直指人心見性成仏(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)発音しにくい言葉ですが、禅の有名なことばです。
直指人心と見性成仏は、それぞれ独立して使われる機会の多い言葉です。
「直指人心、見性成仏(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)」とまとめた方が理解しやすいです。
私たちは想いを言葉や文字に置き換えますが、実際の心は、その枠を超えたものです。
本来の自分を言葉、文字に閉じ込めて暮らしています。
十牛図9枚目の絵「返本還源(へんぽんげんげん)」には言葉、文字に自分を閉じ込めた世界から開放した状態が描かれています。ここでは直指人心見性成仏(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)という言葉の意味を通して人生に宝物に気づいていただきたいと思います。
直指人心(じきしにんしん)
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
仏陀になること、つまり悟った人になることです。
悟ったという意味は、気づき(知って解って)悟る(実践する)、つまり実践することです。
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)とは、ただ見たり考えたりして、解った気になるのではなく、そのものになりきって実践することです。
たとえば花になりきる、学びになりきる、相手になりきるまで身を投じる=そのためには自分が白紙でないとないので「無我」が必然になります。
直指人心見性成仏(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)
具体的にイメージするなら無色透明、景色を映して神通川を流れる一滴の水です。
ところが言葉、文字で暮らしているので、本来の自分を言葉、文字に閉じ込めた状態にあります。
言葉の壁を超えるために「なりきる」
私はあなたが「好き」と言葉に置き換えようとしますが、その好きは、他の誰かと同じ「好き」でしょうか?違うはずです。
二人の関係にある「好き」は、あなたと他の人との関係にある「好き」とも違います。
真実。あなたがこの状態を認識していていて、もし、あなたがあるがままの気持ちを伝えたいと思ったなら、あなたは伝えられないはずです。
この状態を「言葉を失う」ともいいますが、失うのではなく「言葉が見当たらない」のが正しくて、伝える方法は行動しかないのではないでしょうか?
以心伝心と言う言葉があります。直指人心見性成仏から遠のいた暮らしをしていると、以心伝心も、形骸化していないでしょうか?少なくと言葉を食い荒らさないように「直指人心見性成仏」を深く刻んで暮らす習慣を大切にしたいものです。
直指人心見性成仏を唱える習慣
しかし無色透明な一滴はいつも同じです。泥水にまじって泥の色になっても、変わりません。
これがもともとのいのちです。もともとのいのちにはなりきって生きる力があります。
まとめ
自分は気づくのに長い時間を使い果たしてしまいました。
システム思考を動かしているのも、自己マスタリー・・。自己マスタリーの源流を遡ればひとりのあり方が源泉なのです。源泉から湧き出る一滴の水が海に流れ込みシステム思考を働かせて持続可能な世界を実現します。
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