こんにちは、人生100年時代の「マインドフルネス実践講座」のコーチ、ゲンキポリタンです
モチベーションとやる気。
混同して使っている人がいますが、この二つの言葉のは明らかに違うものです。
成果を出したいとき、求める結果を出したいとき、
「やる気」「モチベーション」が頭に浮かびませんか?
これらの言葉には「感情」がべったり貼り付いていて、マインドフルネスとは良い関係ではないのです。
ところが、成果を出したいとき、求める結果を出したいとき、効果的なのはマインドフルネスの方なのです。
ビビディ・バビディ・ブーの呪文を覚えていますか?
魔法使いフェアリーゴッドマザーがシンデレラにかぼちゃの馬車を用意するときに、使った呪文です。マインドフルネスに入るための瞑想と同じく集中する役割を果たしたのが、ビビディ・バビディ・ブーなのです。
マインドフルネスとモチベーションとやる気の関係についてお話します。
ビビディ・バビディ・ブー🎵
動機づけとやる気
モチベーション(motivation)とは、「動機づけ」のことです。
事件が起こったとき、「動機はなにか」ということが問題になります。
事件を起こした理由・・・理由が動機です、
「動機づけ」とは「理由づけ」と言い換えることができます。
やる気になる理由をつけてあげたら、やる気が出るというわけです。
なのでやる気とモチベーションが混同されてしまうようです。
順序で説明すると、モチベーションが先にあり、やる気が後からついてくるイメージです。
やる気は「気」というように、気分=感情の左右されます。
一方、動機(=モチベーション)は論理的なものと言えます。
2つのモチベーション
動機づけした後、やる気になるので感情的なものに変わりますが、どんな動機があるのか、モチベーション(motivation)は次の二つに分類されます。
外発的モチベーション
外発的モチベーションは報酬によって発生したり、他者からの評価などが要因になります。
いずれの場合も、自分の外側にあるものによって生み出されます。
内発的モチベーション
「自分はこうなりたい!」という欲求や目標、「これは面白そう!」といった好奇心などの、自分の内面から生まれるモチベーションを内発的モチベーションといいます。
モチベーション(動機づけ)が働いていると、感情(やる気)が動いて行動につながります。
感情は刻々と変わる、モチベーションも上がったり下がったり。
ただ、感情はそのときの気分なので、午前中はやる気があったけれど、午後になってやる気がなくなったというようなことが頻繁に起こります。
モチベーションを維持するやる気につられてモチベーションの安定も難しくなります。
なので、やる気があって出社しているのかと聞かれたら返事に困りますが、返事に困るのは若手社員のみならず、オーナー社長だって同じなのです。
なので「業績が悪いのはやる気がないからだ」などと戯言を言わないのが賢明なのです。
やる気がないからだと思っても言わぬが花で「科学的なアプローチ」に終始徹底する方が理にかなっているのです。
科学的アプローチの落とし穴
安易な正解も禁物、ただデータを広げて並べて、現実に答えを当てはめるのは、ドクターがよく使う手段です。
病名があって患者の症状を選択するのは、科学的でもなんでもなく、人の話を聞かない傲慢でしかないのです。
テレビ番組「深夜食堂」のおやじは、できるものならなんでも作るが、このようなドクターの場合はその逆で、あらかじめ用意したレシピにメニュー名を変えて出すようなものであって科学からは縁遠いのです。
科学的なアプローチとは、科学と科学的でないものに分けたりせずに、どんなこともありえると気楽に構えて、傲慢にならない手法のひとつと考えて、あるがままを受け入れるようにします。
感情は感情。行動は行動。
気持ちは気持ち。行動は行動。と分けるのがシンプルで分かりやすい。
事実、やる気がなくても、行動が正しいと成果は上がります。
しかも科学的なアプローチをされるより、「業績が悪いのは自分のせいです」と謝ってしまう方が短時間ですみます。軽薄な上司はこの手に乗ってしまい、部下と共倒れします。
切れ者上司は「ああ、いつものように謝ってるだけか」と聞き流し、真犯人探しを心得として、自然なやる気の育成、モチベーションの発展を見失うことを避けます。
結果には必ず原因があり、原因を正さず謝罪したところで人間関係はロクでもない方向にしか向かないのです。
自己否定感の裏には特別感が貼り付いている
自己否定いっぱいの自分のようであっても、自分は特別な人間だと思っているので、甘えが自己否定感に裏返ったものにすぎないのです。
もし本当に自己否定感に苛まれているのなら、「これではいかん」と心底から思って、つまり深層心の底の底から、ことにあたってフローな状態になるものです。
マインドフルネスでは、感情に流されることを嫌い、「ダメなのは他人、世の中がおかしい」と批判しないのです。批判の裏には「自分は素晴らしい」という勝手な思い込みがあるからです。
諸法無我
4つの真理がそれを物語っています。
真理とは「本当のこと」という意味です。
- 「一切皆苦」・・・・人生は思い通りにならない
- 「諸行無常」・・・・すべてはうつり変わるもの
- 「諸法無我」・・・・すべては繋がりの中で変化している
- 「涅槃寂静」・・・・真理を見ることができる境地”さとり”
つながりの中で変化するのですから、停滞することなく変わり続けています。
人は誰しも自分の正しさを伝えたいと思いますが、相手や状況で正しさは違うということになります。だから正しいことはなにもないということではなく、決めつけはどうかということなのです。
シンデレラの靴
シンデレラが落とした靴を持って、王子はシンデレラを探しましたが見つけられません。
シンデレラが履いていたガラスの靴はシンデレラの足に合わせて”魔法使いのフェアリーゴッドマザー”が作ったものでした。
足に靴を合わせたもので、靴に足を合わせてはいたものではなかったのです。
ビビディ・バビディ・ブーの呪文はフェアリーゴッドマザーがマインドフルネスに入るための瞑想と同じ役割でした。
科学的なアプローチとは、科学と科学的でないものに分けたりせずに、どんなこともありえると気楽に構えて受け入れることです。
傲慢にならない手法のひとつと考えて、あるがままを受け入れるようにするとは、こういうことなのです。
同じ言葉でも意味が違うのはナゼ
自分の欲のために主張した正しさと、相手のために主張した正しさは、同じ言葉であっても意味が違ってしまうのです。
モチベーションもやる気も自由を高めることになるし、意欲を減退させる要因になる場合もあります。科学的なアプローチが傲慢になる場合もあります。
どんな場合も、決めつけず、思い込まず、ひとつ、ひとつ注意深く主体的に丁寧にこなしていくマインドフルネスなあり方が一瞬、一瞬(=フロー体験)に対して答えを出してくれます。
まとめ
成果を出したいとき「やる気」「モチベーション」が頭に浮かびませんか?
しかし「やる気」「モチベーション」も裏には「感情」が貼り付いています。
マインドフルネスが嫌う「執着」が隠れています。
感情は感情。行動は行動。行動に徹するとは、決めつけず、思い込まず、ひとつ、ひとつ注意深く主体的に丁寧に実践するマインドフルネスの意味。
モチベーションもやる気もつながりで変わります。
ライフプラン、ファイナンシャルプランニングもその特長的な一例。
ビビディ・バビディ・ブー!
科学と科学的でないものも区別せずに、考えすぎないようにして、注意深く行動に徹していくようにしたいものです。
人生100年時代のマインドフルネスにできることリストです。
- マインドフルネスはトラウマ配線をつなぎ直します。
- マインドフルネスは極めて有効な「ストレス低減法」です。
- マインドフルネスは一切の評価をしません。
- マインドフルネスは「ありのまま」を受け入れます。
- マインドフルネスは「いまここ」に集中します。
- マインドフルネスは「つながり」を注意深く実践します。
- マインドフルネスは「一切皆苦」という真理を原点にしています。
- マインドフルネス瞑想はマインドフルネスの一部です。
- マインドフルネスは「二分化的思考」をしません。
- マインドフルネスは医学、心理学、心理療法にも活用されています。
- マインドフルネスでは「失敗=悪いこと」ではありません。
- マインドフルネスは人を生きやすくし、「し合わせ」につなぎます。
マインドフルネスで私の人生、こんなに生きやすくなり、「し合わせ」につながりました!
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