こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです
ビビディ・バビディ・ブーの呪文を覚えていますか?
魔法使いフェアリーゴッドマザーがシンデレラにかぼちゃの馬車を用意するときに、使った呪文です。境界のことをお話しています。
マインドフルネスに入るための瞑想と同じく集中する役割を果たしたのが、ビビディ・バビディ・ブーなのです。
マインドフルネスになるいちばん簡単は方法が「マインドフルネス瞑想」です。
マインドフルネス瞑想は入り口、目的はフローです。でもマインドフルネスではそのように意識しません。「ただただいまここに身体がある」に気づくこと。IN TO GO
In To Go・・・内にある宇宙へ。
私たちは誰でも、自分の真実の物語を持っています。
なのに世の中に出回っている嘘に満ちた話を熱心に聞き、あやふやな書籍に気をとられて、自分の真実の物語を閉じたままにします。
自分の真実の物語は自分の内に永遠にありますが、境界の外側の物事はどれも一瞬です。
意識の中心を内側に置いて、道理、真理を羅針盤にすれば、歪んだ認知に惑うこともありません。
歪んだ認知の正体は「感情」
認知の歪みには、次のものがあります。
- 全か無か思考(二分法的思考〜all-or-nothing thinking)
- 一般化のしすぎ(overgeneralization)
- 心のフィルター(mental flitar)
- マイナス化思考(プラスの否定〜disqualifying the positive)
- 結論への飛躍(jumping to conclusions)
• 心の読みすぎ
• 先読みの間違い - 拡大解釈(破滅化)と過小評価(magnification and minimization)
- 感情的決め付け(emotional reasoning)
- すべき思考(should statements)
- レッテル貼り(labeling and mislabeling)
- 個人化(責任転嫁〜personalization)
これら認知に歪みは、すべて感情から生まれたものですが、記憶と結びついて潜在意識の底にあります。なので自分がよく考える時間もないまま、自分の考え、気持ちと思い込んで色眼鏡で世の中を見つめてしまいます。
それを自分の意志で選択した自分だと思い込んでいますが、実は、感情の産物、感情そのものでしかないのです。
感情=自分だと思い込んでいませんか?
感情は放置しておけば、流れて消えていくものです。
つまり「認知の歪み」は自分が作り上げたもので実際にはなにもないのですから、気にしなければいいだけのことです。
気にしてしまうのは、自分を忘れて、あるいは自分がここに在ることを知らず、外界ばかりが気になってしまうからです。(ほとんどの人がそうなので無条件で自分も受け入れています)
依然として、自分の真実の物語は閉じたままです。
- 主体的に積極的に生きる=アサーティブと同じ。アサーティブであることで、苦しみには原因があることを知ることができます。
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 状態=観察(内観)し苦しみの原因を取り除けることに気づいて苦痛を取り除けます
境界、外的なものと内的なもの
境界、外的なものと内的なものがあります。
なにかにつけて刺激的にアプローチしてくる外的のものに気をとられ、自分の内側にすでに存在している音楽を聴くことはほとんどありません。
- とってもかわいい素敵な人が隣に立ったときに、音楽が鳴り響いた経験はありませんか。
- 後ろからひとこと、声をかけられたことで一目惚れしてしまったことは、どうですか?
大切なのは、自分の備わっている真の音楽と書物に触れることです。
それにはアサーティブ(主体的)に求めるようにします。
随所に主たれ・・・自分が主人公でなくてなんの人生か。
「自我」に警鐘を鳴らしたブッダは自分が主人公であるために重要なメッセージを遺しています。
自分の人生の主人公であるための「自灯明、法灯明」
「自灯明、法灯明」は、ブッダ(お釈迦様)最後の言葉として有名です。
ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。
ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
まさしくブッダの最後の歌ですね。
このように素敵な歌を私たちもすでに持っていることに「気づく」のがマインドフルネスです。
因果関係をあらゆる角度から観察・分析することで真理(法)が自分の内に育ってきます。
真理が自分に宿ったとき、はじめて主となる自分があるようになります。
100年生きてもないものにはなく、10年生きてあるものにはあり、涅槃静寂は自らが引き寄せるものです。マインドフルネスな人とは、そんな人ではないでしょうか。
つながらない権利
自分と境界の外にいる人(=配偶者、身内、親戚を含む 他者)は、別の「人格」です。
最近は、この境界が乱れています。
自分の思い通りにならないと、力で思い通りにしようとして、それが叶わないとなると簡単に殺してしまう、交際相手を安直に殺害するのは特徴的な事件です。
「君が好きだよ」「私も」と言い合った時期があっても、死ぬまでお互いに境界線の外です。
決して自分になったものではないので、心変わりのみならず「諸行無常」すべてのことは移り変わるのが常です。
誰より自分も刻一刻、変化しています。
うまくいかない時には、その後に、物事がうまくいく時がやってくるものです。
不断の努力(=努力を意識しないで)を続けて、時を待つゆとりで、待つようにしたいものです。
境界・テリトリー
自分と他者の境界が意識されていないのは、余りにもひどい話です。
青信号で横断歩道を歩いていて、車が突っ込んできたら事故になります。
昔から「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように、境界は親子にも、夫婦にも、恋人にもあります。ところが境界のないことが親密さの証しのように思い込んでいる人もいます。
このあたりは大変微妙です。
たとえば恋愛や結婚のメリット、ワクワクには、依存できる安心(不安からの解放)があります。
この安心にケチをつける気はありませんが、「諸行無常」を忘れると後悔になります。
人生はローラーコスター
諸行無常。人生はローラーコスター。
安らぎが反転して重荷になることもあります。
依存は、やがては関係をダメにしてしまう危険を孕んでいるのも事実です。
たまに依存できる、愚痴を聞いてくれることもある程度にしておくのが長持ちの秘訣です。
よろこびに満ちても気を抜かない。
よろこびは自分が描いた絵のような風景なので、
逆も真なりで、
悲しみに満ちても気を落とさない。それも自分が描いた一枚の絵にした風景。
ローラーコースターが下降して底まで行ったら、次に急上昇します。
境界を守ることは、他人行儀なことと思われるかも知れませんが、そんなことはありません。
境界は固定した壁ではありません。境界は自主的に緩めたり、締めたりできる柔軟なものです。
そこで境界がないくらい親しいというように錯覚することもあります。
しかし「対等」であることを抜きにして親密さを語ると危険です。
境界をしっかり守る4つの柱
境界を尊重するには、自分にも相手にも
- 率直であること
- 誠実であること
- 対等であること
- 責任をとること
つまり「アサーティブ(アサーション)」であることです。もし、これら4つの要素のどれかひとつでも欠けると、無断で越境してしまう可能性が高くなり、どちらかが我慢するということが生じてきます。やがて関係は長続きしなくなり破綻します。
アサーティブ(=率直、誠実、対等、自己責任)でないからです。
まとめ
私とあの人は別人である。
境界を知ることは人生を劇的に変える可能性に満ちています。
境界の外側に意識を集中せずに、内側に集中する。
そこには大切な自分の人生の主人公がいて、真実の物語の本があります。
たった一冊の本を開いて、一日の質に影響を与えること。
それは最高の技術、マインドフルネスな一日の秘訣です。
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