マインドフルネスにご興味がありますか?
興味のある方とお話していると、「あるがままの自分」「感情的にならない自分」などをイメージされている方が多いですよね。
「感情的にならない自分」はわかりやすいですね。
感情をコントロールできる人ってかっこいいですよね。
「あるがままの自分」というのは、言葉では結構使われますが、少し難解ですね。
その裏には、日常的に自己表現を抑えている人が多いのかも知れません。
マンドフルネストと「あるがまま」の関係についてご紹介します。
マインドフルネス5つのメリット
マインドフルネスによって得るメリットは本質的なものです。
実践することで得るメリットは100年時代の無形資産(活力資産・生産性資産・変身資産・パートナー資産(=人脈資産))と金融資産を育む力を得ることです。
これらはマインドフルネスで得るメリットの一部です。
比較で感じるメリットではなく、本質的なものだからです。
すなわち絶対的な信頼に裏付けされた自信から身につくものです。
客観的に自分を観察する習慣
川辺でただただ水の流れをみていると、魚が泳いでいたり、泡やなにかが流れて行きます。
川=心 流れているもの=思考や感情 と位置づけできます。
では、川が心なら、川や木を眺めているのは、なんでしょう。
たとえばこの画像の全体を見ているのは誰でしょう?(ドローンになったつもりで見てください)
Go into「もともとのいのち」
夢を見ていると、自分はいま夢を見ていると気づく時があります。
まさにその瞬間と同じです。
多くの人は忙しく動き、話し、食べているので、気づくことがなく、川の泡で暮らしています。隣の人も同じなので気づかなくても平気です。
俯瞰しているのは「ほんらいの私(いのち)」です。
俯瞰しているのは「ほんらいの私(いのち)」に寄り添うのがマインドフルネス
ほんらいの私(いのち)
「ほんらいの私」とは「私」を越えない限り、感じることもできません。
「私」を越えた「私」というのはありえない存在です。
どこまでいっても私を超えることはできないからです。
つまり「私」はないことになります。
私でないなにかが私を見ています。もちろん他者が見ることは不可能です。
それが「ほんらいのいのち」です。
生きるとは「ほんらいのじぶん」に寄り添って極める
自分を極めるとは、「ほんらいのいのち」に寄り添うことです。
「ほんらいのいのち」とは、いのちの源泉です。
生命力が湧き出る源泉です。
仏教でいう「空(くう)」であり、「一人一宇宙」なのです。
地球と宇宙は違いますよね。
宇宙からみれば地球は川のような存在でしかありません。
人は宇宙の外に出ることはできません。
いのちの源泉に寄り添うマインドフルネス
空(くう)がいのちの源泉であり、この画像全体を絶え間なく生み続けています。
日常、私たちはただ川を見てるだけですが、川を含む光景全体を生み出しています。
重要なことは・・・すべては川の源泉である空が生み出したものなので、可能性は無限だということです。
マインドフルネスとは、「ほんらいのいのち」に気づき、主体的・積極的に輝かせることです。
マインドフルネス瞑想で「ほんらいのいのち」を体験する
マインドフルネス瞑想では、「空」を観察します。
体験することと知識で理解するのは全然違うことです。
特に思考で説明できない「空」のような具体的に説明できないことは体験で知るしかないのです。
宇宙をイメージすることはできますが、言葉で説明できないのではないでしょうか?
でも地球は説明可能できますよね。もし宇宙へ行けばどうでしょう?
言葉で説明できなくても体験談として、少なくとももっとリアルに理解できます。
マインドフルネス瞑想で、「あるがままの私(=ほんらいのいのち)」を体験するのも、これと同じなのです。
ほんらいのいのち
「ほんらいのいのち」とは、本性、本質という表現もできます。
ほんらいのいのちは、川を流れていく泡ごときで変えることはできません。
思考や感情を変えたぐらいでは影響できないのです。
少なくとも河川工事が必要ではないかと思うのです。
しかし河川工事をするには、川のあるがままを観察する必要があります。
客観的に見るには、一歩、二歩、下がらないと「あるがままの川(=こころ)」を掌握できません。
マインドフルネス瞑想は、一歩、二歩、下がって、「こころ(=あるがままの川)」の動きを観察します。
マインドフルネス瞑想で、よく誤解されのは、思考や感情を止めるものではなく、思考や感情が流れる川の流れも止めるものではありません。
あるがままにしておくと、やがて落ち着いてきて、広い空間(=空の入り口)が開きます。
そこに「ほんらいのいのち(本質)」が潜んでいて可能性を発見して、主体的・積極的にあるがままに、注意深く行動することができます。
マインドフルネス
- 主体的に積極的になりきる=アサーティブと同じ。アサーティブであることで、苦しみには原因があることを知ることができます。
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 状態=観察(内観)し、苦しみの原因を取り除けることに気づいて苦痛を取り除けます。
まとめ
マインドフルネスは思考や感情を止めるものではなく、思考や感情が流れる川の流れも止めるものではありません。
あるがままにしておくと、やがて落ち着いてきて、広い空間(=空の入り口)が開きます。
そこに「ほんらいのいのち(本質)」が潜んでいて可能性を発見して、主体的・積極的にあるがままに、注意深く行動することができるようになります。
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