらには同じ仕組みが働いています。
マインドフルネスは、これらベターでないあり方にストップをかけて、「あ〜、なんて人生は素晴らしい」というエンドレスにワンダフルな実感を届けます。
マインドフルネスにできることは、もっとも素晴らしいことに繋ぐことです。
マインドフルネスにできること
- マインドフルネスはトラウマ配線をつなぎ直します。
- マインドフルネスは極めて有効な「ストレス低減法」です。
- マインドフルネスは一切の評価をしません。
- マインドフルネスは「ありのまま」を受け入れます。
- マインドフルネスは「いまここ」に集中します。
- マインドフルネスは「つながり」を注意深く実践します。
- マインドフルネスは「一切皆苦」という真理を原点にしています。
- マインドフルネス瞑想はマインドフルネスの一部です。
- マインドフルネスは「二分化的思考」をしません。
- マインドフルネスは医学、心理学、心理療法にも活用されています。
- マインドフルネスでは「失敗=悪いこと」ではありません。
- マインドフルネスは人を生きやすくし、「し合わせ」につなぎます。
人は飢餓感を埋めようとして貪る
Photo by Tiraya Adam on Unsplash
幼い頃に刻まれた根本的な「欠落」・・・それがささやかなものであっても「飢餓感」として残ってしまった場合、その飢餓感をなんらかのもので代償しょうという思いとしてこびりついた場合、「貪り」になることがあります。
物、事、食べ物を貪ることは、愛情に対する飢餓感を満たそうとする貪りの代償行為です。
一般に「異常」と感じる行為に、「貪りの代償行為」を発見することができます。
恋人の関係にある二人のひとりが、愛されているか不安になって、わざと嫉妬させる試し行動をしたとします。「不安を解消したくてしているんだな」と我慢します。
やがて不安になるたびに安心を得たくなって「不安→試す→我慢(嫌な思い)→安心→うれしい(快感)」が繰り返さるようになります。
次第にエスカレートして、不安でなくても快感が得たくて我慢させる行為に走るようになります。
「虐待→快感」のループになり、最初は安心が目的だったものが、快感が目的化してしまうのです。
これが依存(貪りの代償行為)の仕組みです。
マインドフルネスは一切の評価をしないので、揺れることも動じることもありません。
快感の正体
「試す側(虐待する側)→試される側(虐待される側)」の関係性の中で快感はもっともらしい理由にすり替えられます。
幼い頃、親に甘えたくても甘えさせてくれなかった。飢餓感を抱えたまま大人になった女性が、男性から全身全霊で愛されたとしたら、その快感は半端ではありません。
快感が悲観に逆転する仕組み
しかし否定感が根強いのでちょっとしたことで不安になり試し行動を頻発するようになります。
そのたびに彼女の期待に応えてくれるので、快感を味わい快感が目的化します。
その裏では否定感と肯定感に引き裂かれた不快感もあり、馴染みのある否定感に偏ることを選択しています。(変化することが難しい理由のひとつです)
男性はあ・うんの呼吸で我慢していますが、エスカレートに耐えられなくなり見放してしまいます。
見捨てられた女性は「やっぱり私は愛されない人間だ」と自己否定に陥ります。
客観的に見ると結果と原因がすり替わっていることが分かります。
人生脚本に気づく=人生脚本を面白くする
この事例を俯瞰すると、自己否定の追体験が、人生の目的化してしまっていることがわかります。
『「私は愛されない人間だ」と自己否定すること』が潜在意識で、人生脚本になってしまっているのです。
顕在意識での人生脚本は、「自分らしく生きて「し合わせ」な家庭を築く」であっても、人を本当に動かしているのは潜在意識なので『「私は愛されない人間だ」と自己否定すること』が人生脚本になってしまうのです。
人間は「快楽」を求めてしまう生き物だからです。
快楽のイメージを真の快楽にチェンジするのが「マインドフルネス」です。
快の正体
快楽とは『「苦しみ」が「快楽」というドレスを纏った魔物』なのです。
いじめ、虐待、DVが癖になってしまうのは快感だからです。
快感は、異常心理に支配された貪りの代償行為なのです。
「児童虐待」の言い訳に「しつけだった」という言葉が使われますが、短絡的な快感がもっともらしい理由にすり替えられただけなのです。
マインドフルネスは「いまここ」を俯瞰する
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「映画館で映画を見ている自分を見ている」のがマインドフルネスです。
つまり一人一宇宙であることに気づくことからはじまります。
「感情移入して泣いたり笑ったりするから映画を見ている価値があるのであって、映画を見ている自分を見ていて何が面白いのか」と疑問視されるでしょう。
その疑問は、快楽に支配されているのに過ぎす、実際には人生の真の楽しみから遠のいているのです。
マインドフルネスは、日常の生活を注意深く体験することで、うわべだけで暮らすのでは、より深く生きることで、変化し続ける人生を最高に楽しむことができます。
マインドフルネスな人生脚本は面白すぎる
誰しも人生脚本は「一切皆苦」からはじまりますが、一切皆苦のまま終わる人もいます。
人生は思い通りになることが「し合わせ」ではないのです。
凸凹を楽めるのが「し合わせ」なのです。
凸凹を楽しむのを目的化するのではなく、いまここ」に没頭していれば自然に楽しめます。
曲がった坂道を歩いている犬は、ただ一本の道を歩いているのです。
マインドフルネスな人生脚本は「一切皆苦」からはじまり、あ~面白かったと「涅槃寂静(=気づき、目覚め)」で終わります。
マインドフルネスには、「いまここ」を深く楽しめるように働いているので、このプロセスを快適なものにする力があります。
マインドフルネスでエンドレスにワンダフル
マインドフルネスで「涅槃寂静」にたどり着くことで、エンドレスにワンダフルをループさせることができます。
「一切皆苦」とは「人生は思い通りにならない」という真理
「涅槃寂静」とは「気づき、目覚め」「”あー、面白かった”という感覚」
自らの実践を通じて次世代に「人生はワンダフル」をバトンタッチできるからです。
マインドフルネスは「いまここ」を生きるガイドライン
マインドフルネスは宗教色(仏教)を排除して広まったと言われていますが、そもそも仏教は宗教と一線を画しています。
所謂、宗教は「信じる宗教」です。なので拝む対象があります。
しかし仏教は元来「目覚める宗教」です。
つまり哲学、心理学です。
平たく言うと生きるガイドなのです。
拝む対象はないので祖先を対象に拝んでいます。
しかし仏教は死後のことにはほとんど触れていなくて、「いまここ」をどのように生きるかに集中しています。なので日本では神様、仏様というように両立してしまっているのです。
マインドフルネス瞑想は「人生は面白い」を感覚で体験
アメリカでは仏教に関心のある人を「Nightstand Buddhists」と呼びます。
Nightstandとは、ベッド脇のランプのことです。
Buddhistsは、仏教に関心のある人のことです。
朝、目が覚めたらと、マインドフルネス瞑想を実践する。
目覚めるとは、知ることではなく、体験、実践することで、直感することです。
曼荼羅(マンダラ)とマインドフルネスは同じ
密教と仏教では、アプローチの仕方は違いますが、曼荼羅もマインドフルネス瞑想も、最終目的は同じ。
空海の密教では、曼荼羅(マンダラ)が経典。文がなく絵になっています。
言葉では伝えられる範囲に限界があることを示しています。
その理由は直感、目覚めの体験することにあります。
理屈ではなく感覚的に理解することが重要なのです。
いくら論理的に理解しても実践できません。
論理的に理解するだけなら一度で理解することも可能です。
しかし感覚でマスターしたくなると、本がボロボロになるまで読んでもできません。
冒頭に述べたように、
幼い頃に刻まれた根本的な「欠落」がささやかなものであっても「飢餓感」として残ってしまった場合、その飢餓感を埋めようと「貪り」になることがあります。
物、事、食べ物を貪ることは、愛情に対する飢餓感を満たそうとする貪りの代償行為です。
理屈としては理解できると思いますが、実際に貪る人を前にしたとき、適切な判断ができるかというと、コントロールを失い、評価、価値判断をしてしまい、双方か片方が傷つくことになります。
自分の大切な人が異常な行為をするとしたら、あなたはなぜそんなことをするのか理解に努力を厭わないでしょう。究極は「相手の脳に入り込みたい欲求」が起こります。
いくら努力しても、他者の脳や身体に入り込むことはできません。
どこまでいっても想像あるいは思い込みが限界になります。
これが「一人一宇宙」です。
誰も自分の宇宙から出れないし入ることもできないのです。
それでも気になって考えるとしたら、想像の世界をグルグル回って、ひたすらループしてしまいます。それは苦痛だけど快感になって、やがて自分を滅ぼしてしまいます。
これを調べた結果がハーバード大学(米)から発表されています。
マインドフルネスは危険な嗜癖「マインドワンダリング」から救う
見た目で判断できない「マインドワンダリング(心の迷走)」は、大きなムダで生産性を低下させるだけでなく強いストレスになります。
ハーバード大学(米)の調査はアメリカ在住の人を対象にして行われたものですが、不安耐性に弱い日本人を対象に調査をしたら、数値はもっと上がっていたと推測できます。
マインドフルネスは「いまここ」に集中するため、「ある」で止めてそれ以上考えない修練を積み増す。これがマインドフルネス瞑想です。
大宇宙に入り込むマインドフルネス
「一人一宇宙」が「縁起(原因=結果)」で繋がって大宇宙を形成しているのは事実です。
この感覚は言葉の限界を越えているので、感覚で理解するしかありません。
「こいつはかなりヤバいのではないか」と思う方もいると思いますが、カルトでもなんでもありません。安心してください。
便宜上、氏名があり、自治体に届け出もされていますが、実際には他者との縁で存在しています。
自分は母親という存在があっていまここにいます。
つまり母親は「原因」で、自分は「結果」です。ここにひとつの「縁起」があります。毎日いろんなことがあって自分を自覚しますが、いろんな出来事には他者が絡んでいます。
つまりどんな場合も「原因」があり「ここにいる(結果)」があるのです。自分とは「縁起」が作った自分であって、縁起のない自分はいないのです。自分を良くするには、良い縁起がないとならないのです。
しかし自分は「自分の縁起」から外にでることはできないし、他者も入ってこれない。密封されているけど、縁起で繋がっているのです。
愛する異性がいて、一心同体になりたいと思っても互いに密封されているので、性交以上に同体になることはできません。
「食べてしまいたい」という表現をしますが、実際にやると犯罪だし、相手はいなくなります。
縁起で繋がるしかなく、すべての人は膨大な縁起でつながっているのです。
瞑想も曼荼羅も縁起で繋がった大宇宙に「入り込む」訓練なのです。
考えること(言葉を使う)をやめて、感覚で理解を深めるのです。
元来、人間は感覚で暮らしていました。やがて言葉を使うようになり、文字が生まれました。
感覚で察知して、察知したものを表現するために脳を使って検索して適切な言葉を選択しています。
感覚で理解を深めるために、入り込むというのは、人にとって自然な作業なのです。
直感、目覚めの体験が「瞑想」であり「曼荼羅」なのです。
マインドフルネス瞑想で気づきこと
マインドフルネス瞑想とは、目覚め(気づき)を感覚で体験することです。
では、目覚め(気づき)とはなんでしょう?
マインドフルネスは、価値判断をしません。評価もしません。
「いまここ」を「ただあるがまま」を受け入れます。
しかし静的、感傷なものではなく、主体的で能動的なものです。
快感が不快の裏返しであるような偽りのものではなく、究極の「し合わせ」を実現します。
一切皆苦の世界を、主体的で能動的に動けば、転びもするし、怪我もします。
だから面白いのですが、面白いと思えるのは自らやってみたいと思ったからです。
従属的な立場で転んだり怪我もしたら、災難としか思えません。
投資をした場合にも同じことが言えます。
働いていてもやらされていると思っていたらいい仕事はできません。
マインドフルネスなファイナンシャルプランニング
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「マインドフルネスなファイナンシャルプランニング」とは、お金の具体的な設計のご提案を通じて
- 「Lif e can be Great !人生は素晴らしい」を体験していただきます。
- マインドフルネスを自分のあり方にしていただきます
- マインドフルネスな人生脚本(ライフプラン)をご提案します
- マインドフルネスなフォローをさせていただきます
- マインドフルネスなファイナンシャルプランには「マインドフルネス研修」がついています
- マインドフルネスなファイナンシャルプランには「睡眠カウンセラー」がついています
- マインドフルネスなファイナンシャルプランには「ライフスキル講座」がついています
主体的で自分らしいマインドフルネスな暮らしをファイナンシャルプランに織り込みます。
まとめ
マインドフルネスなファイナンシャルプランニングにできることは、「あ〜、おもしろい、人生はワンダフルだ」と思っていただけることです。
人は幼い時の愛情への飢餓感がぽっかり穴のようになったままなので、物、事、食べ物を貪ることで、飢餓感を満たそうとします。貪りは飢餓感の代償行為です。しかし代償行為を繰り返すほど、自分は傷つきます。ストレスをストレスで埋めようとするのも同じです。
マインドフルネスなファイナンシャルプランニングは、お金の具体的な設計のご提案を通じてより楽しい人生のあり方を提案します。
この場合、お客様の考えや行動を過去、いま、未来にわたって、一切評価も価値判断もしません。そうしてライフプランが目的を達成する応援を環境に適した形でします。
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