この言葉は、臨済宗の祖である臨済義玄(りんざいぎげん)禅師の言葉を集めた書物『臨済録』にあります。
ブッダの「自灯明、法灯明」に通じる言葉です。
随処主となれば立処皆真なり
随処主となれば立処皆真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)
随処主となれば
随処主となれば立処皆真なりの前半部分随処主となれば、随処主となればの意味について説明します。
主・・・・とは、主人公、リーダーという意味ではありません。
自分の主人公という意味です。
随処主となれば・・・・とは、いつ、どんな場合も、なにごとにも、自分が自分の思考、感情、感覚に使われず、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するなら・・・・という意味です。
立処皆真なり
随処主となれば立処皆真なりの後半部分、立処皆真なり(りっしょみなしんなり)・・・・とは、
いつ、どこでも、真実であり、自在の働きが出来る。という意味です。
随処主となれば立処皆真なり
もう一度、全体をまとめます。
いつ、どんな場合も、なにごとにも、自分が自分の思考、感情、感覚に使われず、自分が思考、感情、感覚を使いこなし、主体的、積極的に行動するなら、いつ、どこでも、真実であり、自在の働きが出来る。・・・・という意味になります。
システム思考
システム思考は、本質がなにかを見極めて、目先の一時的な状態の変化ではなく、永続的あるいは長期的に続く性向の変化をもたらす本質的でシンプルなアプローチです。
複雑な状況や環境で、さまざまな因=縁=果のつながり、連鎖、相互作用を理解、見極めます。その上で、変化を生み出すのがなにかを見極め、性向に本質の変化を創り出すアプローチです。
「随処主となれば立処皆真なり」はシステム思考の基本となる性向です。
関連用語
まとめ
自分が自分の思考、感情、感覚に使われず、自分が思考、感情、感覚を支配し、使いこなし、主体的、積極的に行動する・・・・一時的な主人公ではなく、永続的な主人公になる。
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