「自灯明、法灯明」はお釈迦様の遺言とも言うべき重要な言葉です。
この言葉の意味を理解すれば「仏教」が宗教ではなく、哲学さらに心理学であると思うでしょう。
自灯明、法灯明
ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。
ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
因果関係をあらゆる角度から観察・分析することで真理(法)が自分の内に育ってきます。
真理が自分に宿ったとき、はじめて主となる自分があるようになります。
「主なれば」になるために
勉強、勉強、勉強ですね
自主的な。。。あれ、ここにも主がありますね。しかも自がついています。
自灯明の自、自主的の自。
「主なれば」につながる「自灯明、法灯明」です。
自分の行動を支配するために思考を支配する人になる
「思考力を養い、思考に支配されない。思考を支配する人であれ。」ということですね。
マインドフルネス
マインドフルネス(=主体的に積極的にあるがままの自分を注意深く内観してなりきった状態)になることです。
- 主体的に積極的になりきる=アサーティブと同じ。アサーティブであることで、苦しみには原因があることを知ることができます。
- あるがままの自分=嘘偽りのない自分であることが癒しのはじまりです
- 注意深く=注意深く自分を観察しないと自分を誤解します。=苦しみに気づくことができなくなります。
- 状態=観察(内観)し、苦しみの原因を取り除けることに気づいて苦痛を取り除けます。
関連用語
まとめ
「自灯明、法灯明」で、お釈迦様はお釈迦様自身さえ信じるなと説いておられます。
「思考力を養い、思考に支配されない。思考を支配する人であれ。」になるための導きの言葉ですね。
お釈迦様なきあと、お釈迦様の教え(原始仏教)を伝えるために、様々な事情から分裂せざるを得なくなり、併せて次第に宗教色を強めていったといえます。
「三十七菩堤分法」でマインドフルネスを実践
「三十七菩堤分法」とは、①四念処(四念住)②四正断③四神足④五根⑤五力⑥七覚支⑦八正道以上、七科総計37種類の修行方法です。三十七菩堤分法」の中にマインドフルネス瞑想はここから生じています。キスの味がいままで以上に感じられるようになるのがマインドフルネスです。人生がこんなにも楽しかったのかと体感できるのがマインドフルネスです。ようこそマインドフルネスの世界へ
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