こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです。
心の中で何が起こっているのか、ただ見守ること。
ただそれができるだけで、心の中で起こっていることを変えてしまいます。
それが、マインドフルネスにできることです、
瞑想は「ねばならない」価値判断をせずに、「ただあるがまま」の自分に気づく練習です。
瞑想は頭で考える、感じるのではなく、呼吸や身体で感じるのです。
呼吸瞑想、歩行瞑想。慣れてくると非瞑想でもできるようになります。
非瞑想も瞑想。
あるがままの気づきをするために、心を休ませるだけでできるマインドフルネス瞑想の方法をお伝えしたいと思います。
マインドフルネスにできること
本題に入るまえにコチラをチェ→→→→ック!!
人生100年時代のマインドフルネスにできることリストです。
- マインドフルネスはトラウマ配線をつなぎ直します。
- マインドフルネスは極めて有効な「ストレス低減法」です。
- マインドフルネスは一切の評価をしません。
- マインドフルネスは「ありのまま」を受け入れます。
- マインドフルネスは「いまここ」に集中します。
- マインドフルネスは「つながり」を注意深く実践します。
- マインドフルネスは「一切皆苦」という真理を原点にしています。
- マインドフルネス瞑想はマインドフルネスの一部です。
- マインドフルネスは「二分化的思考」をしません。
- マインドフルネスは医学、心理学、心理療法にも活用されています。
- マインドフルネスでは「失敗=悪いこと」ではありません。
- マインドフルネスは人を生きやすくし、「し合わせ」につなぎます。
マインドフルネスで私の人生、こんなに生きやすくなり、「し合わせ」につながりました!
身体の感覚を感情に置き換えてしまう習慣
個人差があるものの、私たちは、身体が不調だと、感情と結びつけて、そのまま「自分はダメだ」「私は不幸だ」「死にたい」みたいな気持ちになりがちです。
完璧な勘違いでが、単に疲れているだけですが、小さい頃から自分の感情を抑圧して生きてきた人の場合、リストカットまで行ってしまう人もいます。
感情に良いも悪いもない
自分の感覚に対して感じることを止めてしまう原因は、感情に対して罪悪感を持ってしまった過去にあったりします。
感情に良いも悪いもありません。海や川が濁った水になるかと思えば、次の日には澄んだ水になっているのは、「諸行無常」の言葉の通り、常に変化しているからです。
心はどこにある
心は身体と完全に切り離せるものだと思いますが、では、心ってどこにあるのでしょう。
何世紀も昔から心の研究はされてきましたが、未だに解明されていないひとつです。
脳や心臓のように、これですと指し示すことができないですね。
だからそんなものは存在しないのだと結論付ける人も出る始末ですが、本気で否定する人がいないのも事実です。情報の蓄積がないので、心を前にして身動きできないだけなのです。
文楽で知る「心の住処」
日本の伝統芸能に「文楽」があります。
ユネスコにより2003年(平成15年)に「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」として宣言され、2008年(平成20年)に「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。
「人形浄瑠璃」ともいい、世界でも例を見ないもので、黒子が人形を操作して、微妙な動きはもちろん心情までも表現し、生身の人間以上に訴えます。
観劇した人は口を揃えて、見ている内に、人形と思えなくなってくると言います。
「文楽」は、太夫・三味線・人形・物語が一体となった総合芸術です。
太夫と三味線は、対等な立場で競演しながら、義太夫節を組み立てていきます。どちらが指揮者というわけでもなく、お互いの意気が合うことが大切で、緊迫した呼吸の積み重ねの内に進められていきます。
太夫は義太夫節によって、浄瑠璃の世界を描き出し、伝えるのですが、場面の情景、物語の背景、登場人物全員の言葉など、全てを一人で語り分けます。
その際、実写を基本としながらも、技巧的に老若男女の声をそれらしく聞かせるという単なる声色ではなく、豊かに喜怒哀楽を語って、役の性格、人情など人間の本質を深く追求し、表現するのです。
と文楽のWebサイトには記述されています。
生身の人間以上に訴えくる心はどこにあるのでしょう?
身体や言葉、様々なコミュニケーションの手段は、心の道具なのです。
文楽を例に取ると、太夫・三味線・人形・物語が一体となった空間に心が存在しています。
私たちは普段、このように心がどこにあるのか、気にしていません。
心が身体の外にあるのか、内側にあるのか、さえ気にしていません。
私たちが幸福でありたいと願うとき、脳の働きを理解したりしません。
心の動きを知りたいとき、「生まれつきそうなんだ」のひと言で片付けます。
つまり「思い込み」でしかないのです。
思い込みとは執着
では否定的な感情を持つのはどうでしょう?
この場合も、やはり脳の働きを理解したりしません。
この場合も、「思い込み」なのです。
心のあり方を変えようとしても、すぐに効果が出ないので大半のことが「三日坊主」で終わるのも、「うまくいくわけがない」という思い込みなのです。
思い込みとは別名「執着」のことです。
なので、執着を手放せば心は自由に動けるようになります。
自分を束縛して、心をがんじがらめにしているのは自分自身の思い込みという名の執着なのです。
瞑想トレーニングでマインドフルネスになる
ブッダは単に心をあるがままにしておけば、本性を体験できると説いています。
マインドフルネスとは、主体的に積極的に本性で生きる状態のことです。
つまり自分に戻れということです。
自分に戻るために、瞑想では一切の評価をするな=思い込みで判断するなとしているのです。
非瞑想のときの気づき
しかし、非瞑想にあるとき、日常にあるとき、知らない間に思い込みで動いてしまいます。
どうすればいいのでしょう?
思い込みで反応するのではなく、瞑想と同じようにただ見つめるだけにします。
それに慣れるには時間がかかります。そのために瞑想でトレーニングしているのです。
あるがままに生きるのは水を飲むより簡単
ただ心をあるがままにすればいいだけです。
ただ心を休ませるだけできる瞑想の方法
ただ心をあるがままにする方法は、水を飲むより簡単です。
いつ、どこでも、どのようなときでも、心で何が起こっているかを評価することなく見守る。
・・・それが瞑想です。
休ませた時に、多くの思考、感情、感覚を感じたとしても、それもOKです。
あるがままの気づきだからです。
自分自身の心の自然な動きを観察できたのだからOKなのです。
こういうと「しかし」という言葉が喉元まで出てくるでしょう。
「しかし、それで仕事になるのか?」という疑問が湧くでしょう。
マインドフルネスが無視されていた力を引き出すとき
「しかし」という言葉を動かそうとする脳は誰が支配しているのでしょう。指揮官は誰ですか。
自分の思い込み、自動思考、習慣化した感情、感覚のまま、流されるのではなく、そう言った特定の状態に巻き込まれ、他の一切を無視していることに気づくことで、特定の状態が持っている力が消えはじめます。
無視されていた力が、マインドフルネス(充実した状態)によって、神経細胞の「つながり」を注意深く実践していきます。
まとめ
呼吸瞑想、歩行瞑想に続き、非瞑想の瞑想があることをお伝えしました。
いつでもどこでも瞑想は出来ます。
非瞑想の瞑想。
ただ心を休めるだけでできることをマスターすれば、
マインドフルネス瞑想は水を飲むより簡単に非瞑想でもできるようになり、
心の安らぎは水より安く手に入ります。
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