こんにちは。人生100年時代の心と身体とお部屋をゴエスする「マインドフルネス実践講座」コーチ、特別な一日。日本代表ゲンキポリタンです。
上の画像は、日本人ひとりが1日に使っている水の量です。
このうち、23%が炊事に使われています。
マインドフルネスであるために「台所の習慣」を意識しましょう。
マインドフルネスな暮らしとは手放した暮らし。
では、台所の手放し方についてマインドフルネスします。
習慣=人生100年時代のルーティンワーク
人生100年時代のルーティンワークとは、いま赤ちゃんの人のルーティンワークという意味です。
つまり子育てを通じて、親自身の身体を通して教えるルーティンワーク。
習慣は整理・整頓・清掃・清潔を躾けることです。
この行程がマインドフルネスなルーティンワーク=習慣です。
日々の暮らしで意識して、最初は面倒くさいけれど、繰り返すことで、我慢でなくなり、当たり前になり、積極的になってルーティンになっていきます。
つまり脳でいちいち考えるのではなく、身体を使って実践します。
「いまここ、あるがまま、なりきる」という言葉がでてくる間はまだまだ脳で考えている状態。
脳で言葉を使って考えていては、マインドフルネスになれません。
マインドフルネスの極意は、心を天地いっぱいに広げて、身体でなりきるを実践します。
マインドフルネスでダイナミックに繋がりを体感する
マインドフルネスな状態で生きていると、すべてがダイナミックに繋がっていることを体感します。
たとえば家のなかの水回り。台所、お風呂、トイレ。
水は海につながる生命の源だと体感できていますか。
お釈迦様が言われたように、私たちはひとりひとりが入ること(ストック)も出ること(フロー)もできない「一人一宇宙」というシステムでありながら「すべては繋がっている」システムです。
繋がることでダイナミックなストックとフローが起こるのです。
システムとは、いろんな要素が川の流れのようにつながり、相互に作用しあっています。
源泉から湧き出た一滴の透明な水をすくえば無色で、石の上に落とせば消えてしまします。
これではシステムとはいえません。個人もよく似ています。
川を流れると水は本性を発揮する
ところが、川を流れていくと、水はもともとのいのち(本性)を生きます。
周囲の景色を映して色に染まり、川の色を創り出しているかのようです。空が晴れた日に美しくブルー、山を通るときは緑、曇った日は灰色になります。
水は人体をはじめあらゆるシステムに欠かせず、ダイナミックに影響を与えあいシステムとして機能しています。
一日に使っている水の量
台所仕事はシンクがメインです。
ストックはなく、水は出て行く(フロー)ばかりなので、丁寧さが大切です。
「水」もいのちであることを身体で理解して、自分が使える水の量は決まっていることを意識できるようになるのが「目標」です。
一日にいくら水を使用しているのか
国土交通省
「人間らしいくらしをするために1日に最低限必要な水の量は50リットルとされています」
日本では生活用水の1人1日の平均使用量は1日289リットル使用されています。(「国土交通省」調べ)このうち飲料水などとして体内に入るのは、せいぜい5リットル(2%弱)、食事の準備とかだけで66.55リットル(23%)なので、289リットルというとドラム缶1.5本分ですから、実感から遠い気がします。
ヨーロッパは、平均150リットルぐらいですから、日本のほぼ半分なんです。でも、気候や風土の違いを考慮する必要があります。気温も湿度も低いと、1日おきにシャワーを使うだけというふうになり、水使用量も大きく減ります。
ヨーロッパの倍、最低必要限の6倍、世界を見回してみても、自分たちの水の使い方が決して当たり前ではないことに気づくことがはじまりです。
目標を手放すのもルーティンワーク
自分が使える水の量は決まっていることを意識できるようになるのが「目標」だといいました。
目標を設定してルーティンワークにしましょうというわけでは、ありません。
毎晩、目標を手放すのもルーティンワークにします。
水の量だけではありません。
さまざまな目標全部です。目標だけではありません。夢も捨てます。
すっからかんにして眠る習慣をつけます。
すべて逆算、結果から考える習慣
マインドフルネスな満ち足りた台所仕事は、水と身体の付き合い方から逆算します。
まず、食器です。食器はいのちを支える貴重な道具です。
文具も寝具もすべて、この調子で選択しましょう。
飾り気のない食器は情報が少ないので扱いやすく重宝します。
最初に選択する場合は長く使える心地よい定番を選びます。
すでにある場合は、数が多いようであれば、飾り気がなく心地よいものを選びます。
禅寺の食事作法に学ぶ
禅寺の作法を参考までに見てみます。
禅寺では応量器(おうりょうき)という六つのお椀、箸、匙が袱紗(ふくさ)に包んで僧侶が管理しています。実に合理的な発想です。
食事の場合は、応量器を静かにを布から取り出して机の上に並べ、ただ静かに給仕を待ちます。給仕係の僧侶が回ってきたら、合掌とともにお椀を差し出し給仕をしてもらい、無言・無音で静かにいただきます。
食べ残しは許されず全部いただくと、箸袋に入っている鉢刷(はっせつ)または刷(せつ)を使って応量器を洗います。
鉢刷の先に穴があり、糸を通して布が縫い付けられています。
お椀の汁を舐めとるために使用します。
さらに、応量器のいちばん大きな椀にお茶を注いで沢庵などで清めて、順番に小さい器に移して、沢庵を食べお茶を飲み干します。
鉢刷に付いている布は日日に汚れが付着していくので、四と九のつく日は四九の日つまり修繕の日と定めていて、各自取り替えます。これも大切な習慣ですね。物を大切にするだけでなく身の回りを整える日です。真似してみてはいかがでしょうか?
水を使わない献立
こんなことが可能なのは、ここから逆算した「献立」が用意されているからです。
これが縁起です。素材はもちろんですが、調味料も丹念に選ばれています。
匂いのきついもの、刺激の強いものは避けた最高峰が精進料理です。
野菜で肉や魚と変わらないおいしい味を出す。
この工夫と智慧が生きることそのものではないでしょうか。
禅には単純に節制することではなく、どんな縁でも最良のものしてみせるというド迫力と凄味があり
ます。これが「慈悲」の極致ではないでしょうか?
工夫がすごい、禅寺の台所事情
坐禅を繰り返していると身体が悲鳴をあげて「もうこれ以上は身体が持たない、死んでしまう」と相談すると「では死ね」と返される。
「もう、死んでもいい」と諦めると死なないどころか、脳だけで生きていた世界から身体で生きる世界を体験することになり世界観が変わる。
安易に水を使わない、実に合理的な工夫には、限りあるいのちを実感する工夫そのものです。
水に向けられた慈悲の心の真実
水と共生と慈悲が目に浮かぶと思いますが、ここでも慈悲は水なしでは生きていけない自分が対象になっていることが見えます。その次に水があり、様々は繋がりが対象に広がります。
さらに少し視点をズラすと水に対する畏敬の念が立ち上げってきます。
人々は昔から川の氾濫に苦慮してきました。水の神様の「怒り」を感じたのではないのかなと思います。
自然災害が多い現代に生きる私たちも、災害、エコの観点だけからではなく、無駄を減らすことが自分の慢心を減らしマインドフルネスに近づくと、少しは心に刻みたいと思います。
自分の慢心を手放すことは心の疲労を未然に防ぐいちばんの対策なのです。
つまり慈悲は癒しなのです。
まとめ
常に新しいものを際限なく追いかける人生は煩悩を増やすばかりで、自由を失った暮らしです。さらにいえば自由でない人生、つまり他人のせいにする人生を求めている暮らしをよしとしているのかも知れません。
人生100年時代のルーティンワークは、いま赤ちゃんの人のルーティンワーク。
子育てを通じて、親自身の身体を通して教えます。マインドフルネスな台所仕事の習慣は水を使わないことを前提にして、食器選び(応量器)、献立選びをします。洗剤を使うのも工夫。
寝るときには目標や夢は、身体のなかにストックせず全部忘れて心地よく眠ります。
水のように手放し、流す(フロー)ことを心がけてはいかがでしょうか。
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