こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
今回は前回に続いて、「自己マスタリー」の力となる「無分別智(むふんべつち)」「正聞熏習(しょうもんくんじゅう)」から「正聞熏習」についてお話します。
言葉に束縛されない整え方
人間は言葉によって束縛され、制約をして迷い苦しんでいます。その最たるものが自分の身体、心、手、足、地位、お金、尊厳・・・・などなどキリがありませんが、そんなものありません!
言葉の上であるだけで、存在していないのです。
言葉によって迷いが生じているだけなので、まず言葉から脱却します。
その際に重要なのは、正しく語られる言葉、正しい教えを正しく繰り返して聞くことが重要です。
正しく繰り返して聞くことでその教えが深層心である阿頼耶識に存在する清浄な種子に肥料や水の栄養を与えて育めるからです。
「正聞熏習(しょうもんくんじゅう)」
「正聞熏習(しょうもんくんじゅう)」とは、正しい教えを繰り返し聞いて、阿頼耶識(あらやしき)にある無漏(むろ)の種子(しゅうじ)を成熟させるために、薫習していくことです。
「正聞熏習」は、釈尊が直々に説かた原始仏教から「聞法」と言われて、重要な修行法の一つとして説かれてきた方法です。
唯識では、一切の現象を起こさせる可能性、能力を根本心である「阿頼耶識」に貯蔵していると考えます。
阿頼耶(アラヤ)とは蔵の意味で、「一切種子識」ともいいます。
植物の種子と同じく、種子から一切諸法の万物が生起し、その顕現した現象は直ちに阿頼耶識に影響を及ぼし、新たな種子となると説きます。一切種子識である阿頼耶には良い種子もあれば悪い種子もあります。
あらゆる可能性が蓄えられた阿頼耶識にいい影響を与えるも、逆に悪い影響を与えるのも、言葉が大きく関わっているのです。人間は言葉で考える生き物です。正しい言葉を繰り返し聞くことで、整えていくことの大切さはわかっていただけたと思います。
私たちが暮らす世界は、テレビにしろインターネットにしろ、商業ベースの誤った概念が入り込んでくるので、どんどん言葉が乱れる傾向にあります。
この先100年もすれば、どうなっているのか不安にもなります。
それでも、正しい言葉と正しい言葉の使い方が蓄えられていると応用ができるようになります。
自己変革をもたらすために、正しい言葉と正しい言葉の使い方を知って、良い種子が育つ、言葉を選べるようにしていきましょう。
まとめ
唯識論によれば、我々の見ている世界の全てはこの”種子”により発生しているとされ、それらの”種子”を永遠に蓄え続けるために阿頼耶(アラヤ=蔵)の識、すなわち「蔵の識」と呼んでいます。
一切種子識である阿頼耶には良い種子もあれば悪い種子もあります。
種子の多くは、感情・感覚・意識が言葉とセットになって蓄えられていると考えられます。
正しい言葉と正しい言葉の使い方が蓄えられていると応用ができるようになります。
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