好きな人と仲良くしたいけど好き避けしてしまう。
毒親にはなりたくないと思っていたいのに、子どもが好きになれない
あるがままの自分っていうけどあるがままになれなれい
お釈迦様は「一切皆苦」の人生に疑問をいだき「こんなことがあってたまるか」と、その解決をめざして王子の座を捨てて出家されたパンク野郎。身も世も捨てた命がけのトライ&エラーの繰り返しから生まれたマインドフルネスが、ストレス低減に効果のないはずがありません。
お釈迦様は無心でロックロールな呼吸を発見して、母親の味を体験できなかった子どもの悲哀の仕返しをやってのけた無意識過剰のSOUL少年でした。
こんにちは、般若の呼吸で四国八十八箇所霊場巡りを歩き遍路するアセットドクター三宝院沙門です。ここではお釈迦様からはじまった心身に影響を及ぼすマインドフルネスなあり方、あるべきマインドフルな呼吸の扱い方についてかんたんにまとめました。
マインドフルネス瞑想が暮らしに浸透
近年、脳科学の進歩により、マインドフルな意識の向け方で、心を落ち着かせることが脳科学的に理解できるようになってきました。アメリカで開発されたマインドフルネス瞑想が日本でも年々浸透してきています。
目新しさがきっかけになって坐禅を組む人も増えているようです。いまではやり過ぎ(=動かさなすぎ)から禅病を発症する人もいるので注意してください。
覚えたらお金も時間もかけずに心身ともにマインドフルな毎日にできるので、ストレスの多いシングルマザーには是非とも身につけて適度に実践していただきたいと切望しています。
マインドフルネス瞑想が暮らしに浸透してきた背景に強いストレスの広がりがあります。起きている間に過去と未来のことを考えている割合が47%を占めているとハーバード大学の調査で報告されています。つまり心ここにあらずの状態が一日の半数を占めているというわけです。
これでは自分の人生を生きていないと判明したので、コストも時間もかからない対抗手段としてマインドフルネス瞑想が急速に広がってきたのです。
マインドフルネス瞑想が重要な理由
マインドフルネスを瞑想だと思い込んでいる人もいますが、瞑想とマインドフルネスは別のことです。マインドフルネスは、物事の名称を表す名詞形。マインドフルは状態を表す形容詞です。マインドフルな状態とは、雑念に振り回されず、リラックスしながらも、いま、ここ、この瞬間に集中した状態です。
無心で打ち込んでいる第一人者は世界中どこでも子どもたちです。
スケボーを身体の一部のように駆使して無心にガンバっている少年少女は、いま、ここ、この瞬間を無心で生きるマインドフルネスの実践者です。
無心に生きる彼らはカッコいい哲学者。ファッションだっていまここを生きる道具として着こなしていてサマになっていますが、激しい動きをしているそのとき見えない呼吸はどうなっているのでしょう。
人間は呼吸をしないと死んでしまいます。スケボーに集中しているとき、呼吸を止めていると倒れてします。激しい動きに対応できるのは、良い呼吸をしているからです。
動かないように指示された子どもたちを校庭に10分以上立たせ、校長が話しているとぶっ倒れる子どもがいます。骨格に沿って付いている筋肉を動かさないことから下半身の静動脈の心臓還流が妨げられた結果、血液循環の低下現象が起こって、子どもが倒れるのです。
骨格筋が第三の心臓と言われる理由です。つまり直立静止の状態は第二の心臓である横隔膜を動かさない状態だからです。横隔膜を活発に動かす働きをしているのが「良い呼吸」なのです。
スケボーしているときに、横隔膜が動いているのに対して、直立静止の状態では横隔膜が動かさないので心臓の血流が妨げられるのです。
マインドフルな状態にする手段のひとつである瞑想では、身体は動かしませんが。良い呼吸で横隔膜を動かして、心身の調和を図り、対象になりきれるように整えているのです。
対象になりきれるとは、対象に無意識になるということです。対象とはいまこの瞬間している仕事、スポーツ、勉学、お料理、掃除などです。無意識になるとは、「今、ここ」に良し悪しの判断をせず、集中、没頭している状態です。
マインドフルネス瞑想が重要な理由は
・良い呼吸で心身を整える
・心身を整えることで雑念を払い対象に集中できる
マインドフルネス実践講座では、それぞれの人に適した、いろんな瞑想を紹介しています。
マインドフルネスの礎 アナパーナ・サチなる呼吸
お釈迦様は、自身の誕生と同時に母上を亡くされています。命の引き換えをしたような罪悪感に苛まれたと想像します。「一切皆苦」を解決するためにあらゆる自然とも対峙されたようです。
お釈迦様は、苦行が足らないから苦しむのか、解決を模索して苦行生活を自らに課し続けましたが、そのなかで呼吸を止める苦しさをもかなりされたようです。
いま思えば、笑い話のようですが、そうした苦行者はお釈迦さまばかりではなかったようです。
断食もそのひとつで、目的を達しないでこの世を去って行く多くの苦行者がいたようです。
お釈迦様が、苦行のうちの断息(=息を止める行)の無益に気がついたのは、ガンジーのように痩せ衰えて肋骨もあらわになった身体を認識したからす。
苦行をしていた村の村長の娘さんから牛乳粥の供養を受け、断息の代わりに心をこめた呼吸をするようにしました。これが有名なアナパーナ・サチなる呼吸です。
アナパーナとはインド語で呼と吸、サチはそれに意識を整えるというわけで、日本語的に訳せば「心をこめた呼吸」という意味です。
呼吸とは肺のガス交換のことです。
肺に息の出し入れが必要な理由は60兆もある細胞が活動を続けるのにエネルギーが必要だからです。いかにも速く走れそうなカッコいいF1カーでもエネルギーがないと走れないのと同じ理由です。
お釈迦様がスジャータという乙女の献身的なサポートで短期間で回復されたのには、お釈迦様に漂う高貴な気品に「この人を救わねば」という思いにさせたからでしょう。
その甲斐あって、すぐれた呼吸と食事で、お釈迦様はみるみるうちに体力を回復されたそうです。マインドフルネス瞑想で期待できる効果の礎はスジャータとお釈迦様の助けたい、助かりたいの結晶だと言えますね。
呼吸は緊張と緩和で成り立っています。
出る息は身体中の緊張を解き放つリラックスの息ですが、吸う息は緊張を強いる息です。
近年、脳科学の進歩により、マインドフルな意識の向け方が、心を落ち着かせることに効果があると理解されるようになりました。お釈迦様の苦労がやっと報われるようになったのです。
お釈迦さまは、「一切皆苦」の人生に疑問を持たれ「こんなことがあってたまるか」と、その解決をめざし、王子の座を捨てて出家されました。身も世も捨てた命がけのトライ&エラーの繰り返しから生まれたマインドフルネスが、ストレス低減に効果がないはずがないのです、
吐く息は長く、力を抜いて
お釈迦様は最初は出る息・入る息ともに全力投球されたようですが、それには無駄な緊張があることに気づかれたようで『大安般守意経』の中に、「出る息は長く、入る息は短く」という一節があり、これがお釈迦様の呼吸を知る重要な手がかりとなったようです。
つまり、それは、パネ呼吸(スプリング式の呼吸)と呼ばれる呼吸で、出る息だけに心をこめて長くすれば、入る息は自然に入ってくるという仕組みだったことが『大安般守意経』に記載されていたのです。
この出る息を長くする呼吸が、後に釈尊の面目を発揮する原動力となったと容易に想像できるすでに磨きぬかれた呼吸法だったからです。
なぜならアナパーナ・サチという呼吸法は無意識呼吸では不可能な呼吸法であり、大脳の運動野を鎮める意識呼吸だからです。
心臓にとって横隔膜の活動は重要です。病気に縁の深い人がいるかと思えば、何年も、ときには何十年も病気になったことのない人もいます。違いをうむ違いが、呼吸の上手下手によって左右されているとなれば、道具として呼吸を軽視することはできなくなりますが、なかなか気づかないものです。
新型コロナに感染する人、しない人には呼吸の違いがないとも言えません。
八正道から誕生したマインドフルネス
脳科学の見地から見なおしが進むマインドフルネス瞑想ですが、そもそも、ヨーガや瞑想は、2500年前にインドで生まれ、日本でも仏教や密教の修行法として、坐禅の形で、平安時代や鎌倉時代には、日本にも高貴な方々には伝来していました。
マインドフルネスは、お釈迦様が他界される間際に弟子に説かれた原始仏教の修行法「三十七菩堤分法」のひとつ「八正道(Buddhist Noble Eightfold Path)」の7番目の「正念」の英語訳にあったものをグーグルのコーチが発見、研究されたのです。
マインドフルネスを語るとき、「仏教色を排す」と言う言葉がしきりに使われますが、これはグーグルはじめIT企業が社内研修用に採用したことに起因しています。
世界企業であるグーグルやアップル、Microsoftなどに於いて「宗教の自由」は基本的な人権です。そこへ仏教から誕生したマインドフルネスを研修用に使うことは宗教の強要と誤解される可能性があるので、「仏教色を排す」ことに腐心したのです。
しかし個人が瞑想する上で哲学である仏教はなんの問題もありません。
哲学は生きるための学問であり、マインドフルネスを理解するうえでも、哲学としての原始仏教の教えは避けて通れず、避けると却って複雑になってしまいます。
哲学は音楽にも料理にもあり、哲学のないそれらはわさびのないお寿司のようなものです。
マインドフルネスの実践によって期待できる効果
マインドフルネスの思想が世界的に広まった理由のひとつは、脳科学や心理学の臨床研究によって体や脳への有効性が示されるようになったからです。
マインドフルネス瞑想について以下の効果が報告されています。
- ストレスの軽減
- 学習力/記憶能力/集中力の向上
- 免疫システムの機能向上
- 慢性疼痛の改善
- 不安障害/不眠症/恐怖症/摂食障害/依存症の症状改善
- うつ病の再発防止・軽度のうつ病の症状改善
- 感情コントロールの向上(共感力・おもいやり・適切な意思決定・幸福感など)
こういった効果から、マインドフルネスは多くの医療機関や企業などで取り入れられています。企業ぐるみで自己啓発スキルとしても盛んに活用されています。
良い呼吸と悪い呼吸
坐禅で自己を観察するといいますが、呼吸によって心と身体が一体化することを言い表しています。息を大量に出した後は、それよりやや多めの息が入ってきます。
これが血中酸素を豊富にして、心身両面に大いなる好影響をもたらす原動力になるのです。
これは健全な精神活動につながる呼吸、これがマインドフルネス瞑想の本質です。
日常生活における私たちの呼吸は、そのほとんどが無意識のうちに行なわれています。
心や体によい影響をおよぼす場合と、そうでない場合とがありますが、ほとんどは、他の物事同様、玉石混交の状態にあります。ここから自分を観察して、呼吸を道具にして身体で整えます。
そうはいっても他の物事同様に、偏りがあるもので、良い呼吸と悪い呼吸のバランスが知らぬ間にどちらかに偏っているものではないでしょうか。無意識の習慣からいずれが多いかによって心身におよぽす影響力も無視できない状態が起こってきます。
実際に病気に縁の深い人がいるかと思えば、何年も、ときには何十年も病気になったことのない人もいる。それが呼吸の上手下手によって左右されるとなれば、呼吸を軽視することはできなくなりますが、なかなか気づかないものです。
そこでまずはじめに悪い呼吸とは、精神的な面では知らぬ間に気力を失い、たくましさが消え、パラ色の人生が灰色に変わってしまう呼吸です。
つまり悪い呼吸とは、うつ病に引っ張り込む弱い呼吸・浅い呼吸・力の入らない呼吸のことです。その結果、薬による治療、心の持ち方による改善へと向かわせるのです。
マインドフルネス瞑想の効果を生み出す、正しい良い呼吸法の条件とはどんなものでしょう。
- 心身両面に役立つ。心身におよぽす呼吸の影響力を無意識に体験できます。
- 行なうほどに爽快感が味わえる呼吸。
- 持続性がある(続けるほどにそのよさが実感できる)。
- 血中二酸化炭素の徹底排除ならびに血中酸素を潤沢にする。
- 全身細胞の生命力を高めるのに役立つ。
- 脳細胞の機能活動を高める。
- 諸病に対する無形を制する(現象になる前に制すると諸疾患の予防になります)。
- スプリング呼吸であること。
- 気力が湧いてくる
綿密に見つけたらまだまだ出てくると思います。
「良い呼吸法」を厳密に言えば、人それぞれの条件・環境によって異なるので一概にはいえませんが、ポイントはしっかり力を抜いて吐くことです。
良い呼吸を覚えたらお金も時間もかけずに心身ともにマインドフルな毎日にできるので、毒親になることもないので、忙しくストレスの多いシングルマザーには是非とも身につけて適度に実践していただきたいと切望しています。
まとめ
昏沈(こんぜん)という言葉があります。サンスクリット語のstyānaに由来する仏教で説く煩悩の一つで、心の沈鬱のことです。いつの時代にも人生には不安・心配はついてまわります。
誰しも昏沈から解放されたいと思いますが完全に解放される期間は短く、ある不安・心配の種が解決した途端に別のそれが現われます。お釈迦様はその克服に生涯を投じ、すぐれた呼吸法を私どもに遺して下さいました。
「心でもって心を制せんとするは、火をもって火を制するに似たり」・・・精神苦を心のあり方で、打ち勝とうとするのは不可能であることの気づきから生まれたのが坐禅、ヨーガ、マインドフルネス瞑想であり、考えることではなく、精神苦を吹っ飛ばす呼吸の実践なのです。
冒頭、無心でロックロールな呼吸、お釈迦様をパンク野郎と表現したのは、身体で実践することがすべてであるという意味からです。
好ましくない呼吸が累積すると、それがノイローゼ・うつ病の受け皿となってしまいます。
つまり心に不安・心配、ときには恐怖といったものがあると、呼吸は浅く弱く、力の入らぬ状態となりやすい。そうした横隔膜に働きかけない呼吸は肺のガス交換を低下させるばかりでなく、血液の循環にまで悪影響をおよぽします。
「正しい呼吸」は身体の気迫なしに実現できないことを念頭にお試しください。
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