100年「し合わせ」な整え日記:内面を整える習慣

とさにまほろば ゴエス
この記事は約7分で読めます。

私たちは「禁欲生活」を嫌います。日夜、そのように飼育されています。
「禁欲生活」を請求されたら空虚さと向き合うことになります、多くの人々が空虚を埋めるために、飲食にはじまり、より刺激的な消費活動、愛情生活を追い求めます。実際にはそれらが要求を満たすことはありません。むしろより大きな苦しみを獲得することになります。

三宝院沙門
三宝院沙門

人生の方程式はシンプルです。すべては心の内面がもたらすこと、いかに奇異に見えても必ず理由、原因があります。「し合わせ」な目標を阻害する悪癖を取り除けば最短でハッピーになります。

人生の方程式はシンプル

精進ー妨げ=結果

人生の方程式はシンプルです。

  • やりたいことに精進する、
  • 障壁を少なくする
  • 精進を最大化して障壁を最小化する

シンプルでないように感じるのは心の内面の整理ができていないからです。

「やりたいことがわからない」は一番の障壁です。
やりたいことがわかっても対象に対して障壁だらけだと精進できません。
障壁を取り除くトレーニング(内面の整理)がマインドフルネスです。

心の内面の整理ができない。モノへの執着が消えない。その原因は苦しみと空虚、それを避ける「禁欲生活」ができないことにあります。エネルギーを浪費しないように留意しているヒトとより主体的やりたいことにエネルギーを投入します、結局、時間の使い方、時間管理に現れます。時間とは、自分そのものであり、精進そのものです。

真のやすらぎ

本当のやすらぎとは、幻想の幸福を放棄することで得られます。
一般に考えられている「し合わせ」のイメージは、自分の外の世界に依存することですが、思うようにならないので苦痛の原因になります。

思うようにならないことを思うようにしようとしたら犯罪になる場合があり、自他ともに危険なことなのです。典型的な事例がストーカー、ギャンブル、強盗です。

思うようにならないことから逃げたくなって、さらに依存するものを探そうとします。


もはやゾンビです。

内面を整える習慣

進路

みんな知らんふりをしていますが、ヒトは自分の未来を知りすぎるぐらい知っています。自覚があるかないかはともかく、実際には解らないふりをして未来に向かって歩いています。

人生脚本の結末をポジティブな目標にしたヒトは与えられた時間の中で多くのことを実践できます。自分の持ち時間で使うエネルギーを最大化するからです。一方フリを続けているヒトはしなくていいことに時間とエネルギーを使って道草をします。なにもやりたいことに取り組まず自己否定しているうちに人生を終えます。
その理由は人生脚本の整え方の違いです。自分の内面を整えるとは人生脚本の整え方に他ならないのです。

人生脚本のパターン事例

人生脚本のこじれ

ネガティブな人生脚本には、「①目的」があります、ひとりでは達成できないので『カモにされるヒト』と『カモにするヒト(当事者)』がいます。
目的を達成するために『②仕掛け』があります
関係性を深める『③平行的な交流期間』が必要です。関係ができると ④交叉的交流に移ります。『カモにするヒト(当事者)』と『カモにされるヒト』の間に⑤混乱が起こります。

①目的
「不幸な私」の証明

②仕掛け
ぐちをこ ぼす。泌息を伴った
熱心な友人。救済者的な親の心の持ち主。献身的な宗教家。

③平行的な交流
相手が 当人の泣き事を聞き、同情しているあいだ。 相手がしびれをきたしてあり方を指摘したり、具体的な解決を迫るとき

 ④交叉的交流
③平行的な交流期間が過ぎると一転、交叉的交流期間に移ります。

⑤混乱
「ひどいことを言う」「ちっとも分ってくれない」「冷たい仕打ちを受けた」と反論し 、 それまでの救援者が迫害者への変身を迫られる。 孤立化。自己卑下の感情の強化。抑うつ状態(見捨られ憂うつ。治療の中断 。引きこもり。)

⑥目的
自己憐びん、自己嫌悪の感情に浸ることで 、周囲の同情を期待する 。悲しげな態度で苦痛を訴える。

「不幸な私」は、人生脚本を達成するために行われるドラマ的交流の中でも、その取り扱いは難しい部類に入ります。それは、慢性的に悲しい人にとって、その悲哀のラケットが愛情獲得の常套手段であるためです。この種の人との接し方については、慎重さが必要です。 もし、あなたがこのドラマ的交流を演じる癖があり、何とかそれをやめたい、と考えているなら、積極的な自己分析はあまりおすすめできません。

なぜなら、ご自分を見つめると、またまた自己嫌悪の材料を探し出し、みじめな気持に浸ってしまうからです。むしろ、目を外界に向け、不幸を乗り越えた 人びとの体験にできるだけ多く接してゆくことがよいと思います。

「不幸な私」では、幼い日の惨めな私の追体験など当事者が何を求めていたのか結末ではっきりします。

ヴィジュアル的に静けさを取り戻す

般若のゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)

もし時間管理を効果的なものにしたければ、モノの整理整頓に注目しましょう。乱雑に散らかった状態は私たちを無気力にして人生の方程式を狂わせます。モノの優先順位をルールにして整理整頓をしてヴィジュアル的に静けさを取り戻しましょう。

  • 使用頻度の高いモノ
  • 使用待機のモノ
  • 所有しているだけのモノ
  • 廃棄待機のモノ
「モノを捨てる」ことへの抵抗のなかでも多い理由はお金へのこだわりです。
モノを溜めこむ理由は、生活に必要ですが実際は所有することが金持ちのある部類に入ると深層心で感じているからです。捨てる行為は損する気持ちになるからです。いつか貧乏になる。という不安があるなら、品質の良い上質なものを手もとに残しておきましょう。

マインドフルネス

瞑想

人生脚本を知る方法が瞑想です。人生脚本は3歳までに作られますが、根本心として以後も自分を支配します。しかし深層心の奥の奥にあるので、当事者にも解りません。なので瞑想が効果的です。形式は問いません。瞑想の目的は自分になりきることです。
なりきる方法がマインドフルネスです。いま、ここ、この瞬間にしている対象になるのです。食事中なら食事、掃除中なら掃除、瞑想中なら瞑想。対象は常にいましていることだから「自分」は邪魔な存在でしかないのです。つまり自己に執着しないのです。
マインドフルネスの真髄:瞑想は心のトレーニング
先取的な企業がマインドフルネスを採用してから時間が過ぎました。 マインドフルネスにはどんな意味があるのでしょう? 多くのビジネスマンはマインドフルネスを「精神的なもので実利がない」と受け止めているのではないでしょうか? 十分な理解もないまま...

苦を取り除くのが精励

慈悲は精励のネットワーク
人生脚本を見極めるには、自分を俯瞰しないと見えにくいモノです。日々自分に有害なことに気をつけて、少しでも乱れが生じたらリズムを整える睡眠、食事、清掃、瞑想などで整えましょう、

日常とは道具で、それを精進と呼ぶのです。

仏教では、菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)をあわれみ、苦を除き、楽を与えようとする心のことを慈悲といいます。精励することで、この世の苦を取り除かれるのです。つまり「禁欲生活」の対極にあるような精励は苦を取り除く本当の安らぎなのです。

まとめ

私たちは「禁欲生活」を嫌います。日夜、そのように飼育されています。
多くの人々が空虚を埋めるために、飲食にはじまり、より刺激的な消費活動、愛情生活を追い求めます。実際にはそれらが要求を満たすことはありません。むしろより大きな苦しみを獲得することになります。つまりあなたはゾンビになる!
みんな知らんふりをしていますが、ヒトは自分の未来を知りすぎるぐらい知っています。自覚があるかないかはともかく、実際には解らないふりをして未来に向かって歩いています。人生脚本に支配されているからです。人生脚本は、3歳まで完成しますがネガティブなものが多いので、早いうちにポジティブなものに書き直しましょう。

 

ゲンキポリタン大学

ゲンキポリタン大学

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。

「社会人基礎力」(全6回)

GTD®勉強会

コラム 自我と交流分析

関連サイト

ゲンキポリタン大学は(社)いきいきゴエス協会の運営です。

LINEお友だち登録で『1:1トーク』個別無料相談

LINE 友だち追加

▶︎人生100年時代のマインドフルネス実践講座

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました