ダメな自分に気づきたい欲求
なにをしても長続きしない。
挫折してしまう人は、うまくいかないことで願望を実現しています。
つまり挫折するためになにかを始めているのです。
だから目標達成です。
ダメな自分に気づきたいのが目的になっています。
だから自分を変えるためになにかをするのなら
本当はなにをしたくて始めるのか、
自分とよく向き合って「本当」に気づけるといいですね。
いくら向き合ってはじめても、
「やっぱりダメね」と思うかも知れません。
多分思うでしょう。
でも繰り返していると、ターニングポイントにめぐり合います。
思い込みを捨てたい時がきます。
「どうせうまくいかない」が「きっとうまくいく」に気づく時です。
失敗の王様
子どもはみんな無邪気な失敗の王様だった
もともと子どもは頑張りたい、成長したいと思うものです。
幼児を見てると明らかです。
ところが幼児は失敗が宿命づけられています。
失敗から学ぶようにできています。
ひっくり返り頭を打ち、びっくりして泣く。
親が心配して、怪我しないように余計なものを取り除き、家財を少なくして、コルクマットを敷く。
スクスク育って走り回ることを祈って河原で焼肉を食べさせる
どれほど心配しても、子どもは無頓着。
親子とは疲弊しながらも親しみのある愛情とスキンシップで包み包まれて
ライフスキルを育み、やがては親を振り返り心密かに感謝する関係です。
随所に主なれ
にもかかわらず、自信のない養育者は
自分より劣る存在に優越感を感じます。
叱る、たしなめる、バカにします。
子どもはストレスの発散場所にされます。
自信のある親がとる態度、言動と真逆です。
夫婦関係がよくない場合、子どもはさらにダメだしされます。
子どもは大人が出すゴミを一手に引き受けて
自分には能力がないと思い込みます。
鎖をつけられて歩くような状態がずっと続きます。
ここまでは自分ひとりの問題ですが
他者と絡むと複雑になります。
相手を傷つける、あるいはさらに傷つけられます。
苦しみが増しますが、鈍くなり、同時に自分にも鈍くなります。
そのまま沈んでいくか、アホらしいと思うかは
本人次第ですが、ターニングポイントのチャンスは必ずあります。
真摯に苦しんできた人はチャンスをつかみます。
苦しんでいるのは、克服したい意欲があるからです。
起業した人は、そのすべてを自分の責任で履行します。
ひとり飛び込んだ世界は、確かなスキルと精神力がないと続きません。しかも一過性のことではなく永続的です。
しかし考えてみてください。
うまくいかないと嘆いている人たちと
「どうしたらうまく行くか」ばかり考えている人。
当然、起業した人は後者でないと立ち行かなくなります。
自灯明、法灯明
ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。
ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
因果関係をあらゆる角度から観察・分析することで真理(法)が自分の内に育ってきます。
真理が自分に宿ったとき、はじめて主となる自分があるようになります。
100年生きてもないものにはなく、10年生きてあるものにはあり。涅槃静寂は自らが引き寄せるものです。マインドフルネスな人とは、そんな人ではないでしょうか。
マインドフルネスな人の5つのシステム思考
マインドフルネスな人の基本思考には次の5つがあります。
1. 真の原因は自分自身にある(自己依存)
2. 自分の可能性を最大限に発揮する(自己管理)
3. 他人に期待せずに自分自身に期待する(自己責任)
4. 本物をめざしてとことんやる(自己評価)
5. 他人を信頼して支援する(他者支援)
どれをとっても、うまくいかないと嘆いている人たちとは真逆の思考パターンです。
つまり大半の人と違う深く生きたい、マインドフルネスな人の考えです。
ここでいう「マインドフルネスな人」とは、人がやらない努力を厭わず平然とやってのける人。
実はもうアカン、もう無理やと思っていても、嘆きを一切外には出さず
ひたすらティッピングポイントを目指してコツコツ努力する人です。
その行動を支えるのが「マインドフルネスな人の5つの基本思考」です。
マインドフルネスは仏教からきているので、葬式仏教のイメージが強い日本では、ちょっと変わった人のように誤解されがち。それに「宗教」の印象が拍車をかけます。
でも、そうではありません。
随所に主なれの主と無我の我
この5つの素晴らしきマインドフルネス特有の基本思考に支えられた結果、自分をあるいは会社を『1分で語れる優れた違い』を持ちます。
よく仏教では「無我」といいますが、これも随分誤解されています。
「随所に主なれ」と言う言葉は、「自分が主人公でなくてなんの人生か」と教えています。
「我」と「自分」は違うんですよね。
「我」は煩悩に囚われた自分。つまり抜け殻です。
しかし「主」である自分は「主体性」を持った自分、「主体性」を持った自分。
「自分のことを3分で語ってください」と注文を出されたときに、
「1分で十分です」と、1分で語り、1分後に聞いていた人が、興味を持つような人になる。
これこそがゴミを抱えて鎖につながれて、
やがてゴミを捨て、鎖をひきちぎって、立ち上がった痛快な人です。
かっては、なにをしても長続きしない。
挫折してしまう人のターニングポイントからの逆襲です。
「ひとり会社」は宝島。そこでライフスキルを発揮して力の限りに奮闘するマインドフルネスな自分がいる。
うまくいかないと嘆いている面白みのない人たちと
「どうしたらうまく行くか」に没頭(フロー)して「一切皆苦」「諸行無常」を楽しむ痛快でマインドフルネスな人。
どっちが楽しいか。選択は自分に委ねられています。
古い上着よ、さようなら。
まとめ
人生の楽しみはマインドフルネスにあります。注意深く没頭(フロー)している状態は、人生が自分そのものの状態。「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」・・・真理と自分が一緒になった状態こそ、時は止まり、苦もなく、すべてに繋がった涅槃静寂の大宇宙で「無我」の状態です。
コメント