「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」・・・4つの真理についてお話をしています。
たとえば愛する人と結ばれた。幸福の絶頂から苦しみに反転してしまうのはなぜ。
時の流れに逆らいいつまでも、この幸福を手放したくないと執着してしまうからです。
すべては一切皆苦からはじまる
ブッダの出発点は、「一切皆苦」と知ることから始まるといいます。
「一切皆苦」とは、人生は思い通りにならないこと。
仏教ではこの世の中は一切皆苦(すべてのものは苦しみである)といいます。
仏教でいう「苦」とは、「自分の思い通りにならない」ということを意味しています。
ここにブッダのエッセンスが凝縮されています。
思い通りにならないので、苦しみが生まれます。
システム思考とはなに?
問題が起これば解決する。しかし能あるマネジャーなら、これを良しとはしないでしょう。問題が起こる前に解決しておく、つまり問題を未然に防ぐのが最善(システム思考)だからです。
問題が起こる仕組みが働いているので「一切皆苦」は避けられないのです。
ブッダは決して答えを出していません。
だからどうする?と問いかけています。答えを出すのは私たちなのです。
問題解決の方法を提示しているのではなく、「だからどうする?」と問題提起をしています。問題が提起されることは、解決の糸口が示されたのと同じです。
そのガイドラインを「自灯明・法灯明」で示され、三十七菩堤分法で、具体的なマスター方法を示されています。
システム思考は先を読んで、いまここにないビジョンを創り出すスキルです。
頑張れば頑張るほど苦しくなる
苦しみが生まれる原因を、
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」・・・・すべてはうつり変わるもの
「諸法無我(しょほうむが)」・・・・すべては繋がりの中で変化している
という真理にあると考えます。
「一切皆苦」も「諸行無常」も「諸法無我」も、どの苦も自分ではどうにもならないことなのです。
いつまでも変わらずにいたい。しかし人は生老病死を辿り必ず死にます。変わらずにいることは根本的に不可能です。結婚すれば娘は嫁いで行き家族から去っていきます。やがて子供が生まれ、育てるために関心も夫から子供に。
自分ではどうにもならないことなのに、どうにかしたい、どうにかしよう、執着すればするほど「苦」が増えていきます。
自分の手に負えないことを、なんとかしたいと思わない
たとえばお天気がそうです。
誰もお天気を支配することはできません。自分にできることはお天気に合わせて自分の行動を変えることしかできません。
自分の手に負えないことを、なんとかしたいと思うことが、苦しみの根本なのです。
自分の手に負えないことを、なんとかしたいと思うのは癖だと言っていいでしょう。つまり隠された依存、現実逃避である場合が少なくありません。
自分の手に負えないことをなんとかしたいと願ってしまう・・・それを「執着」として窘めて(たしなめて)います。
「私の苦痛は誰にも解らない」とみんなが思っている
窘められたとしても、神様、仏様にも言えないほど、つまり想像もつかないほど馬鹿げたことがあるものなのです。深く生きる人間にはその馬鹿げたことが愛しいほど大事な場合もあるのです。
しかしブッダの深さを尺度にすれば、そんな言い訳が通用するほどこの世は甘くはなく、すべての存在、あらゆる現象は生じ、そして滅する、私達もその流れのなかにあります。
どうしようもないことばかりなので、受け入れる以外にありません。時には頑張るほど想いから遠のき、愛するほど痛みを味わう、不合理に出会います。
なりきることの素晴らしさ
一切皆苦を矛盾することなく受容して、一切皆苦と共に生きることでこの世が楽しくなるのなら、焼き尽くせない煩悩(執着)を楽しむ手段はひとつしかありません。
いま、ここ、この瞬間にすべてを集中して「時」になりきることです。
それを気づきと呼びます。
つまりブッダの教えは実践する哲学であり、拝むものではありません。ブッダは自分を信用するなとさえ説いています。(自灯明・法灯明)
関連用語
まとめ
問題が起こる仕組みが働いているので「一切皆苦」は避けられないのです。
ブッダは決して答えを出していません。
だからどうする?と問いかけています。答えを出すのは私たちなのです。
システム思考は先を読んで、いまここにないビジョンを創り出すスキルです。
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