こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
ブッダが説いた「法(=悟りへの道)」は、上の画像のような「法輪」で表されます。
法輪の円は「法」の完全な形を、中心は悟りに至る修行である瞑想を、縁は三昧(ざんまい)を表しています。三昧とは心のあり方のことです。法輪には画像のような8本以外に、12本、24本、31本などのものがあります。
法輪の語源は、サンスクリット語のダルマチャクラといわれています。
ダルマは法(教え)、チャクラは車輪もしくは円盤形の武器を意味します。
車輪は、どこへでも行く自由な動きを表し、円盤形の武器は、転輪聖王てんりんじょうおうの七つの宝具のひとつであるチャクラムに例えた表現です。
したがって法輪は、転がって自在に敵を砕破するチャクラムのように、お釈迦様の説法が人々の迷いを破し、教えが1ヶ所に止まることなく、あらゆる所の人々に届くことを表しています。
マインドフルネスはブッダが説いた法輪で示した実践徳目「八正道」の中のひとつ「正念 (四念処)」の中の教えで、観察する瞑想と言われています。
観察する瞑想は、集中する瞑想とも言われ、日常的に、自分の思考、感情、感覚に気づく瞑想です。常に気づいている状態を保つことは大変難しいですが、心を休ませる訓練によって自覚できる時間を延ばすことができます。
マインドフルネスで集中力をアップする方法についてお話します。
マインドフルネスの効果について
マインドフルネスの基礎である仏教の教え「八正道(はっしょうどう)」はブッダの重要な教え。「八正道」とは、「八つの正しい行いをしなさい」という教えです。
ブッダは自身を神の使徒であると称したことは一度もありません。超自然の存在から教えを受けたと吹聴したこともありません。その教えは哲学的です。
それを決定づけるような教えが「八正道(はっしょうどう)」です。
お釈迦さまが余命幾ばくもないと察したときに、入滅される前に弟子を「重閣講堂」に、たびたび弟子を集めて教えを説かれた「三十七菩堤分法」の7つの目の科目が「八正道」です。
「三十七菩堤分法」は。いわばお釈迦様の遺言なのです。
ブッダ誕生、ブッダの教えはこうして生まれた
ブッダ(=ゴータマ・シッダールタ)は、王子として生まれました。誕生と同時に母親を失いますが、何不自由なく育ち、贅沢三昧、快楽を追うプレイボーイとして過ごした時期もありました。しかし心が満たされることなく、やがて自分を取り巻く苦痛を目にします。そこですべてを投げ捨てて禁欲的な生活を入りますが、それでも「し合わせ」を感じることはありませんでした。
ブッダは快楽と苦悩の関係を思い知らされ、快楽は苦しみを紛らわせるためのものでしかないと知ります。しかし苦行を行ってもただ苦しいだけであることも知ります。
「四苦八苦」は作られるのではなく、すでにある
仏教のいう「四苦八苦」は「生・老・病・死」をいいます。
- 生まれてしまった苦しみ
- 老いる苦しみ
- 病になる苦しみ
- 死ぬ苦しみ
この四つの苦しむを「四苦」といいます。
仏教は「四苦八苦」から始まった。
この四苦を「思い通りにならない苦しみ」と言います。
この問題を解決しなければ「し合わせ」になれないと考えたのが、仏教のはじまりです。
お釈迦様(ブッダ)は自分が産まれたために、母親を亡くします。
これは子どもにとって、辛い出来事だったと推測できます。
結局、生きることの前提が苦しみであることを知ります。これが四諦です。
お釈迦様はこの世に蔓延する苦しみと合わせて、持って生まれた苦しみを解決したくて出家します。
お釈迦様が、いちばん最初の伝えたかった考えが「四諦(したい」です。
四諦(したい)=ブッダの教えの基本中の基本
四諦は仏教の基本的な真理になりました。
- 苦諦(くたい) – 迷いのこの世は一切が苦(ドゥッカ)であるという真理
- 集諦(じったい) – 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真理
- 滅諦(めったい) – 苦の原因の滅という真理。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ。
- 道諦(どうたい) – 悟りに導く実践という真理。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。
「四諦」に対する回答が「八正道(はっしょうどう)」です。
四諦の「道諦」で修行する筋道「八正道(はっしょうどう)」とは、次の八つの実践のことです。
ブッダは苦は避けようがないと認識した上で「八正道」を説きました。
つまり苦と対立して抑え込もうせず、苦と喜びの中道を歩むことで、本当の幸福を見つけようと説かれたのです。
中道の教えを説くことで、ブッダは「仏陀(=悟りを得た人)」と呼ばれるようになりました。
その方法が仏教です。
②正思(しょうし)-正しく考え、判断すること
③正語(しょうご)-正しい言葉を語り、人を傷つけず嘘をつかないこと
④正業(しょうごう)-正しく行動すること
⑤正命(しょうみょう)-正しく生活すること
⑥正精進(しょうしょうじん)ー正しく努力しつづけること
⑦正念(しょうねん)-真理を把握し、正しい目的意識をもつこと
⑧正定(しょうじょう)-瞑想(めいそう)によって、心が安らいでいること
この八正道によって、苦と理想の境地の中道を駆け抜けることができると仏陀は説かれました。
「八正道(はっしょうどう)」は仏教の特色が表れた教えで、仏教は宗教というより、哲学、心理学だとわかります。
お釈迦様がいちばん伝えたかった「四諦(したい)」
初期仏教(テーラワー ダ)経典には,様々な実践修行の教えが説かれて います。部派仏教アビダルマの時代に「三十七菩提分法」として、悟り(菩提 bodhi)に至る7種類の修行法がまとめられました。
「念」とは,本来「記憶」という意味ですが、「八正道」7番目の「正念」では,mindful (注 意深く)andthoughtful(思慮深い)という意味に なり、「常に落ち着いた心の行動(状態)」を表わ しています。つまり冒頭に述べた観察する瞑想は、集中する瞑想とも言われる所以です。
日常的に、自分の思考、感情、感覚に気づく瞑想です。常に気づいている状態を保つことは大変難しいですが、心を休ませる訓練によって自覚できる時間を延ばすことができます。
心を休ませる訓練は、瞑想に入ると、自分の思考、感情、感覚が押し寄せますが、追わずに落ち着いて、心を休ませていると自然と消えていきます。
ブッダが最初と最後の説法において、 「苦諦・集諦・滅諦・道諦」四諦の,「苦」から解放され るための具体的手段であり,苦行・楽欲の両極二辺を離れた,中道の修行法として説いたものが, 「八正道」および「正念」です。
「八正道」は、八つの項目それぞれが,相互に浸透しあう「まとまり」の修行システムです。すべてが相互につながり合って生起する、依ってある関係、すなわち縁起なのです。
「縁起には決まりである。我々がいても、いなくても、すでに決まったことである。それは真理として確立され決定している。」・・・これは仏教の経典に述べられていることです。
「四諦」から「八正道(はっしょうどう)、「八正道(はっしょうどう)から「十二因縁」さらに「三十七菩堤分法」・・・・・「原因=結果」で繋がっています。
八正道の実践に集中する
「八正道」は、八つの項目それぞれが,相互に浸透しあう「まとまり」の修行システムです。
「し合わせ」に生きるための実践徳目です。人が涅槃に至るための規範です。
実践するには。八つの因果関係を繰り返し自分の智慧にして実践することで、日常に反映します。
涅槃は西洋哲学あるいは宗教の「天国」と誤解されることもありますが、それらを超越して、悟りの智慧の完成した境地をめざします。
そのためにブッダの言葉が役にたちます。
まとめ
四諦では、すべての物事には原因があると説いています。
歪んだ目で見ていては「正しい原因」を捉えることは困難です。
正しい原因を捉えるには、自分のあり方を正すことが先決です。
正す必要、正す具体策については「自灯明、法灯明」に凝縮されています。
お釈迦様が遺言のように説かれた「八正道」は、涅槃にもっとも具体的な方法な提示しています。
「八正道」を実践しょうとする時、心しなければならないのは、八つの道は因果関係で結ばれている点です。システム思考で実践しなければ効果は半減するので、慎重かつ集中力が必要です。
「八正道」を実践するとき、気配りによって集中力も養われます。つまり教育の本体である「育つことを学べる」のです。また気配りは「慈悲」に通じています。法という小さないのちを慈しみ大切にすることで、本性を直に洞察できます。これもシステム思考に通じます。
「縁起には決まりである。我々がいても、いなくても、すでに決まったことである。
それは真理として確立され決定している。」・・・これは仏教の経典に述べられていることです。
大切なことは、考えることではなく、実践することです。実践すれば真理が集中力を使います。
「誰が射るのですか?それが射る。」有名な「弓と禅」の一節をあなたも経験できるのです。
▶︎詳しくは人生100年時代のマインドフルネス無礼講実践講座
コメント