こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです
ひとり会社の自然と心と方向性を整えるマインドフルネス②です。
マインドフルネスはあるがままの自分を受け入れて、注意深く、主体的に積極的に生きる状態です。
言葉のイメージだけをつかんでお読みいただくとなんとなく分かるけど、それがどうした?という感じになるのではないかと危惧します。
今回は「マインドフルネスであること」
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 主体的に積極的に生きる=苦しみには原因があることを知ることができます
- 状態=苦しみの原因を取り除けることに気づいて取り除けます
事例で考えるマインドフルネスなリーダー像についての説明です。
P.A.C〜三つの自我
一般に人には三つの心があります。
親の心、大人の心、子どもの心の三つです。
三つの心をもう少し詳しく分けると、
- 親の心(厳格な父親の心、保護的な母親の心)、
- 大人の心、
- 子どもの心(従順な子どもの心、無邪気で自由な子どもの心)
の5つに分類できます。5つの自我のうち、バランスが人によって違います。
その最大の理由は「子育ての環境の違いです。問題は好ましくないバランスを持ってしまった子どもが一生涯苦労することです。なので早期に改善するのが望ましいです。
ここでは、「し合わせ」な人生を過ごすための対策をご説明します。
5つの自我に浮かぶ根本心
5つの自我がどのように違うか、会社単位でアンケートを取ると面白い結果になりました。
エゴグラムには、ぞの個人の「深層心(潜在意識)」にある唯識でいう阿頼耶識(あらやしき)、末那識(まなしき)が鮮明に浮かび上がります。
さらに組織にもはっきりと傾向が浮かび、企業風土になっていることが鮮明です。
エゴグラムから読み取れる企業風土に「従業員対策と研修」「新規事業の成功確率」などが見て取れます。
阿頼耶識と末那識
阿頼耶識の阿頼耶とは「蔵」の意味です。
蔵は店の奥にあり、限られた人しか出入りしないスペースです。
店は頻繁に人が出入りします。
人の心も同じで「阿頼耶識」を知っているのはほぼ自分だけです。
店は意識、上の絵でいう六識(=第六感)です。
普段自覚できるのは意識(=六識)です。
それよりもはるかに深いところで、
はるかに強い力で私たちを動かしているのが、
「末那識(まなしき)」と「阿頼耶識(あらやしき)」です。
深層心理の浅いところに「末那識」という執着心があります。
あれが欲しい、これが欲しいといつも騒がしい存在です。
「お金を節約するから、欲しいけど買うわけにはいかない」と意識(=六識)しますが、
「わかっちゃいるけど買ってしまう」のは「末那識」の仕業です。
そのさらに奥深いところに「阿頼耶識」があります。
末那識を支配しているのも「阿頼耶識」です。
阿頼耶識こそ本当の自分か?
本当の自分とは、根本心と呼ばれている「阿頼耶識」のことです。
「阿頼耶識」は永年の一切を記憶している「煩悩」の蔵なのです。
親に抱きしめて欲しかったけれど、言う通りにしたらお菓子を買ってあげると言われた30年前の記憶は「阿頼耶識」に収納されています、
あなたの意識は、もっと立派な自分になりたいと考えますが、阿頼耶識は成育期に欲しくて得られなかった愛情を求めて末那識を使ってあなたの意識に情報を送ります。
あなたの意識は、生後から蓄積された情報に突き動かされます。
ある男性は仏壇の前で、痴漢行為が止まらない自分を詫び、助けてほしいと泣きます。
本当の自分は阿頼耶識の自分なのか、意識の自分なのか、どれが自分なのでしょう?
実際のところ、どれも本当の自分ではないのです。
煩悩は焼き尽くすしかない
唯識では、煩悩は焼き尽くすしかないという表現をしますが、「これが煩悩です」「これが阿頼耶識です」と実体を差し出すわけにもいかないので、焼き尽くす手段を考えなければなりません。
そこで考えたのが「エゴグラム」です。
「エゴ」とは「自分」「自我」のことです。
エゴグラムは、3つの自我(5つの自我)のバランスを知るためのグラフです。
自分のバランスを知って不足する自我を増やし、強すぎる自我を減らすようにするためのツールです。
エゴグラム Aさんの場合
このAさんのエゴグラムを事例にして、Aさんについて考えてみましょう。
エゴグラム分析
自我のバランスは仕事上の立場で変わることを念頭に置くようにしましょう。
Aさんのエゴグラムで見るとおり、「厳格な父」「従順な子ども」は強すぎます。
周囲に対して、すべてを律するような態度は厳格すぎるのです。
もっと「保護的な母親」 「自由な子ども」を強くした方がいいでしょう。
「従順な子ども」が85は高すぎます。
これは「厳格な父」の裏返しで、身近な人 には厳しくても、何事も大勢順応型なので、自分を抑圧しすぎになります。
物凄く厳しいけど、一方で順応的過ぎます。
厳しい面が目立つので「リーダー」にふさわしいと思われる場合もありますが、実際には「リーダー」として不適格だということです。
なぜなら厳しさが成果をあげることはないからです。
しかも「自由な子ども」が低いので人生、仕事を楽しむことができず、不満ばかりが高まりやすい態度をを取り続けてしまいます。
これがネガティブな自分を生み、リーダー失格の決定的な条件になってしまいます。
サンプルで表したように、友人の評価でも顕著です。
友人の目にも「厳格な父」「従順な子ども」が強すぎるように映っています。
もしAさんが経営者の場合、どうなるでしょう?
従業員に自律性を求める立場にあっても、昔風なワンマン社長では、モチベーションを高めることは困難です。
穏やかな人間性による指導、厳しい基準をクリアできる温かみ のある育成システムというように意識的に仕組みを構築するようにしていくほうが 効率的でしょう。
そのためにも「保護的な母親」「自由な子ども」を強くするのが 合理的です。
「保護的な母親」「自由な子ども」の関係性は特に重要です。
親愛な関係を作れる動物、たとえば犬と赤ちゃんが見せる飼い主、母親との関係は酷似しています。
下の図のように赤ちゃんも犬も母親、飼い主から離れて自由に動きますが、ある範囲を決して超えることはありません。
赤ちゃんも犬も、母親、飼い主の反応を見て、元の場所に帰ります。
その行動の繰り返しで、自分が愛されていることを知ると安心します。
母親、飼い主はともに「安全基地」なのです。
この関係は経営者⇄従業員、上司⇄部下の関係にもあてはまります。
しかし「保護的な母親」が強すぎて、「厳格な父親」の心が弱いと、これもリーダーとして不適格です。
「叱れない」というのは、リーダーとして致命的な欠点になります。(叱り方のスキルを学ぶ必要があるでしょう→人生100年時代のマインドフルネス実践講座 )
健全な精神の持ち主が共有している母親のイメージは、誰よりも温かくもあり、怖いお母さんです。
戦争ドラマで演じられる突撃兵が「お母さん!」と叫ぶ時、別れの悲しみも含めて、安全基地を手離す絶望だと考える方があっているように思います。
時に抱きしめ、時に叱る、そのどちらも自分を守るための行為だと知っているから安全基地となりえたのです。
優れたリーダーをエゴグラムにした場合、厳格な父親70、保護的な母親70~80というのがもっともバランスのとれた状態でしょう。
バランスを失ってしまう事例は想像以上によく起こります。
あるときは厳しすぎたり、またあるときは優しすぎたりと、状況を無視した不適格な行動をとってしまうのです。
気長に楽しむマインドフルネス
Aさんの事例を続けます。
100点ではないけど、10点でも良い。白でも黒でもなくグレー。
「千里の道も一歩から」という発想が大切なのです。
私たちが何かを成し遂げるときに、必要なのは「余裕のあるマイルストーン」なのです。
できたらいいし、できなくてもいい。「いまこの瞬間、ここにいる」の自分です。
昨日の自分ではなく、明日の自分でもない。「いまこの瞬間、ここにいる自分」です。
エゴグラムの分析
厳しさと保護的な優しさのハーモニーから生じる、「楽しさ」が、個人的にも組織的にも大事です。
その楽しさに溺れない節度を保つのが「大人の心」です。
Aさんの事例では現在のままで社会人と十分な状態にあるので、このままで良いでしょう。
いまここ「厳格な父」「保護的な母」の バランスを良くするように、心がけましょう。
経営者、上司ということを考慮するなら
「厳格な父」を70
「保護的な母」70〜80
「自由な子ども」80
「従順な子ども」50~60
を目標にしてするのが良いでしょう。
Aさんの父のエゴグラムで表示された「厳格な父」の際立った強さを見てください。
Aさんは、この影響を受けているので「従順な子ども」が強くなっています。
また 「厳格な父」を真似したように強くなっています。
父の「従順な子ども」も高いことが一目瞭然ですが、やはりAさんと同じような状態で過ごしたと想像できます。
「家風」だと言ってもいいでしょう。
Aさんは、非常に強いストレスを受け育ったと思われます。
生活習慣とは「いま、ここ、この瞬間」のこと
自分を変えたいと願う人は溢れています。
部下を変えたいと思う人はそれ以上にいるでしょう。
しかしいくら思っても行動でしか変えることはできません。
生活習慣は行動で変わります。
生活習慣とは「いま、ここ、この瞬間」の積み重ねです。
現状のエゴグラムを見るだけでは単なる情報止まりです。
こうありたい自分のエゴグラムを作り、現実の自分にすることにエゴグラム作成の意義があります。
しかし落とし穴はここにあります!
こうありたい自分のエゴグラムを作るとは「いまよりもっと良い状態になりたい」ということに他なりません。
餓えた衝動は自己否定そのものです。
「末那識」の仕業ですが、自己否定がプラスになることはありません。
自分はダメだからあの頂上に登るというのは、拷問でしかないのです。
三重苦を乗り越えたヘレンケラー
ヘレン・ケラーは、見えない、聞こえない、話せないという重複障害者でしたが、盲学校の女性教師アン・サリヴァンの手ほどきで「障害」を克服して類いまれな業績を残した人物として知られています。
アン・サリヴァンはヘレンの両親の依頼を受けて家庭教師としてケラー家に赴任しますが、アン・サリヴァンの障壁として立ちはだかったのは、他ならぬ両親でした。娘可愛さからの行為であったとはいえ、これでは問題を克服できないと思い知らされたアン・サリヴァンは、ヘレンと二人きりで生活させてくれと両親に申し出します。
そして両親があきらめから放棄していた「しつけ」を通して、わずか2週間で最後の能力とも言える「話せる力」を身につけさせました。
それは育て直しといったほうが良いかもしれません。
両親からも見放されたヘレンにとって、生まれて初めてコミュニケーションできる歓び。
ヘレンにとってアン・サリヴァンは安全基地と感じたのでしょう。
厳格な父親の心と保護的な母親の心のバランスが奇跡を起こした優れた例は私たちに希望を与えてくれます。
裏返せば「従順な子どもの心」が強すぎる。その背景には「保護的な母親の心」を圧倒する強すぎる「厳格な父」があり、現実離れした完璧主義が潜んでいます。
現実的な問題として認知の歪みがあります。この場合「二分化思考法」です。「思うようにならないのなら、なにもしたくない」「白か黒か」という極端な完璧主義です。
四諦(したい=四聖諦)
ブッダがいちばん最初に説いたのが「四諦(したい)」だと言われています。
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苦諦(くたい)とは、苦しみという真理(あること)=苦しみに気づく
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集諦(しったい)とは、苦しみの原因があるという真理(あること)=苦しみの原因があることに気づく
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滅諦(めったい)とは、苦しみの原因がなくなる真理(あること)=苦しみは癒されることに気づく
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道諦(どうたい)とは、苦しみの原因がなくす方法がある真理(あること)=苦しみの原因を取り除けることに気づく
実は苦しんでいるのに、その実感を抑圧している人がたくさんいます。
自分が苦しんでいることに気づいていない人が多すぎるのも悩みを深くしている原因です。
自分はダメだからあの頂上に登るというのは、その典型的な事例です。だから拷問でしかないのです。
イチローが大リーガーになり、あれだけの成績を残せたのは、自己否定のおかげではありません。
自我イメージのためにしたのではなく、「ただやりたい」と望んだことです。練習も好きだからやっただけのことです。
子どもが日が暮れても遊んでいたくて帰宅が遅くなっただけで、親が心配してこんな時間までなにしてたの?」と問いただしても「別に」と平気で答えるのと同じです。
「いまよりもっと良い状態になりたい」にも種類がある
「いまよりもっと良い状態になりたい」には、現状が悪いので「いまよりもっと良い状態になりたい」があれば、もっとうまくなりたいので「いまよりもっと良い状態になりたい」もあります。
同じようでも全然違います。
苦しみの原因を取り除けることに気づきましたか?
まとめ
今回は「マインドフルネスであること」にこだわってくださいましたか?
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 主体的に積極的に生きる=苦しみには原因があることを知ることができます
- 状態=苦しみの原因を取り除けることに気づいて取り除けます
エゴグラムには「阿頼耶識」がはっきり浮かび上がります。
そこで改善する方法が問題になりますが、いかがでしょう?
意識すらできない「阿頼耶識」のせいで、現状が悪いので「いまよりもっと良い状態になりたい」と自己否定しながら改善に取り組むことはおすすめできません。
ますます「阿頼耶識」を強めてしまうからです。
対策は「気にせず、マインドフルネスでいることです」
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