Naoman-Minoru
こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス無礼講実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表ゲンキポリタンです。
人生100年時代、80年あれば15~16回のリカレント教育は可能です。
学習をルーティンワークにしましょうというのが、ゲンキポリタン(=『(一社)いきいきゴエス協会』)の願いです。
リカレント教育と生涯学習は似ていて非なるもの。
ひとり会社のリカレント教育は「マインドフルネスに生きる」ための必須。
ひとり会社のリカレント教育にモチベーションは欠かせません。
モチベーションとインセンティブの関係は微妙です。
質のよいインセンティブとは、マインドフルネスなインセンティブです。
マインドフルネスなインセンティブとは、人を高め特別な一日にしてくれるインセンティブです。
「主体性」を引き出し、さらに育んでくれ自己マスタリーに貢献してくれます。
インセンティブ(Incentive)
モチベーションに関連した言葉に「インセンティブ」があります。
モチベーションとインセンティブは、内容にかなり違いがあるのはどなたもご存知です。
次の図のように、インセンティブが「役割の自分」に働きかけるのに対して、
モチベーション は『本当の自分』に働きかけます。
広く浸透している「インセンティブ」は、「意欲刺激」とも言われています。
「モチベー ション」は「本来の自分」にアクセスして心の内面から意欲を高めます。
一方、「インセンティブ」は報酬などを期待させて、「役割性格の自分」にアクセス、 外側から意欲を高める働きをします。
インセンティブの種類でモチベーションの質が変わる
インセンティブは「報奨金」「奨励金」などの名目で使われるのが一般的です。
おばあちゃんが孫に「肩を叩いてくれたらお小遣いをあげる」と言って肩たたきををさせる時に使う お小遣いがインセンティブです。
子どもは味をしめると、お小遣い欲しさに「おばあちゃん、肩叩いてあげようか」と自発的に接してきます。
内面からの力の場合と外的な力の場合の違いは、表面的な現象では見分けができませんが、 持続力の点で内的な動機の方が優ります。
孫がおばあちゃんを心配して肩を叩いてあげるのと、お小遣いほしさに叩くのでは、違いが出てもおかしくありませんよね。
なぜでしょう?
お金をもらうことで逆に義務感が薄れてしまうのです。
「おばあちゃんの面倒を見てあげるのが家族の義務だ」という考えが行き渡っていると、義務感が生まれます。
さらに肩こりをほぐしてあげるのは君の義務だと役割を担う意識を持たせる方が効果的なのです。
これは年齢を重ねるほど、顕著です。
アルバイトをしている娘に同じことをさせたらどうなるでしょう。
彼女は無視するでしょう。恥ずかしくて友達に言えないからです。
インセンティブを与える側は、たいていの場合、習慣化させるきっかけ(動機)に使おうとしますが、うまくいくことは少ないようです。
周囲から刺激されてやる気になるインセンティブより、本当の自分にアクセスして内面から意欲を高めるモチベーションは、本当の自分を引き出すので、行動は能動的ですし、 長期の継続力があります。
「内なる力」と「外的な力」
じぶん力には、「内なる力」と「外的な力」があります。
「内なる力」とは、ライフスキルそのもので、世界のどこへ行っても生涯使える力です。
一方「外的な力」とは、外部の評価による力です。
地位、名誉、財産、専門知識、交友 関係など、自分そのものでない力で、期間と地域限定的な力です。
現役時代には有効だったが退職したらただの人、ただの人になっても変わらず使える力 が「内なる力」、ただの人になったら使えない力が「外的な力」です。
「外的な力」をしっかり身につけたいものですが過信せずに、「内なる力」を大切にし たいものです。
人によって態度や言動を変えるのは、「内なる力」より「外的な力」を重視している態度です。
どんな人にも同じように接することが、どれほど素敵なことか、お判りいただけると思います。
図のように、本当の自分、つまり内なる力とは、人間の身体でいうなら神経のような役割をしています。
役割の自分とは?
その周囲にある「役割の自分」とは、身体に置き換えると骨といえます。
「役割の自分」は、仕事の役割によって、後から作られていく仕事上の性格です。外的な力です。
神経がやられたら身体が思うように動かなくなるのと同じように、本当の自分が機能しないと「役割の自分」もぜい弱になりがちです。
じぶん力をたくましくするには、イン センティブに左右されない本来の自分を鍛えることです。
モチベーションを高めるとは、本当の自分を“世の中”という檜舞台に出してあげる エネルギーのようなものだといえます。
晴れの舞台で活躍する姿を想像するとワクワクしますが、それは勇気のいることです。
勇気はどこから来るのでしょうか?
自分への信頼感が勇気の源泉です。
しかし信頼感は自分の内側だけで成立するものではなく、自分以外の第三者が必要です。
その役割をしているのが「共同体」です。つまり一人一宇宙が繋がったネットワークです。
「一人一宇宙」とは個人です。
誰も個人に入れないし、出ることもできないし、身代わりになることもできない。でも繋がることはできる、繋がって大宇宙。
モチベーションの源泉である共同体は大きくなるほどモチベーションも強くなります。
マインドフルネスな10ステップ
働きがいのある会社にするために、ひとちひとりの内なる力(主体性)を応援できる、採用から祝い・分かち合う10段階のステップを推奨しています。
このプロセスのすべてで、本当の自分を“世の中”という檜舞台に出してあげられるように、マインドフルネスな「交流」を通じて、主体的な自分を育むことを心がけています。
マイルストーンを達成してマインドフルネスを分かち合う「ビジネスの旅」
たとえば日本アルプス縦断レースは超過酷なレースですが、達成しても賞品も賞金もありません。選りすぐられた男たちは30名。ただ黙々と歩き走ります。彼を掻き立てるのは「自分」・・・マイルストーンを達成してマインドフルネスな祝福をする「ビジネスの旅」では、7つの教義と向き合うだけです。どうプロジェクトを設計するかは、あなたのビジネス次第でアレンジ自在。マインドフルネス研修のひとつの形のご提案です。
まとめ
人生100年時代、80年あれば15~16回のリカレント教育は可能です。
リカレント教育と生涯学習は似ていて非なるもの。
リカレント教育は「マインドフルネスに生きる」ための必須。
学習をルーティンワークにしましょう。
モチベーションとインセンティブの関係は微妙です。
人を育てられない会社は「質の悪いインセンティブ」を多用しますが、育つのは「共依存」です。
業績が順調なときは、空虚でありながらも、回っていきます。
回っているだけなので、人も組織も育ちません。
育たないのは育てないからです。育てないのは意志がないからです。
共依存な関係ですから、嫌う人は去っていきます。
質のよいインセンティブとは、マインドフルネスなインセンティブです。
マインドフルネス
- 主体的
- 対象になりきる(考えることを断ち切って、いま、ここ、目の前のあるがままに集中する)
マインドフルネスなインセンティブとは、「主体性」を引き出し、さらに育んでくれるものです。
人を高めるインセンティブです。
PDCA をシステム思考で回すマインドフルネスなリーダーシップ
『PDCA をシステム思考で回すマインドフルネスなリーダーシップ』とは、因果関係を深い洞察ができることが条件です。因果関係を深い洞察ができるようになると、「自我」が、自然に消えてしまい「無我」の状態になります。「無我」になれない場合は、因果関係が捉えきれていないことに気づきます。ここがシステム思考のポイントです。決して人のせいにしないことが大切だと判断できるからです。
3大質問で知るマインドフルネスな「もともとのいのち」トリセツ
エンドレスにワンダフルに生きるための大基本である『私は誰?」「なぜここにいるの?」「どのように生きればいい?」3つの質問から、「私は誰?」自分の物語に入ると、子どものようの、いまここにいまここになりきって過ごすことで、執着心、愛着を知る前の「もともとのいのち」を生きることができます。
縁起でマトリックスな世界をマインドフルネスで是正、本性強化
子どもと違い、大人は縁起で自分が作り出した物語で生きています。発端は1.5歳までに決意した対人関係の構え。根本執着心となり、これを繰り返し使えば正しい認知が不可能になります。このままでは自由で豊かな100年ライフを生きることは困難になります。マインドフルネスが縁起の人生脚本を是正、本性を強化します;
慈悲で本性に戻る究極のマインドフルネス3ステップ
いまここ、あるがまま、なりきった「慈悲のシステム」は、無分別智から始まります。慈悲は、100年ライフを生きる智慧とエネルギーとなり、エンドレスにワンダフルな旅をループします。慈悲の心は何もせず放っておいて生まれてきません。自らが育てていくものです。育て方が3大基本「無我・縁起・慈悲」に集約されます。
マインドフルネスで変わる重要な5つのこと
マインドフルネスでなにが変わるのか見ていきます。ここでは人生が変わることをお伝えします。テーマが大きいのでその一部しかご紹介できませんが、マインドフルネスによって気の滅入ることや腹立たしいこと、我慢でなく受け入れることで「これも人生の味わいのひとつ」と感じることができるようなります。
▼人生100年時代のマインドフルネス無礼講実践講座
誰も言わなかった禅「十牛図」はじまりの尋牛(じんぎゅう)
「十牛図」最初の絵「尋牛」の本質は、「いまの自分」がいないことに気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」がいないのは、人生脚本に支配されているからです。人生脚本に支配から解放されるには...
誰も言わなかった禅「十牛図」二の見跡(けんせき)
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着...
誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。 気づけば行動する。禅の鉄則です。人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践する...
誰も言わなかった禅「十牛図」四の得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案を...
誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります...
誰も言わなかった禅「十牛図」六の騎牛帰家(きぎゅうきか)
誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放され...
誰も言わなかった禅「十牛図」七の忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「十牛図」七番目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」は。悟ったことさえ気にしない、何ものにもとらわれない本来の自己になれたことを表しています。気づけば、悟ることができる。その悟りさえ気にならない一体となった状態は、執着の...
誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もう...
誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。あなた...
誰も言わなかった禅「十牛図」十の入鄽垂手(にってんすいしゅ)
「入鄽垂手」とは「ぶらりと町に入ってきて、何をするということもなく帰っていく」という意味になります。つまり、執着がなく、自他共にあるがままでよしとするなら、何も語らなくても、そこにいるだけで、気軽に声をかけるだけで、いのちの本性が、一切衆生...
無形資産の教科書|自分を極める「十牛図」
禅の教科書「十牛図」は、無形資産の教科書として人生100年時代を生きる世代を応援します。自分とは何者か?という根本問題に焦点をあてることで、どう生きるべきか、他者とは何者かという根本問題にも答えを出します。自分を高めたい自己マスタリーにも大...
コメント