六大煩悩とは、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)という、6種類の煩悩です。
「貪(とん)・瞋(じん) 」については、こちらに書きましたので、参考にしていただくと幸いです。
- マインドフルネスで結果を出したい方
- マインドフルネスをもっと深めたい方
- 禁止令に悩んでいる方
- 怒りっぽい方
- 自己否定感が強い人
- 依存症の傾向がある人
- 家族との関係が悪い人
- DV虐待にお悩みの方
- 人生100年時代にのびのびとやりたいことをやりたいと、考えている方
「マインドフルネスを実行しているが、いまひとつ結果が出ない」「マインドフルネスをもっと知りたい」
「マインドフルネスに興味はあるけど、どんな効果があるのか。よく解らない」
マインドフルネスへの疑問をお持ちの方は多いと思います。
グーグルのマインドフルネスは宗教色を削ぎ落としているので、非常に解りやすくなっています。
その分、不明な点も出てきます。ストレス低減を重視しています。
マインドフルネスの元は「禅」ですが、表現の違いはあっても、自然にストレス低減効果が発揮できます。
しかし、禅は、一から論理的に積み上げていきます。
その分、とても難解で現実離れしているように感じます。
だからマインドフルネスは解りやすいですよね。
もともと西洋人を対象にしたプログラムです。
このサイトでは、禅の教えを現代的に伝えようとしています。
解らない点があれば、LINEの個別質問で、お問い合わせください。
では、前回に続いて「六大煩悩」についてから
三毒のひとつ「癡(ち)」
まず、根本的な煩悩は「癡(ち)」です。
六大煩悩のうち、
「貪」「瞋」そして、これから説明する「癡」までが「三毒」と言われている根本的な煩悩です。
「癡(ち)」は、「無明」とも言い、「無明」には重要な意味があります。
「無明」とは煩悩に気を奪われ「真理を学ばず、真理が解っていない」ということです。
無分別智
仏教は因果関係の連鎖を解説していますが、基礎、つまり真理は「無分別智」です。
無分別智は仏教の根本思想です。
「無分別智」とは、一人一宇宙だが、すべては縁でつながっていると体感している境地です。
「無明」とは、この真理が解らない、体感できない状態なので、「自と他」というように分けてしまいます。
これが「分別智」です。
- 自と他
- 善と悪
- 有と無
- 生と死
- 好と嫌
このように二分法思考で分けて考えることから、すべてがバラバラになり、「分別智」となり、対立の引き金になります。
「分別智」が原因で、私たちの多くは、バラバラな世界に暮らしていることになります。
なぜバラバラの世界に暮らしているのか
「分別智」の世界・・・これは、言葉で考えることから引き起こされたもので、言葉を使わなければ、自分も他者もない状態になります。
たとえば他者がなければ自分はなく、生がなければ死もありません。
人間は死んだらどうなるか、解らないので不安になり、恐怖を感じますが、死がなければ、憂うこともありません。
しかし、この「死」という概念は、言葉によって作り出されたものにすぎないのです。
「自分」もそうです。
「他者」がいなければ「自分」を意識することもありません。
無人島にひとり暮らしてみたら、どうなるか想像してみてください。
もし、言葉がなければ、過去の出来事を振り返って考えることもなく、自分もなく、未来もありません。
あるのは「いま」という一瞬だけです。
アニメ「君の名は。」
社会現象になったアニメ「君の名は。」という映画に感動して涙した方も多いと思います。
もし言葉を使わなかったら、過去へ行ったり、今に戻ったりできたでしょうか?
時間の謎はいまも解けませんが、過去も未来も実存しているという説があります。
しかし固まりではなく、一瞬がバラバラに点在しているといいます。
これが夢の正体かも知れないと思うとドキドキしてきませんか?
人は誰でも、「一人一宇宙」です。自分の宇宙から出ることも出来ず、誰も入れません。
その「一人一宇宙」が縁起(因果(原因=結果))で繋がっています。
因果の連鎖なので、はじまりの原因がわかりません。
「君の名は。」のように3年前に戻れたら簡単で良いですね。
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時は電車が線路を走るようにやってきます。
「いま、ここ、この瞬間を」愛でるように、丁寧に、大切にして、暮らすしかありません。
それが解っていたら、DVや虐待は起こらないと思います。
TVが面白くないと言われる、いまこそ、時間を無駄にせず、内面を観察して、「分別智」に陥って無明にある自分を発見するのも最大のエンタメではないかと思うのであります。
知識だけでは役に立たない。体感し、実践することがすべてだと、仏教は教えています。
ですから、ほとんどの人は、分別智の世界しか体感していないので、「癡」の煩悩に染まっているということになります。
「無明」社会に暮らしている私たち
「無明」とは煩悩に気を奪われ「真理を学ばず、真理が解っていない」ということです。
無明であるために、「貪」(貪る)・・・・自己承認を貪り、得られないことから「瞋」(怒り)に暴走する仕組みから抜け出られないでいます。
この現象を映し出しているのが、いまの社会ではないでしょうか?
十二縁起(十二因果)は、因果から迷いに入ってしまった者が解脱できずに、苦しみの循環の輪の中で輪廻流転する様子を表しています。
その第一が無明です。
無明は、過去世からの迷い、煩悩を持った状態で、現世に生まれ出る前の状態とされています。
つまり、無明は、苦しみの種子をもった芽吹く前の果実の状態です。
種子とは、深層心理の阿頼耶識の中にあり、善くも悪くも、一切を生み出す力です。
「苦しみの種子をもった芽吹く前の果実」とは、阿頼耶識がネガティブな側面とポジティブな可能性を有していることと一致します。「無分別智」の炎で煩悩を焼き尽くせばポジティブな可能性が開きます。
無明を知り、「無分別智」に立って、自他の分け隔てることをせず、自我を捨てれば、道は開くのです。
この様を「十牛図」は語っています。
「癡」は三毒を循環する
「癡」という煩悩によって「自」と「他」を分けてしまうので、「他」を「自分のものとしたい」と思います。
あるいは承認欲求が生まれて「他者」に繰り返し求めます。
そのために、自分は他者より優れていると「慢」という煩悩にまみれてしまいます。
「癡」という煩悩が「慢」という随煩悩を使って「貪」(とん・むさぼり)ます。
貪っても、貪っても、得られないと、「瞋」(じん・いかり)となります。
そもそも、他者をコントロールできないので、、「自」と「他」を分けた上で、「他」を「自分のものにできない」と思うことに無理があります。
ひどい場合は、お天気を「自分のものにしたいが、できない」と怒り、嘆く人さえいます。
どう考えても、うまくいくわけがありません。
思うような結果にならないので、瞋という煩悩を生み出していきます。
無明なので、学ぼうとせずに、繰り返し、痴という煩悩が貪や瞋という煩悩を生み出していきます。
つまり、痴という根本的な煩悩を滅することができれば、貪や瞋という煩悩が生まれる余地もなく、心地よい暮らしが体験できます。
まとめ
- 禁止令に悩んでいる方
- 人生100年時代にのびのびとやりたいことをやりたいと、考えている方
- 怒りっぽい方
- 自己否定感が強い人
- 依存症の傾向がある人
- 家族との関係が悪い人
- DV虐待にお悩みの方
マインドフルネス」マインドフルとは「心が満ち足りている」ということ。この状態を「し合わせ」と言います。
マインドフル(心が満ちた)な状態にするために、なにかに依存する必要はなく、自分の内に、全部備わっています。
人はみんな裸で生まれてきたのですから、裸の自分に全部備わっています。
「マインドフルネス」の目的は、実感して会得することです。
満ちていない・・・欠乏感があると、満たそうとします。
いちばん手近な方法が「飲食」です。
アルコール、辛味、甘味・・・刺激的であればあるほど満たしやすいので、好まれます。
全部、一瞬のことで、錯覚です。満たされることはありません。
それに傾倒することは「狂気」です。
昔からの日本料理は本当に立派だと思います。
マインドフルネスを採用したアメリカのIT企業では、人に目覚めて企業人から脱落する人が増えているようです。
矛盾に耐えられなくなるようです。理解不足があると思います。
禅によって精神異常を来たした人もいるようです。
過渡期で生じた現象なので心配ありません。多分。ちょっと心配ですけど。
「マインドフルネス」の効用は、すごいということです。
今日もすてきに満ち足りた一日を、身体ひとつで楽しみましょう。
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