- 禁止令に悩んでいる方
- 人生100年時代にのびのびとやりたいことをやりたいと、考えている方
- 怒りっぽい方
- 自己否定感が強い人
- 依存症の傾向がある人
- 家族との関係が悪い人
禁止令は、阿頼耶識(あらやしき)と言われる深層心理の底にある意識です。
禁止令は、保護者によって植えつけられた「良心」です。
しかし、その良心は、保護者の主観で命じたことなので、必ずしも正しいものとは限りません。
たとえば男の子に「男であるな」という命令が下され、潜在意識に深く刻まれると、男の子は自分の願望と葛藤することになります。
「健康であるな」と命じられた子どもは、おとなになっても不摂生を行うでしょう。
「成長するな」と命じられた子どもは「大人になることを悪いことだと思い込みます。
このような禁止令は、ほとんど記憶されていないので、人生でつまずいても、どう改善したら良いのかを、間違った知識を取り入れて人生を間違います。
仏教では、知識として身につけていても役に立たないだけでなく、逆に悪い影響を与えてしまうと注意を促しています。仏教では実践がすべてなのです。
マインドフルネスも同様です。
マインドフルネスでは、以下の図にある「八識」を含めいくつもの課題を乗り越えて、自分の心と身体を整えます。
自分の心と身体を整えることで、人生が整ってきます。
また「十牛図」の6枚目までをご紹介しています。
「十牛図」は、真の自己を発見するプロセスを10枚の絵で表現したものです。
ここでは、スティーブ・ジョブズ氏の生き様を例にとって、真の自己を発見する下りまでをご紹介しています。
一瞬をおもてなし。
過去、現在、未来。
時の空間をどう考えるかは、人それぞれの自由ですが。過去、未来は実存する説があります。
実際はどうなんでしょうね。
大ヒットした映画「君の名は。」は、3年の時の隔たりを描いていましたね。自分をノアの箱船にして3年前に戻し好きな人を救おうとする。。。。時間については諸説ありますが、誰にも解明できていません。
しかし、1秒ごとにいまは過去になり、未来を迎えます。私たちが実在していると感じられるのは一瞬、一瞬です。
この一瞬をどう生きるかがすべてです。
つまり「一瞬のおもてなし」がすべてなのです。
一瞬を丁寧に。
マインドフルとは「心が満ち足りている」こと。
「マインドフルネス」マインドフルとは「心が満ち足りている」ということ。
アサーティブに(主体的で、積極的に、注意深く、自走で)自分に関わり、周囲に関わる。
この状態を「「し合わせ」」と言います。
マインドフル(心が満ちた)な状態にするために、自分の外のなにかに依存する必要はなく、自分の内に、全部備わっています。
人はみんな裸で生まれてきたのですから、裸の自分に全部備わっています。
「マインドフルネス」の目的は、「心が満ち足りている」一瞬を実感、自覚して会得することです。
欠乏感が人生を複雑にする
満ちていない、欠乏感があると、満たそうとします。
いちばん手近な方法が「飲食」です。
アルコール、辛味、甘味・・・刺激的であればあるほど満たしやすいので、好まれます。
全部、一瞬のことで、錯覚ですから、満たされることはありません。
それに傾倒することは「狂気」です。
世の中の多くの経済活動は、快感と装って狂気に誘い込みます。
昔、イギリスと清(中国)の間で阿片戦争がありました。麻薬ビジネスで戦争になるのだから凄いですね。
マインドフルネスでおかしくなった?
マインドフルネスを採用した企業では、人に目覚めて企業人から脱落する人が増えています。
矛盾に耐えられなくなるようです。これは理解不足です。
禅に打ち込んで精神異常になった人もいます。これも同じではないかと思います。
「一瞬をおもてなし」することで「エンドレスにワンダフル」
一瞬をおもてなしすることでエンドレスにワンダフルとは、どういう意味でしょう?
一瞬を心ここにありの状態で、大切に過ごすことで、満ち足りた状態にする
満ち足りた状態で過ごせば、ネガティブな負の循環ではなく、穏やかな「縁」が形成できます。
ネガティブな負の循環とは、夫が妻を虐待する、その妻が夫と一緒になって子を虐待する。子どもは成長すると同級生をいじめる。
いじめた子どもは、やがてパートナーと子どもを虐待する。いじめられた子どもも、パートナーを虐待し、子どもを虐待する。
怒りの連鎖は止まりません。
人生をエンドレスにワンダフルにするには、ちょっとした意識の改善です。
- 「私の妻」ではなく、「妻の私」。
- 「私の子ども」ではなく、「子どもの私」。
- 「私のあなた」ではなく、「あなたの私」。
- 「私の社員」ではなく、「社員の私」
- 「私のいま、ここ」があるのではなく、「いま、ここの私」。どうでしょう。
『「私の社員」ではなく、「社員の私」』で、いまの社会をみていただくと、現実が見えるのではないでしょうか?
「一瞬をおもてなし」することで「エンドレスにワンダフル」
一瞬をおもてなしすることでエンドレスにワンダフルとは、どういう意味でしょう?
一瞬を心ここにありの状態で、大切に過ごすことで、満ち足りた状態になることができます。
満ち足りた状態で過ごせば、六大煩悩にまみれることなく、出会う人々との関係も穏やかな関係が築けます。
しかし、欠乏感があると、六大煩悩とは、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)という、6種類の煩悩です。
実は、最初の3つである貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)は「三毒」と言います。
それに後半の3つである慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)を足して「六大煩悩」と言われています。
「貪」と「瞋」の切っても切れない関係
最初の三つから「貪」と「瞋」ですが、「貪」とは貪ること。「瞋」とは「怒る」ことです。
この2つは強い因果関係があります。
「貪(とん)」は貪欲(とんよく)です。
欲は誰もが持っていますが、欲が過ぎると、周りから見ても気分が悪くなるものです。
欲にもいろいろありますが、承認欲求が強いとどうでしょう。
その背景には「自己否定感」があります。「自己否定感」は思い込み、決めつけですから、他者が解決できるものではありませんが、自分で解決しようとしないので、いつまでも解決できません。
そこで人の優位に立つ何かを探して自慢します。
虐待の根本もそうです。
幼児より親の方が優れていて当然ですが、幼い子どもを叱りつけて満足を得ようとします。
しかし、子どもを痛めつけて満足できないので、いつまでも続きます。
程度の違いこそあれ、この仕組みは「依存症」のすべてに通じる論理です。
「貪り」を解決する方法が「怒り」です。
いくら怒っても解決しませんが、怒っている最中は興奮しているので、気分が高揚します。
高揚感が貪りを刹那的に忘れさせてくれるのです。
貪り、怒る土壌には、自分」と他者を分けて認識する二分法思考があります。
- 自と他
- 善と悪
- 有と無
- 生と死
- 好と嫌
「自他対立」の根本が二分法思考です。
二分法思考は、完璧主義の土台になっていて人を苦しめます。
「ライフスキル研修」では、人間関係の仕方として以下の4つを挙げています。
- 自己肯定・他者肯定
- 自己肯定・他者否定
- 自己否定・他者否定
- 自己否定・他者否定
人間関係の仕方は4つありますが、「自己肯定・他者肯定」以外は全部自己否定が基本です。
六大煩悩をなくす方法は、二分法思考を止めるしかありません。
貪る習慣が止まらない
心が平静なとき、「自己肯定・他者肯定」の構えをとることができます。
しかし、承認欲求が満たされず、怒りがこみあげてくると、自己否定感が強まります。
承認欲求が出てきた段階で、すでに二分法思考に陥って、自分と他者を分けているのです。
二分している、つまり対立的になっている自分に気がつくことができれば、ニュートラルな状態に戻れます。
『私は私」「あなたはあなた」と違いの違いを肯定できると、清々しい関係が築けますが、貪る習慣があると、怒りに突入して、ドロドロしたものになります。
怒りは刺激があるので、快感なのです。快感を貪る日頃からの「心の癖」を停止できないのです。
マインドフルネスの効用
貪っているときに、「貪っている自分に気づく」のがマインドフルネスから贈られるスキルです。
同じく、「怒ろうとする前に、いま怒りそうだ」と気づくのが、マインドフルネスから贈られるスキルです。
貪っている最中、怒っている最中に、なかなか自分の感情を客観視できません。
これを客観視できる能力がマインドフルネスのトレーニングによって身につきます。
人生はエンドレスにワンダフル
1999年生まれの100歳到達率は100%。
「人生はエンドレスにワンダフル」を合言葉に、人生100年時代のライフシフターを応援します。
感情に振り回されるような自分でいると、人生100年時代のライフシフターとして失格です。
そのためには、潜在意識にある「超意識」の扱い方の是正が必要です。
一般社団法人いきいきゴエス協会のマインドフルネス教室では、その手順をコーチングしています。
ライフプラン(マインドフルネス /ライフスキル /ライフスタイル)コンサルタント
「十牛図」6/10までのプロセス
まとめ
- 禁止令に悩んでいる方
- 人生100年時代にのびのびとやりたいことをやりたいと、考えている方
- 怒りっぽい方
- 自己否定感が強い人
- 依存症の傾向がある人
- 家族との関係が悪い人
この記事では、マインドフルの障害になる「六大煩悩」から、「貪(とん)」と「瞋(じん)」を取り上げました。
「六大煩悩」とは、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)という、6種類の煩悩です。
残りの煩悩は次回ご説明します。
「十牛図」は真の自己を発見するプロセスを10枚の絵で表現したものです。ここでは6枚目までをご紹介しています。
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