涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、「諸行無常印」「諸法無我印「涅槃寂静印」の三法印で、これに「一切皆苦印」を加えて四法印ともいい4つの真理のひとつです。印とは「印章(いんしょう)」の意味で、三法印あるいは四法印のないものは仏教ではないという教義です。
「一切皆苦(いっさいかいく)」・・・・人生は思い通りにならない
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」・・・・すべてはうつり変わるもの
「諸法無我(しょほうむが)」・・・・すべては繋がりの中で変化している
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」・・・・・死んだ後の世界。静かで何もない。
静やかな安らぎの境地
煩悩とは、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」を音写したものです。
意味は火を吹き消した状態のことで、寂は不動、静は静かなことの意です。
炎(=煩悩)の吹き消された悟りの世界(=涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるという意味です。
もともとのいのちへの気づき(悟り)
悟りとは、「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」を主体的、積極的に実践して真実を自覚、それらから逃げることも避けることもできない仕組みが腑に落ちた状態です。無駄も余計なものもなく、もともとのいのちに到達した状態といえます。もともとのいのちとは、37兆の細胞以前の根源的ないのちです。
正眼寺の松
たとえば岐阜の正眼寺の庭にある化石に立つ松は何年もかけて、木が持っている「もともとのいのち」で育っています。石の上ですから土と違い雨が降っても松に十分な水を分けてあげることはできません。木が持っている「生きたい」という気持ちが自分の能力をかき集めて成長しています。
システム思考で打ち出す真実のビジョン
会社は方向性を示すために、共有ビジョンを掲げようとします。
多くの場合、極少数の間で練り上げられ、上意下達(じょういかたつ)式の全社に伝えらえます。
このスタイルの場合、共有ビジョンでありながら共有できないという致命的な欠点はがあります。
ぞれは発表者を除き(時には発表者でさえも)説明責任を持っていない。
持たなくても良いからです。発表者でさえも空虚に言葉を連ねているだけで、真実に触れていないからです。
真実とは行動です。行動は結果なので、正しい行動を実践するには、正しい原因が必要なのです。
適切な原因を作るために十分な準備が必須だという認識があり、実践なくして共有ビジョンは作れないのです。
三法印あるいは四法印のないものは仏教ではないと言う言葉をどう受け止めるか。
ブッダに学ぶシステム思考
まとめ
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、ゴール(=可能性)を表した言葉です。
誰もが正しい原因を作れば無限の可能性を得られる。裏返せば正しい原因(真理)を無視すれば可能性を閉じることになる。共有ビジョンが顕著な事例です。
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