100年ゾンビにならない暮らしの整え日記

ゾンビにならない暮らし方 マインドフルネス
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マトリックス』(The Matrix)は、1999年のアメリカのSFアクション映画で2023年までに4作品が製作された。

真実を知らず仮想世界マトリックスで人生を送る主人公が、人間を守ろうとする反乱軍のリーダーたちから、コンピュータに支配された世界にいることを知らされた上、現実世界の救世主であることを知らされ、自信が持てないまま様々な無理難題の解決を経て成長して行く過程を描いており、1999年当時はまだ一般的でなかった哲学的要素と東洋的なワイヤーアクションやバレットタイムが導入された事で「驚異の映像革命」と評され大ヒットしました。
その哲学的思想の描き方に仏教界からも賞賛の声が多く『マトリックス』は、ゾンビの変形バーションと見ることもできる。

三宝院沙門
三宝院沙門

そう、わたしは三宝院沙門、涅槃からの伝え人。ゾンビにさせない

マトリックスに見るゾンビ

サイファー

人間に反旗を翻したコンピュータの戦争に端を発するマトリックスシリーズに登場するモーフィアスを裏切るサイファーは壮大な物語を理解するうえで重要な人物です。現実世界からの脱落者であるサイファーは、反乱軍の「禁欲生活」に馴染めず「無知は幸福」と言い切り、モーフィアス、ネオの二人と反対の立場にあり、対照的かつ象徴的な人物です。

では、そのセリフを見てみましょう。セリフに出てくる「プラグ」とは、人間と戦争をして現実世界に生きる人間を滅ぼしたコンピュータに培養されている人間は生まれた時からプラグに接続されてマトリックスの世界を脳に仮想空間を描いているのです。

プラグ(マトリックス)

サイファー:この肉は実在しないんだよな。
口の中に放り込むとマトリックスが脳に信号を送りうまいと錯覚させる。
プラグを外されて9年、俺は悟ったよ。”無知は幸福”
サイファー:戦うのにも、船の暮らしも、寒さにも、食事にも我慢できない。

サイファーは9年間の我慢に疲れ忍耐の限界でした。
モーフィアスの救世主伝説を信じておらず、トリニティーに好意を持っていたが相手にされなかった。密かにネブカデネザル号のメンバーを裏切ってエージェントと内通していたのです。
モーフィアスを引き渡すことを条件に、現実世界から仮想世界に戻してもらうことをスミス(マトリックスの監視人)と契約。現実世界にいる仲間のプラグを次々と抜き、死に追いやるのです。
船に戻った瞬間、タンクとドーザーを襲撃。更にエイポックとスイッチもプラグを抜いて殺害。そしてネオが救世主ならオレを止めるだろうといい、ネオのプラグを抜こうとした時、瀕死のタンクが逆襲されビーム銃で射殺されます。

ゾンビにならないために、信じるのは「主体性」

マトリックス

映画『マトリックス』で描かれる人間とコンピュータの戦いを、私たちが暮らす現実におとしこむと、マスメディアは人類とテレビ(マスコミ)を利用した守銭奴と表現することが出来るかも知れません。

たとえばZ世代なんてものが現実にあるわけではありません。過去にもマスコミは、団塊世代、新人類世代、バブル世代、ロスジェネ世代、ミレニアル世代、Z世代、世代によって異なる「世代のつながり」のレッテルを偽装してきました。言われるからそうかなと思っているだけです。ヒトはひとり、ひとり、みんな違います。100人いたら100の生き方があります。その事実に注目したら「主体性」を大切にしたいものです。他者の価値観で生きるのではなく自分の価値観で主体的に生きるようにしたいものです。ゾンビにされないあり方の基本です。

プラトンの提唱「洞窟の比喩」

プラトンが提唱した「洞窟の比喩」

ソクラテスの弟子である古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年 – 紀元前347年)が、提唱した「洞窟の比喩」とは、社会を洞窟に喩えて説明しているものです。プラトンは「国家」という著書で「洞窟の比喩」を提唱しました。「国家」のテーマは人間の精神の成長です。

図のように、洞窟にいる私たちは、洞窟の中で何も疑わず、先生や権威者の言うことをそのまま真実だと信じ込み生きています。そういう疑問を抱くことなく、洗脳されるがままになっているのがほぼ全員。

そんな中に、ポツンと様々なことに疑いを持つ人物が現れます。現実社会ではブッダ(お釈迦様)でした。ブッダは「自灯明・法灯明」でこう言い遺しています。

ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。

何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。

たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。

あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。

ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。

しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。

以上、よろしくお願いします。

映画「マトリックス」の中では救世主であるネオになります。ネオは真実とはなんぞや、自分って一体誰なんだろう、今の自分は本当の自分ではないんじゃないか、と疑います。いわゆる自己探しとは少し違う気がしませんか。違います。
ネオは「自灯明・法灯明」の根本思想である「自利利他」の考えの上に立っているからです。

そういった疑うという第一歩が魂の探求者としての第一歩となります。

あなたはなんのために生活しているのか

マインドフルメスは面白い

「そんなこと知るかいな」というヒトが大半です。
ほとんどのヒトは「「し合わせ」になるため」というでしょうが、実際には勘違いです。
「「し合わせ」のような状態」になりたいも含めて、「し合わせ」のようなものということでしょう。
多くのヒトが手にすることはできません。なぜならなにを求めているか、具体的には「し合わせ」というよりは安堵感だからです。

つまり大半の人は、自分の望みをどう言い表していいかわかっていない。というのも、彼らには、自分の本当の望みが何かを知る手がかりがあるようでないからです。浅はかな選択をしたぽっかりに行き詰まった時のことを思い出してほしい。どの映画を観るか、レストランで何を注文するか、あるいは何を着るか決められない人間が、自分の目標を見つけられなくても、何の不思議があるだろう。優柔不断は足踏み状態につながるしかありません。今の世の中、「し合わせ」を求めれば求めるほど「し合わせ」から遠のいているようです。

なぜだか解りますか?「し合わせ」と思っているものが「し合わせ」とは無縁のものやことばかりだからです。自分の望みを突き止め、手に入れるための計画を立て、一生懸命頑張れば、少なくとも、望みに近いものが手に入るかもしれない。もし自分の本当の望みが何かということすらわからないのであれば、求めることもできないのは明白々です。

自分が求めているものが何であるのかわからなければ、言葉にできない赤ちゃんと大差ない。違うのは、世間はあなたの母親ではなく、あなたの望みを理解しようと母親並みの努力を払おうとはしないということだけだ。

自分の望みを特定できなければ、地団駄を踏 み、泣き叫びながら人生を送る羽目になります。

ある心理学の中年の女性の博士が脳梗塞になり、思うような行動ができなくなった。母親はなんとかキャリアともども元の状態に戻してやりたいと思いました。母親は中年にさしかかった我が子を2歳の子供のようにケアしました。幼児体験からはじめる二人三脚の暮らしは大変だったがついに彼女たちはハンディを跳ね返し80%回復したのです。世間は母親並みの努力をしなかったが、母親は母親以上の努力をして実を結んだのです。自分が求めているものが何であるのかわかったなら専門医が見捨てた事でも奪い返せる凸凹道の歩き方の稀有な事例です。

心から望むものを特定するのは、それを手に入れるための基本てなので、心して答えを出さなければならない。自分が求めるものを勘違いするのは、まったくわからないよりもいっそう悪い結果に繋がってしまう。自分が求めている と確信したもののために何年も、あるいは一生をかけた人に、仕事で、あるいは個人的に出会ったことが、幾度もあった。明確にしてから取り組んだヒトは成功を手にした。その様子を「優柔不断」と酷評した第三者もいるが、気にすることはない。自分の人生は自分の価値観のうえにある。

慌てて取り組んだ彼らは長年、懸命に努力し、犠牲を払っていた。やっと目標を達成したのに、失望する結果に終わるのを見るほど、悲しいことはない。彼らは怠けたわけではない。
間違った道を選び、飽きることも怠けることもなくジャングルで間違った方向に進み続け、本来あるべき場所からほど遠い場所にやって来てしまったのだ。

子供の時、「願いどおりになるかもしれないから、祈る時には何を祈るか気をつけろ」 と戒められた。もし自分が特定したものが、そのものズパリ手に入るとなれば、あなたは特定する際に慎重を期するだろう。

もちろん、先ほど述べた人たちのような結果に終わりたくはないはずだ。

彼らは、自分が本当 は望んでいないものを求めて大きな失望を味わっただけでなく、自分にとっていちばん大事なものは、実はすぐ手の届くところにあったのに、間違った目標を選んだぽっかりに、手に入れ損なったことを知った。

たぶん彼らが本当に求めていたものは、きりきりしながら追いかけた目標よりも、もっと手の届きやすいものだっただろう。

この「人生のシンプルな方程式」をなおざりにしたがために、こんな皮肉な結果を手にいれてしまったのだ。人生はシンプルな凸凹道です。だから間違った方向に進まないように心したい。人生の方程式の単純さにダマされてはいけない。自分が望むものを特定する場合には、最大限の注意を払うべきだ。

人生の方程式

大きな望みも臆せずポジティブに認めるにしょう。目標を定め、それに向けて全力を傾けている人の人生と、何が欠けているのか、あるいは自分に何が必要かすらわかっていない人の人生を比べてみよう。

本当に求めているものを特定すれば、 目標はこれこれだと具体的に定まっているわけだから、港の灯りを目指す船のように、自分の人生を誘導しはじめることができる。

「随処に主となれば、立処皆な真なり」という禅の教えがあります。「どこへ行っても、主になって行動すべし」という意味で、与えられた所や自分が選んだ道に従い、適応して主体的に精一杯生きるということを指しています。それぞれの置かれた立場や環境で、それぞれのなすべき務めを精一杯果たせば、必ず真価を発揮することができるようになります。ゾンビにならないあり方のひとつです。

凸凹道の歩き方

四諦

三宝院沙門
三宝院沙門

ゾンビになるまでにしたい100のことをさせない、ゾンビにさせないように、私、三宝院沙門は、こう考えます。

三宝院の語源は「三法印」です。法が宝になったのは、法こそが宝のルーツだからです。

法とは、現代社会では、国家の強制力を伴う社会規範のことを言います。国民の間で自主的に醸成される道徳、マナー、モラルに罰則はありませんが、「法」に、さんずいがついていることでわかるいうに「水」は「水平」の意味で、基準・標準を表しているというものです。 つまり、善悪を判断できる基準・標準を組み合わせて、世の善悪の標準を示す「法」という漢字ができあがっているのです。
極めると宝という意味です。宝というのは非常に主観的な概念で、何を「宝」とするかは人または集団によって大きく異なります。

「三法印」は、「一切皆苦」を解決するためにブッダが唱えられた「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つの教えです。一切皆苦」とは、人生はデコボコ道ということであり、三法印は凸凹道の歩き方です。苦がないように、デコボコ道を舗装してから歩こうとしても、すでにデコボコなのだから、できない。だから「一切皆苦」と説いておられるのです。上手に歩くコツをマスターすれば法はポジティブな宝物になります。宝物にするためにブッダが最初に伝えたかったのが、「四諦(したい)」です。

  • 苦諦(くたい)・・・・人生はでこぼこ道の苦しみであるという真理
  • 集諦(しったい)・・・苦しみには原因があるという真理
  • 滅諦(めったい)・・・苦しみの原因は少なくすことができるという真理
  • 道諦(どうたい)・・・苦しみの原因がなくす方法があるという真理

ゾンビ(英語: zombie)とは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称ですが、正しくは何らかの力で生きたまま死人になりそのまま暮らして、やがて死んでいく人間の総称です
大半のゾンビは、禁欲的な生活を嫌いますが、大谷選手のように「なりたい(生きたい)自分」があって、なる(生きる)ための努力を楽しむこともできます。
凸凹道くそくらえ!自分の歩き方で最高の道にしてやろうと自由人的な考え方ができるヒトです。物の見方、基準・標準は自分のあり方でどうにでも変えることができるというゲンキポリタンです。

三宝院沙門」の沙門とは、ブッダが出家された当時、インドの宗教者あるいは思想家を二分していた一つのグループの呼称です。正統派の宗教者はバラモンと呼ばれ、非正統派の人々はひとまとめにして沙門と呼ばれました。沙門たちは師を訪ね道を求めて各地を放浪(遊行)し、定住することがありませんでした。それは家族やケアすべきヒトたちの束縛を離れた自由な生活でした。ブッダが出家されようとしたときに、その決意を促したものは四つの門で見かけたゾンビの中で生き抜いていた一人の沙門の自由な姿であったと言われています。大谷選手から見た野茂投手であったかも知れません。

ゾンビにならないためのLess is More

Less is More

数年前のこと。私は机に向かって、予定表をぼんやり眺めていました。私の予定表は、お気に入りの革製の大型システム手帳のなかに書きこまれています。この手帳には、「やるべきこと」のリスト、電話帳、時間管理チャー ト、会議効率化チャート、目標設定チャート、ハイテク活用チャート、5年・10年単位の人生設計などが盛りこまれていました。私はそのとき突然、この革製のシステム手帳を使って自分の人生をこれ以上複雑にしてはいけないと思いました。

霊山寺

私はすぐに電話をとり、例のシステム手帳は家に置いたまま、大学ノート一冊だけをもって夜行バスに飛び乗って、四国88ヶ所歩き遍路に出かけました。まずは一番さんと呼ばれている、発心の一番札所徳島「霊山寺」を参拝し、長い休暇をとることにしました。じっくり考える べきことはたくさんありましたが、歩いていると「無」になって行きました。歩き疲れて休憩中に考える有り様でしたが、疲労感が増すばかりで考える力さえ出てきません。もっと歩くべきだと感じました。

同世代の多くの人々と同様、私は「大きいことはいいことだ」「たくさんあることはもっといいことだ」という80年代の哲学にどっぷり浸かっていました。大きな家に憧れ、大型車を買い、めぼしい電気製品を買いそろえ、いかにもハッピーヤッピー的なおもちゃをたくさん買いこみました。そのうちに、これらのものは私たちの生活のプラスになるどころか、むしろ私たちが望んだ以上に生活を複雑にしているのではないかと思いはじめました。

なにも他人と同じ生活をする必要はないことは、私にもわかっていました。でもここに至って、パワーランチの効用はせいぜい消化不良であるという事実を、ついに直視せざるをえなくなったのです。いよいよ待望の追越し車線の出世街道を離れるべきときがやってきたのです。

思いつきで歩き遍路をはじめましたが、お遍路を含め、きちんと整えたい思いに駈られ、それからの数日というもの、私はオフィスに引きこもって静寂のなかにひとり座し、 複雑に入り組んだ日々の暮らしをすっきりさせ、その質を高めるためにできそうなことをリストアップしていきました。そして、さらにリストを見直しました。幸い私は、私が自分に提案した大きな改革はすべて、曼荼羅(マンダラ)チャートに反映させました、(クリックで曼荼羅チャートがダウンロードできます)

曼荼羅(マンダラ)チャート

私が最初にしたことは、いらなくなったガラクタを処分することでした。歩き遍路を中心に 本当にやりたいことをやれるように生活をコンパクトにしてそのひとつひとつに、パーソナルトレーニングやケアプランに有効でモチベーションアップになる個別なアセスメントを設定しました、今後数年問、私は食生活をシンプルにして、投資先を一本化し、不要なレジャー用品を売りはらい消費パターンを見直し、外部サービスへの依存を大幅に減らすように設定しました、ゾンビにならないアイデアの大半を、一つひとつ実行に移していったのです。

お遍路さん

この「シンプル化計画」を始めるにあたって、私は愛する人と愛してくれる人の関係を最重要と位置付け、三つの目標をゴエスして見直しました。

三つの目標は
家、車、衣服、食事、資産といった生活資材を自分の価値燗に則って、なるべく小型・少量・単純なものにし、外部の力を借りないでも楽に、有形資産と無形資産の管理ができるようにすることでした。

②に四国88ヶ所歩き遍路など「自分が心からやりたいこと」をするために社会活動、人間関係、責任から自由になろうと考えました。コツは義務感から仕方なくやってい ることをやめることです。学ぶことも増えましたが、これによって、自分の時間がふえただけでなく、より刺激的な毎日にになる反面、やりたくないことをやらされるストレスからも一挙に解放されました。

③地球人として、自然環境と調和して生きたいという私たちの願望にそった生き方をしようと思いました。

以前から生活にできるだけ自然を取り入れたいと思い、実際にそうしてきましたが、 私にとっての「シンプルライフ」は60年代の「田園に帰れ」的な運動とは違い ます。溢れるミニマリストのアドバイスを半分も実行すれば、たしかに家計は切り詰められると思いますが、 かといって、私たちの言う「シンプルライフ」はケチを意味するものではありません。私たちにとっての「シンプルライフ」とは、暮らしをスリムにし、快適さを追求し、複雑さを排し、現代の目のまわるような忙しさから抜けだすことです。

最初に「シンプルライフ」に取り組みはじめたとき、何よりほしかったのが経験者 のアドバイスでした。何か参考になるものはないかと、図書館や書屈を歩き回りまし た。たしかに「シンプルライフ」の考え方についての本はたくさんありましたが、やるべきことを具体的に書いた実用的な本はまったく見つかりませんでした。禅寺の思想を基礎にして手探りでやるしかなかったのです。シンプルライフへの階段を一段のぽるたびに、ジンプルライフはゾンビにならないガイドになったのです。他にもこんな工夫があるという小さな発見があり、それらもリストに加えていきました。決して理性や分別が欠けているわけでもない私たちが、一般に流通している価値観を取り入れれば取り入れるほどゾンビになっていくのだとおしえてくれたのが「マトリックスシリーズ」でした、ライフスタイルや行き過ぎた消費活動に、揃いも揃って、はまりこんでいけば行くほど、どうしょうもなくゾンビになっていくのです。

そしてもっとも大事なことは「歩く」ということでした。「考えることは歩くことなり」と言っても過言ではありません。考えているだけなら生きてるのか、死んでいるのかわからない。生きて生かされているのは「」があって生きてるのです。

まとめ

社会人基礎力を周活・週活・終活で整える

マトリックスのサイファーが言ったように”無知は幸福”ということは絶対にありません。無知は犯罪です。

上の図でわかるように、ライフステージは、呼吸。マインドフルネス、ライフスキル(生きる力)というように、みんな繋がっています。ヒトはひとりでライフスキルを身につけられず、あらゆる生物と共生しています。だからゾンビになるわけにはいかないのです。

私たちと同じ道を歩んだあげく、生活をシンプルにするにはどうすればよいかと悩んでいる、理性ある人たちがほかにもいるに違いありません。歩いて、歩いて、もう、ゾンビになる暮らしはやめましょう。

マンダラチャートはこちらでダウンロードできます。

曼荼羅(マンダラ)チャート

2024年3月15日(金曜日)は
「一粒万倍日+天赦日+寅の日」の最強開運日です。マンダラチャートで祈願しましょう!

ゲンキポリタン大学

ゲンキポリタン大学

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。

「社会人基礎力」(全6回)

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