こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日日本代表ゲンキポリタンあなたの願いを実らせるNaoman-Minoruです。
前回、「マインドフルネス思考法①気づき」では次のようのご説明しました。
「そこにただ心を休ませることができる」とは、どういうことでしょうか?
わかったようで実はわかりにくい、ただ心を休ませる方法。
「そこにただ心を休ませることができる」とは、どういうことか。
その基礎編を具体的に説明します。
ただ心を休ませるために
思考、感情、感覚が、心の中を通過します。
これは気づくことができます。
なぜなら心を休ませる訓練をしていないからです。
瞑想に入ると、すぐに滝にように思考、感情、感覚が流れ落ちてきます。
あるいは川を行く水のように流れていきます。
どのような思考、感情、感覚が起こっても反応しなければ、意識の中を通り過ぎていきます。
捉えることも、抑えることもせずに、ただ放置しておけば、流れる水と同じように流れていきます。
追ってはいけません。
追うと、さまざなな幻想、記憶、物語の中をさまよい始めることになるからです。
それらは、どれも、いまこここの瞬間を関係のないことです。
飲み込まれてしまうのは簡単です。飲む込まれないように無視してください。
もし、思考、感情、感覚を追いかけてしまっても、批判したり。駄目出ししないでください。
評価してはいけません。評価しないでいたら、いまの瞬間に、すぐに戻ることが可能です。
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瞑想をうまくやるコツ
瞑想をはじめようとするとき、いきなり10分、20分と座ろうとしないことです。
30秒、1分ぐらいにして、自分を解放し、ただ自分の心を観察するようにします。
流れ落ちる滝や川の流れを期待するのではなく、「一滴」に集中してみるのです。
疲労や怒り、失望などの源泉である思考、感情、感覚から自由になると、代わりにあなたのなかに「智慧」「慈悲」「やすらぎ」などの源泉を見つけるでしょう。
こうして短時間からはじめて、急がずゆっくりと本格的にマインドフルネス瞑想ができるように進んでいくようにします。
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心を休ませるか、呑み込まれてしまうかの分岐点
先に言ったように、瞑想をはじめると、滝にように思考、感情、感覚が流れ落ちていく
あるいは川を行く水のように流れていく体験をするようになります。
あまりにも簡単に体験できるので、簡単に思考、感情、感覚に呑み込まれてしまう危険があるので注意してください。つまり心を休ませるか、呑み込まれてしまうかの分岐点なのです。
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六識の扉を開く
六識とは、視覚(眼識)、聴覚(耳識)、嗅覚(鼻識)、味覚(舌識)、触覚(身識)と思考(意識)です。前の5つ、つまり五感は単に感覚でしかないので、知る心として6番目の意識を付け加えます。
有名な喩えをお話しします。
6番目の「意識」は「家」に喩えられます。残りの5つは窓や扉に喩えられます。
この家にサルを一匹、放したとします。サルは驚いて5つの窓や扉を飛び移ります。
サルは落ち着くことができないままに、5つの窓や扉に、それぞれ評価を下していきます。
この家の前を歩く人には、サルが5匹いるように見えるかもしれませんが、安心と安全を求める一匹のサルしかいません。
従って一つの窓(感覚)に集中させることで、サルを落ち着かせることは可能なのです。
つまり、私たちが五感を通じて受けとる情報は、このサルと同じように注意が散漫な状態にあります。心は感覚からの情報を切り離せないのです。
身体がそのようにシステム化されてしまっているのです。
ですから遮断しようとせずに親しくすることです。感覚からの情報を心が落ち着くように使います。
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感覚の散漫には感覚で断ち切る
瞑想は感覚からの情報を遮断するものだと思い込んでいる方が少なくありません。
しかしマインドフルネス瞑想では、注意が散漫になる原因を使って、散漫から自由になります。
逆の発想ですね。これを「解毒」といいます。
鉄を切るには鍛えた鉄を使います。ガラスを切るにはより強いガラスを使います。
同じく感覚の散漫には感覚で断ち切るのです。
形や色の瞑想には視覚を使い、音の瞑想には聴覚を使います。
気を散らせる代わりに、感覚からの情報を大切な道具として使うのです。
つまり感情的に巻き込まれないことが簡単になります。
事実のみを受けとって、それ以上は捨ててしまうのです。
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心を休ませるマインドフルネス瞑想
目の前に赤や黄色を使ったポスターがある(ここで止めると感覚からの情報に呑み込まれることはありません)▶︎形や色の瞑想には視覚を使った事例
大きな音がなっている▶︎音の瞑想には聴覚を使った事例
このように自分の注意を単純な身体感覚にそっと置くだけです。
ただ背筋を伸ばしリラックスします。そのままで、しばらくの間、心を休ませます。
次に額に注意を向けます。
なにかザワザワしたものを感じるかも知れません。何を感じても、そのままにして、1分、2分程度、そのままに留まって下さい。
静かに注意をその感覚に置いています。
次に注意を向けるのをやめ、心をあるがままに休めます。
もし、目を閉じていたなら、目を開けます。
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まとめ
自分の身体の特定の部位に注意を向けることに慣れたら、今度はそのやり方を拡大して、身体全体に注意を向けます。静かに静かに。。。明晰さが自分の中に広がる体験ができるはずです。
「そこにただ心を休ませることができる」とは、どういうことか。基礎編についてご説明しました。
基礎と限定しているのは、実際の生活ではいろんなシチュエーションがあるからです。
▶︎実際の生活でのシチュエーションは人生100年時代のマインドフルネス無礼講実践講座
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