こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです。
自分は人の書いた文章についてアレコレ言える資格はないと思っています。
それでも、なんでこんなに難解な書き方をするのだろうと思うことがあります。
内容を理解する前に、書いてある意味を理解するのに時間を費やして、途中で投げ出したくなるときがあります。
こんな場合、どう付き合えばいいのか、投げ出すべきか、じっくり攻めるのか、迷いますが、マインドフルネス瞑想の心に立ってみたら・・・
生きづらさを解決するマインドフルネス
本題に入るまえにコチラをチェ→→→→ック!!
生きづらさを抱えてなおも頑張ろうとしている人には、共通点があります。
- 自分のことを知らない
- 自己否定が強い
- 真面目
- プライドが高い
- Sっけがある
- 褒められるとよろこぶ
- 自己顕示欲が強い
- 権威に弱い
- 傾聴よりよく喋る
- 色眼鏡で物ごとを見る
- 基本は優しい
マインドフルネスを世界に広げたふたり
マインドフルネスはたったふたりの力で、世界に広がりました。
ジャック・コーンフィールドとジョセフ・ゴールドスタインのふたりはアメリカ合衆国連邦政府が運営するボランティア(平和部隊)に属していて、東南アジア、インドを旅した際、仏教を学びます。
ふたりは、1974年にコロラド州にあるチベット仏教のナローバ学院に招待され、ヴィパッサナー瞑想のレクチャーを行い大成功します。
ジャック・コーンフィールドとジョセフ・ゴールドスタインのふたりは、その後、アメリカ中をまわり、20〜30際台の人を中心にヴィパッサナーを指導します。
指導の仕事を始めた時、それが世界に広がる、広げたいと考えたでしょうか?
そうではないと思います。ただ関心があった。人に言わずにいられない。
それだけだったのでじゃないでしょうか。
どんな仕事でも、ホームオフィスあるいはひとり会社は、世界にチャレンジする力を秘めています。
「天上天下、唯我独尊、全米を駆け巡る」です。
マインドフルネスな読書
禅は特にそうだと思いますが、脚が痛い、背中が痛い、身体がおかしくなりそうだ。
修行をして病気になったら何の得もない、やめてしまいたいと思うのは、禅僧も同じです。
禅僧は、そんな葛藤に打ち勝って成長していきますが、一般人もなにごとについても同じ局面に出会います。
難解で歯が立たない。こんな本、捨ててしまいたい!
主に専門書のことですが。特に国家試験が絡んだ専門書の場合、顕著ですね。
投げ出したくないので、付き合わざるを得ないのですが、そこでアレコレ考えるわけです。
その基準になるのが、マインドフルネスです。
書いた方は間違って理解されたら困るので、親切で書いているのだと思うのです。
注意深く、一歩、一歩、山を登るつもりで読むようにしています。
まさしくマインドフルネスな読書です。
注意深く、一歩、一歩、山を登るつもりで楽しんで。
たったふたりでマインドフルネスを、世界に広げた、ジャック・コーンフィールドとジョセフ・ゴールドスタインのふたりのように。
マインドフルネスな仕事
つまり、この状態は「こんな仕事、やりたい仕事じゃない」と言うのと同じなのです。
読書でも仕事でも同じで、一歩、一歩、丁寧にやり遂げるしかないのです。
ネガティブな自動思考に任せることなく、積極的に受容して、注意深くやるのです。
そうすることで、難解な文章を読む能力が育って、他の専門書もスラスラ読めるようになるのだと思います。
解らないのは自分が慣れていないので解らないのであって、書いた方は、そういう文章に日常的に接しているので、書けるのです。
「こんな仕事、やりたい仕事じゃない」と言うのも同じで「こんな仕事が大切なんだ」と知っているから、文句もブツブツ文句も言わずにできるのです。
煩悩に振り回されない力は、能力は自分の心の在りようと深く結びついているのだと思うのです。
つまり怒りや欲望から離れて自由になっていく仕組みになっています。
人生199年時代のマインドフルネス
人生199年時代、時間はあるようにないのは、「生産性」にこだわるからですが、「急がば回れ」はいつの時代も同じ。
難解な文章を読みたくない裏には「急いでいる自分」がいます。
理解できないから読みたくないのあって、読めるようになれば自然に読めるし、理解も進むはずです。慣れるまで待つしかないのです。
結局、「こうなりたい」「ああしたい」と欲望だけが募り、実力がついていかないのなら「こうなった」「ああなった」となったところで仕事にはならないのです。
マインドフルネスとは欲望という名の雑念を捨ててこそのものなのです。
マインドフルネスな集中の秘訣
「いい仕事をしたい」と思ってする仕事より、何も考えずにやる仕事の方がいい仕事ができるのです。
万事に通じることで、「美味しい料理を作りたい」と思う料理より、何も考えずにやる料理の方がいい料理ができるのです。
おふくろの味と言う言葉も最近はめっきり聞かなくなりましたが、やはり同じで、母親は「美味しい料理を食べさせたい」と思うより、「晩ごはんの用意をしない」と何も考えずに、ひたすら集中して作っていたのではないでしょうか。
注意深さを欠いた慣れは惰性になります。
マインドフルネス、世界に広がる
ジャック・コーンフィールドとジョセフ・ゴールドスタインのふたりは苦しみながら「マインドフルネス」を世界に広げたとは思いません。
もちろん万事同じで、彼らにも、苦しい局面はあったでしょう。
1984年、ジャック・コーンフィールドはサンフランシスコ近くにスプリットロック・センターを設立します。
東海岸と西海岸に位置する二つのセンターは全米インサイト(ヴィパッサナー)の中心的な拠点になっています。
インサイト・メディテーションでは、サティ(憶年)が最も重視されています。
「憶念」とは憶は記憶の憶、念は気づきの念。眠っている間も絶え間なく働く心の働きです。
これを英語でMindfulness(マインドフルネス)と翻訳されています。
Mindfulは形容詞で「注意深く」という意味になりますが、nessがつくことで名詞形になります。
一般には使われないようです。
インサイト・メディテーションでは、トレーニングの際に、頻繁に使わています。
このトレーニングは、テーラヴァーダ仏教(上座部仏教=ヴァーリ仏教)の正式なトレーニング(スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス地方)であり、形式的には日本の禅と似ています。
インサイト・メディテーションの特色は、瞑想中心で、どの宗派にも所属しないことで、独立性を貫いています。
それはブッダの教えである「いまここ」の概念を大事にしているからといえます。
真実に伝統はいらない。
過去も未来もない。「いま、ここ。」
まとめ
難解な本に出会ったら読むのをやめたくなります。
やめたら、それ以上の進歩はありません。
すべてに通じることです。
ただ自分がいま読むには慣れていない。
いまやるのには早いだけ。
早いというのは、結果を求めるには早いという意味です。
だから慣れるまで、落ち着いて慣れることに専念する。
いま、ここ。
この瞬間に絶え間なく働いている心の働きを集中させる。
それ以上の動きを求めない。判断もしない。
一歩、一歩。
真実に伝統はいらない。
過去も未来もない。「いま、ここ。」
マインドフルネスな暮らし方は一歩、一歩、注意深く。
注意深さを欠いた慣れは惰性になります。
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