こんにちは、人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表のゲンキポリタンです。
「無我」という概念は仏教の教えを理解する重要なキーワードなのに、いろんな言い回しがあり、一般の人には難しく感じます。ひとつの理由は宗派がたくさんあることも影響しています。
ここでは「もともとのいのち」を使って、エンドレスにワンダフルに生きるための3大基本クエスチョンをゴエス(整理・整頓・清掃・清潔/磨く・習慣/しつけ)します。
大基本
- What 私は誰?
- Why なぜここにいるの?
- How どのように生きればいいの?
「もともとのいのち」の正しいトリセツ。
3大質問について3回連続でお話します。それでは、「私は誰?」からまいります。
無我とは?
「無我」ってなんでしょう?
「無我の境地」ってどういう状態?
「なにも考えない状態。」というのはまず嘘です。脳は勝手に考える器官です。
坐禅=無我というのも、あり得ないですね。
なにも考えるなと言われると余計考えてしまいます。
長い時間は退屈ですが、呼吸に意識を集中するなら可能です。
単純なことは飽きるのが人間です。犬でも単純なことは続きません。
「無我の境地」とは「もともとのいのち」の状態です。
?????ですよね(笑)
もともとのいのち
もともとのいのち=「私の概念図」です。
自分と書いてありますが、言葉の響きだけで、自分とは因果の集積で実体がありません。
因果も心も、これですと身体の部位のように指すことはできません。
人類始まって以来、誰も発見したことがないのです。
身体の部位といっても、表面はともかく、37兆の細胞の集積である内部は、どれひとつとっても自分の意思でコントロールできません。手足をまあまあ自由に動かせるので自分があるように錯覚しています。タイヤやハンドルなど部品の集合体を「車」と呼んでいるのと同じ状態です。
科学は「心」を探して、部位を細かく、細かくしていきましたが、結局発見できません。
車の場合、設計者がいますが、人の設計者は見つかりません
自分(=心)というのは塵のようなものです。
一般にいう自分は言葉の上で存在しているだけです。
「もともとのいのち」というのが、あるがままの自分です。
「もともとのいのち」の取り扱い方
もともとのいのちをどう扱うか、車で喩えるならドライバー次第です。
そんなこと気にもしていない人も大勢いますが、
生きている間には「あの人、素敵ですね。」「カッコいい人ですね」「スマートな人ですね」
死んだら「素敵な方でしたね」「おしゃれな人でしたね」と言わせたいなら取り扱い方を間違えないようにしたいですね。
無我とは空(くう)のこと
無我とは「空(くう)」です。
空っぽ
禅の教科書「十牛図」に真っ白い丸の一円だけになる絵があります。
あるのは、ただ空白だけ。空一円相といいます。
無限の可能性があるということです。
いつでも、どこでも、なんにでも「なりきる」ことです。
なりきれば(自分は)消えてしまいます。
子どもはいつでも空(くう)
「したいことがわからない」と言います。
執着があるので、わからなくなっています。
「もともとのいのち」が何かをしたがっているわけでなく、執着心が執着していることを実現するためになにをしたらいいのか、探しているのです。
子どもを思い起こしてください。
子どもはいまなにかをしていたかと思うと、次の瞬間、違うことに没頭しています。
過去のことはすっかり忘れています。無垢な視点でいまここに集中しています。
しかし、子どもに悩みがないわけではありません。
ここからは、いまここ、あるがままに、暮らしていても、苦しみの種子を心に植え付けしまうメカニズムをご紹介します。
苦しみの正体
子どもが無垢な視点で安心して「いまここ、あるがまま、なりきる」には、「安全基地」があることを忘れないでください。
老いも若きも「し合わせ」を求めます。「し合わせ」とは広大で捉えにくのですが、誰しも苦しみを避けたいのが本性(本来の心)といえるのではないでしょうか。
本来の心が煩悩を引き寄せます。
煩悩は、神経細胞のつぶやきで、いまここに集中していない証なのです。
いまここに集中していないと、神経細胞のつぶやきの結果、ホルモンのネガティブな分泌が起こります。たとえばコルチゾールはストレスから身を守るホルモンですが、ストレスが次つぎに起こると、過剰分泌してしまい、身体を攻撃します。
これを断ち切るのがマインドフルネスです、
マインドフルネスになることは難しいことではありませんが、癖(習慣)になっていないので、繰り返すことで悪い癖をやめる習慣が必要になります。
悪い癖「執着」はこうして芽生える
もともと空だった「もともとのいのち」が、空になれなくなるのは「執着」「愛着」があるからです。「執着」「愛着」はいつから身についてしまうのでしょう?
- 私を選んでくれることは、対象に選ばれた特別な存在になります。
- 赤ちゃんは、抱っこされることで特別な結びつき(安全基地)を感じ、安心します。
- 抱っこされない赤ちゃんは、特別な結ぶつきが得られないので不安になります。
- 不安を消したい執着が生まれます。
特別な結びつきがない相手がスキンシップを与えても赤ちゃんは満足しません。
特定の人に選ばれ、安定した関係(安全基地)の獲得が重要なのです。
この体験が自分の基礎になります。
1.5歳までに人生に対する構えができると言われる所以です。
安全基地が獲得できなかった人、獲得した人。双方ともに、ここで問題が生じます。
愛着と執着が芽生える瞬間
- 愛着関係(=安全基地)を得ることは「し合わせ」ですが、執着心を芽生えさせます。
- 愛着関係が得られないと、執着心が芽生えて、一生、愛着関係を求めつづける
- どちらも執着心の種子が芽生え、苦しみの始まりになります。
- 愛着関係(=安全基地)を得たほうが、愛着へのこだわりは少なく、その分自己実現に集中しやすくなります。
執着(煩悩)で満たされることな何ひとつない
- 我癡(がち)・・・・・自分が何者かを知らない。事と理の縁起が解らない
- 我見(がけん)・・・・自分は存在すると考える。一方的な偏見(見解)
- 我慢(がまん)・・・・自分は優れていると慢心する。他者との比較、過去との比較
- 我愛(があい)・・・・自分は大切にされるべき存在と考える、貪り、欲望
11の善の心
執着まみれになっていると、で「私はなに(誰)?」つまり自分の本性がわからなくなります。
本性とは本来の心、仏性ですが、自分の良さに気付けないので、悪循環でますます執着が強くなります。
- 信・・・・・・・・・・・・まごころ、真摯な心
- 慚(ざん)・・・・・・・・善を尊重して、自分を省みる心
- 愧(き)・・・・・・・・・悪を避け、恥を知る心
- 無貪(むとん)・・・・・・ことを施し、過剰な欲望のない心
- 無瞋(むしん)・・・・・・過剰に怒らない心
- 無癡(むち)・・・・・・・道理に明るい心
- 精進・・・・・・・・・・・善の方向に努力を怠らず、限りあるいのちを生きる心
- 軽安(きょうあん)・・・・マインドトークに惑わされず、爽やかに生きる心
- 不放逸(ふほういつ)・・・無貪、無瞋、無癡、善精進を怠らない心
- 行捨(ぎょうしゃ)・・・・静かな落ち着いた平等、正直な心
- 不害(ふがい)・・・・・・他者を傷つけない心
わたしはなに(誰)?
執着心に苦しむようになると、「快」を求める気持ちが強くなります、
「快」を求めるほど「不快」が強くなります。
快に執着するほど、不快が強調されます。
満腹な人は、なりきっているので、もっと食べたいと思いません。
満たされている、いない、煩悩は自分が決めています。
煩悩を消す方法は、いまここになりきること、集中するです。
と、いってもすぐに対処できないですよね、
マインドトーク(雑念)に遮られるからです。
マインドフルネスで本性を取り戻す
マインドフルネスを繰り返すことで、マインドトーク(雑念)にひっかからないようになります。
本性(本来の心)を取り戻し、自分のスタイル(習慣)が強化されます。
マインドトーク(雑念)に気持ちが行ってしまう癖、心の癖を、正しい思考回路、心の癖にして空に反映することが可能になります。
いまここになりきる可能性を開くのが瞑想です。生活全部が瞑想といえます。
つまり私は空(くう)。空っぽなので、なんにでもなれる。無明も可能性の一部です。
いまここになりきる思考回路を習慣にします。
習慣化されるとホルモンの分泌が変わります。
私というシステムが理解できると、無我についてもすんなり理解できます。
エンドレスにワンダフルに生きる大基本
エンドレスにワンダフルの意味は、親の生き方を子どもが真似をして継承、またその子(孫)が継承していくことでワンダフルを持続していくことです。
「持続可能な社会」は、家庭にも及んでいると考えるべきでしょう。
先が見えない人生100年時代、働き方も学び方もどんどん変わっていきます。
親の規範、価値観、生き方が、最大の教育です。、
エンドレスにワンダフルを示した上の図、一番上にあるワークシフトを上手に乗り切れるようにするには、お金が必要です。お金の設計(ファイナンシャルプラン)を具現化するには、無形資産(スキル)が必要です。
トライアングルを乗り切るために自分を整える
ワークシフトと、ファイナンシャルプランと、無形資産は、トライアングルの切っても切れない関係になります。
政府が働き方改革を進める背景には、豊かなトライアングルを個人の良識と責任で獲得してほしいという願いが潜んでいます。
国が個人のケアを十分できる時代はもう来ないと予測しているからです。
iDeCoや大人気のNISA or つみたてNISAはその代表です。
まとめ
私たちは無意識の人生脚本に生きています。つまり「仮想空間(マトリックス)」です。
自分の人生を主体的に生きるために、自分の物語に入るようにします。
十牛図で牧人(牛飼い人)が牛(真の自分)を探しに旅に出かけるようなものです。
自分の物語に入ると、子どものようのいまここになりきって過ごします。
いまここになりきって過ごすことで、執着心を忘れて生きることができます。
つまり、執着心、愛着を知る前の「もともとのいのち」を生きることができます。
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