マインドフルネス瞑想は坐禅と似ています。
しかし明らかな違いがあります。
マインドフルネス瞑想は坐禅と似ているのは、「瞑想」するという行為そのものが同じだからです。
行為は同じですが、目的がかなり違います。
その違いと効用についてまとめてみます。
マインドフルネス瞑想と坐禅は目的が違う
マインドフルネスは、免疫力アップや睡眠の質を改善する効果があります。
マインドフルネスは心をストレスから解放するからです。
人はストレスを感じるとコルチゾールという物質を発生させ、脳の一部を萎縮させます。
記憶力が低下し仕事の効率もダウンし、マインドワンダリンング(心の迷走)状態に陥ります。
マインドワンダリンング(心の迷走)状態に陥ると、やりたいことに集中できなくなります。
注意が分散され、ますますストレスが生じる負の循環に陥ります。
さらにコルチゾールは免疫力の低下や血糖値の上昇、うつ病や不妊といった健康被害をもたらす可能性もあります。
マインドフルネスは、まずマインドワンダリンング(心の迷走)にストップをかけます。
マインドワンダリンング
マインドフルネスの反対にあるのがマインドワンダリングです。
マインドフルネスは、後悔・不安・ストレスなどのネガティブな感情に囚われない状態を作ります。
感情に振り回されない状態から解放すれば、コルチゾールの過剰な分泌が抑制され脳の疲労が鎮まっていきます。
さらにマインドフルネスには脳にある前頭葉皮質の働きを活性化すると言われています。
その結果、免疫力や睡眠の質の向上へとつながるので医療にも応用されています。
マインドフルネスには不安の解消、心身の健康といった具体的な効果、つまりメリットに注目が集まっています。
ところが禅での瞑想は、教義を会得する修練、つまりプロセスである点にあります。
マインドフルネスのルーツは、ブッダの四諦(したい)という真理にあります。
真理にたどり着く教義として8つのステップ「八正道(はっしょうどう)」を説きました。
そのなかのひとつが、7番目のステップ『正念(しょうねん)』で、原語でsammā-satiと言って、サティ とは気づくという意味です。
何に気がつくのかというといまの自分に気がつくということです。
瞬間瞬間、いまここの自分に気づくことですが、自分に気がつくには精神が集中した状態でなければ気づけません。
そこで次の『正定(しょうじょう)』つまり8番目の修行が精神が集中した状態で自分に気づきます。つまり『正念』とは気づくための実践法なのです。
このバーリ語のsammā-satiを英語に翻訳したのが「マインドフルネス」です。
ですからマインドフルネスで教義を会得することも可能です。
禅とマインドフルネスは同じことですが、現在アメリカ、及びアメリカから輸入した「マインドフルネス」と表現する場合、目的を限定することでマスターしやすくしています。
マインドフルネスをきっかけに、「八正道(はっしょうどう)」「四諦(したい)」をはじめブッダが説いた真理と教義を学びたいと思ったら、学ぶのもOKなのです。
マインドフルネス瞑想とヨーガ
マインドフルネスは、瞑想と呼吸を意識することがセットになっています。
これはヨーガにも言えることです。
ヨーガも仏教から生まれたものでこんにちの「マインドフルネス」の概念よりずっとずっと以前からあるものです。
マインドフルネス瞑想に比べるとヨーガは様々なポーズをします。
いわゆるヨガ教室は、ヨーガから仏教性を除外しカジュアルにしたものです。
綺麗なボディラインを作ったり、健康に良い、という認識を持つ人が多いと思います。
しかしヨガの目的は美容や健康はではなく、精神を安定、宇宙と一体化するための「瞑想」が本来のヨーガでした。
つまりポーズ違いはあっても、マインドフルネスもヨーガも同じ目的なのです。
健康、美容、エネルギーに注意を向けられる理由
身体の健康、さらに美容、エネルギーにまで注意を向けられるようになるのは、心と脳が安定しているからです。
なのでマインドフルネスもヨーガも同じ目的をクリアすることが優先されます。心と脳が安定するのは、自分に愛情を向けることができるようになるからです。
自分に愛情を向けることができるとは、自らを思いやる能力にいままで以上に注意深くなれることです。
「するべきこと」に反応しなくなるということです。
たとえば、するべきことに振り回されているとイライラします。
するべきことに振り回されていると焦ります。
マインドフルネスもヨーガも心より身体を優先します。
なので、身体のことを考えると瞑想も人によって仕方が違います。
マインドフルネス瞑想と坐禅の目的の違い
マインドフルネス瞑想は自分の心身を安定させるためです。
仏教や禅の瞑想は、自他利です。
「自他利」とは自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。
この二つを同時に行うことを目的にした修練です。
すべての人々を救う事を目的にする大乗仏教の根幹です。
他者に対する慈悲を重視し,悟りに到達しようとする宗教的実践でもあります。
マインドフルネス瞑想で、まず自らを思いやる能力を高めて、他者への注意も向けらえるようになれば良いですね。
まとめ
ちょっとしたひとことがトラウマになって、長期の睡眠障害が生じた事例は山ほどあります。
その「ひとこと」が生まれた背景には私の関与しない人間関係の混乱があります。
つまり誰かのゴミを突然投げつけられたのです。
私には全く関係のないことなので、脳は忘れたはずなのでが、身体に記憶を封じ込めてしまいます。
ストレスは突然降りかかるのです。
自らを思いやる能力を高める目的のためにマインドフルネス瞑想をします。
どちらかというとマインドフルネス瞑想とヨーガの方が似ています。
身体を通じて脳と心を安定させるという点では同じことを目的にしています。
マインドフルネス実践講座では、個人の身体に合わせた瞑想が中心です。
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