世界中を不安に陥れた新型ウイルス騒動。ブッダの真理「因果応報」に従えば謎の解き方も見えてきそう。こんなときにはシステム思考。医療現場の崩壊によって治療ができなくなる不安が恐怖を一層強化しています。
「随所主たれば」を忘れてウイルスに従属的にならないために、自らが主となって合理的に整理するのが解決の糸口。
患者、患者に近い人の立場のメンタルモデルから真理に触れたいと思います。
すべてのものは続かない
「諸行無常」で思い出すのが、平家物語の冒頭に出てくる「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」が、有名ですよね。
意味は、インド地方の鐘の音がすべては移り変わると伝えている。ツバキの花が語るように、栄華も続かない。栄えていても枯れていく。
諸行とは、すべてのものごと。
無常とは、常が無いということで、続かない、変わらないものはないということです。
つまり、諸行無常とは、すべてのものは続かないという意味です。
執着を捨てれば可能性は広がる
ブッダ(お釈迦様)は、「諸行無常」の裏に、人々が執着するあまり、「いつまでも変わらない」ことにこだわりすぎることが「苦しみ」を生む原因がある、と説いています。
大切にしていた物が壊れた時や親しい人と別れる時など、悲しくなりします。
そんな時に執着を断ち切るために、「諸行無常だ」と思えたらずいぶん楽になれます。
大好きな人と別れるとき、心は悲しみにフォーカスしてしまいます。
そんな場合、どんどん執着心が強くなり苦しくなります。
実はポジティブな「諸行無常」
しかし、その悲しみとは自分のなかにある執着を映し出しているだけで、実体ではありません。
つまり「諸行無常」とは、一見ネガティブに聞こえますが、実はポジティブであるための発想だとわかります。
私たちは結果にこだわりますが、平家物語の冒頭の「・・・・沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」の顕著な事例は自分自身です。
生老病死の変遷を誰も避けることはできません。
しかし、いま、ここ、この瞬間を精一杯生きたなら、執着など持つ必要がなくなります。生老病死のどのプロセスも受容することができるようになります。
システム思考に繋がっているブッダの言葉
ブッダの教えはシステム思考に深く繋がっています。(システム思考はブッダの教えに深く繋がっているというのが正解でしょう)。
私たちの考えている「世の中」は、必ずしも真実の「世の中」ではありません。
人には認知の歪みがあり、思い込みや決めつけなどで、実体を認識するのが不得手です。自分自身のメンタルモデルで解釈したものを世の中と思い込んでいるにすぎません。
COVID コビット-19(新型コロナウイルス感染症)に学ぶ
新型ウイルスに対するふるまいにも同じことが言えます。
検査数が少ないので、必然で致死率は高くなり、検査数を増やせば致死率は低くなります。その一方で医療現場の崩壊が致死率を押し上げますが、これは検査数とは無関係です。「検査数=致死」は因果関係にありません。
であるけれど、「検査数(調査)=致死率(安心の度合い)」です。
では致死(結果)に至る原因はなんでしょう?
ひとつは医療崩壊です。直接の原因が不明なので不安の原因になっていますが、致死率が低いと不安感は低下します。アメリカやイタリアでは医療崩壊による死が問題になりました。日本で死者数が少ないのは医療崩壊を起こしていないからです。この一連のシステムを整理できると安心感が高くなります。
検査数を増やせば予防できるわけではありませんが、実体が把握できるので落ち着いて対処できるようになります。これに成功したのが台湾・韓国ですね。
この整理ができていないと混乱が生じます。人は必ず死にます。
飛行機事故、交通事故があるから乗らないメンタルモデルが少ないのは致死率が低いからです。メンタルモデルが世界共通で出来上がっているのは、統計を信じているからです。
世界は先に進むしかないのですから、敗戦によって作られたメンタルモデルからいい加減、解放してほしいものです。
データで状態を把握して、合理的でない囚われから、自分を解放したとしたら、可能性は大きく広がります。
システム思考は、ブッダのように、「随所主たれば」を実践、自分を主体的、積極的にすることで、問題の従属的な位置に立たせません。
主体性は複雑なシステムを大局的に把握して、全体像に対してもっとも効果的な打ち手を提示します。
関連用語
まとめ
日本の仏教は葬式仏教なので、どうしても陰りがあります。なので「諸行無常」も
ネガティブな印象が強くなりがちです。「諸行無常」は事実なので、自分自身の理解で様変わりする性質のもです。いままで及第点が取れなかった。でも再度挑戦すれば今度はやれると挑戦する根拠を「諸行無常」に求めるのも真理なのです。
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